76. 灯火祭
広場の端、少し人通りが落ち着いた場所で、私は立ち止まり、彼にもらった花飴を、恐る恐る口に運んでいた。
薄い飴越しに見る空は、夕焼けの茜色から、夜の群青色へとグラデーションを描いて溶け合っていた。
街に灯り始めた蝋燭の光が、飴の中でキラキラと乱反射している。
透き通った花びらは、唇で食むとぱきりと軽い音を立てて割れた。
花びらを閉じ込めた飴を、口の中で転がす。
【味覚分析:主成分はショ糖。単純で素朴な甘味】
【封入物:乾燥した食用花。わずかな植物性の香りと繊維質】
【後味:わずかな苦味――大人の味、と定義します】
「……ん、」
「どうだ?」
「……おいしい、かも、しれません……!」
固い黒パンと薄いスープばかりを摂取してきた私の味覚センサーにとって、この純粋な甘さと複雑で華やかな味は、以前飲んだ炭酸水と同じくらいの衝撃だった。
私が目を丸くして驚いていると、ヴィンセント騎士団長――ヴィンスが、ふっと口元を緩めた。
「そうか。気に入ったなら、よかった」
彼は愛おしそうに私を見ると、広場の奥を指さした。
「あっちにも珍しい出店が出ているようだ。行こうか、食べながらでいい」
そう言って、自然に私の片手を引いて歩き出そうとする。
「あっ……」
私はとっさに足を止めて、彼を引き留めた。
ヴィンスが不思議そうに振り返る。
「どうした」
「あの……」
私は視線を泳がせる。
以前、食事の誘いを断った時のことを思い出す。
私は意を決して、恥ずかしさをこらえながら告げた。
「……私、あの……食べるのが、苦手で……」
「そういえば、前にもそんなことを言っていたか」
「はい。立ち止まってなら、大丈夫ですが……歩きながらの摂取は、まだ練習していませんので……」
歩きながら食べるなどというのは、高等技術だ。
今の私の運動制御機能では、きっと口周りを汚し、白いドレスをベタベタにする未来しか予測できない。
私は恥ずかしさで俯きながら、彼の上着の裾を、きゅっと小さく摘まんで引いた。
「ですから……ここにもう少し、一緒にいてくれませんか?」
「――ッ」
ヴィンスは一瞬呆気にとられたように目を見開き――。
次の瞬間、夕闇の中でも分かるほど優しく、とろけるような笑みを浮かべた。
彼は一歩近づくと、以前したのと同じように、私の髪を一束、指ですくった。
そして、以前よりゆっくりと、恭しく口づけを落とす。
「もちろんだ」
耳元で囁かれたその響きに、飴の味など吹き飛ぶほど、胸の奥が甘くとろけて痺れた。
* * *
花飴を食べ終えた後、私たちはゆっくりと露店を回った。
すっかり暗くなった北の夜風は冷たく、頬を刺すように冷ややかだ。
けれど、繋がれた左手からは、ヴィンスの体温が絶え間なく伝わってくる。
その熱が、私を守ってくれているようで、寒ささえ心地よい。
広場の通りには、薪が爆ぜる香ばしい匂いと、甘い焼き菓子の香り。
そして、冬を告げる冷涼な空気の匂いが混ざり合っていた。
この灯火祭は街の冬支度を兼ねているため、店先には分厚い毛布や、焚き火用の薪、保存食などが並んでいる。
活気ある人々の声をBGMに、彼と並んで歩くだけで、幸福度のパラメータが満たされていく。
「おふたりさん! ちょっと待ちくんな!!」
唐突に後ろから話しかけられてはじかれるように振り返る。
露店で売っている異国の仮面を顔につけた数人が、早口でまくし立てながら近寄ってきた。
「噴水のところの蝋燭の塔には行ったかい!?」
「行ってないならダメだダメだ!」
「祭りに来たなら一つは奉納しないと!」
「ほら、これ持ってきな! 若い2人にサービスだ!」
「いいからいいから! いってきな!!」
「お嬢ちゃん、花飾りが似合ってるね!」
「え、あ、あの……?」
戸惑う私の手に、火の灯った洒落たグラス入りの蝋燭が、強引に握らされる。
彼らは遠慮のない様子でヴィンスの背中もバンバンと叩き、風のように人混みへ消えていった。
「なんだ、今の連中は」
ヴィンスが彼らの去った方をじとりと見た後に、手元に残されたろうそくを、これまたじとりと見つめている。
私は、去っていく彼らの後ろ姿をスキャンした。
人混みに紛れたところで、彼らが仮面をずらして、上手くいったなと満足そうに笑い合っているのを捉える。
【個体識別完了:『雨のときの商人』および『腰痛の老人』『相談会の主婦』『恋愛相談の女の子』……】
「……ふふっ」
「エリス?」
「いいえ。……街の皆さんが、私たちを祝福してくれているようです」
胸の奥が温かくなる。
私が積み上げたロジックと行動が、こうして温かな形となって返ってきている――そんな実感を得ているようだ。
ヴィンスは私の手の中にある蝋燭を、もう一度まじまじと見た後、ふっと笑い、私の手を引いた。
「では、言うことを聞くとするか」
ヴィンスに手を引かれ、私たちは広場の奥を目指した。
行き交う人々の笑い声や、屋台の呼び込みの声。
蝋燭の光の渦をかき分けるように進んでいく。
やがて、ザアァ……という水音が喧騒をかき消し始め、噴水の裏手へと足を踏み入れると、視界いっぱいに、揺らめく黄金色の光が溢れ出した。
「わ……っ」
噴水を半分囲むように設置された石の棚に、無数の蝋燭が飾られている。
揺らめく幾千もの灯火が、水面に反射し、黄金色の光の海を作っていた。
噴水の水音が広場の喧騒を遮断し、ここだけが世界から切り離されたようで、誰もおらず静かだ。
「ここに置こう」
ヴィンスに促され、私は手渡された蝋燭を、塔の一角にそっと置いた。
小さな火が、光の海の一部となって溶け込んでいく。
「……美しいな」
横に立つヴィンスが、静かに呟いた。
「はい。蝋燭の灯が揺れて、とても幻想的です」
私は塔を見上げながら答える。
光に照らされた噴水の水飛沫が、宝石のようにきらきらと舞っている。
「それもあるが――」
「?」
彼の方を見上げると、彼の灰色の瞳が、蝋燭の灯りを映して揺れながら、真っ直ぐに私を射抜いていた。
「灯に照らされた君が、美しいと言ったんだ」
「――ッ!!」
【――警告:顔面温度、急上昇】
【ステータス:オーバーヒート】
カアァッ、と音がしそうなほど顔が熱くなる。
いつから、彼はこんなにも甘い言葉ばかりになったのだろうか。
心臓が早鐘を打ち、思考領域の全てが、彼の言葉で埋め尽くされる。
【検索:この場における適切な返答】
【候補A:定型文『ありがとうございます』】
【候補B:謙遜『そんなことはありません』】
【候補C:回避『冗談はやめてください』】
【候補D:……】
検索結果が羅列される。
けれど、私は頭を振って、思考を閉じた。
先ほど、花飴をおいしいと素直に伝えた時の、彼の安堵したような笑顔を思い出す。
彼はいつだって、計算された完璧な回答よりも、私の素直な言葉を待っているのではないだろうか。
私は、熱い頬をそのままに、彼に向き直った。
そして、照れくささを隠さずに、そのまま、はにかんで笑った。
「……嬉しい、です」
私の言葉を聞いたヴィンスの瞳が、一瞬大きく見開かれ――強い光を宿した。
彼は、決意を固めたように、一歩踏み出す。
――そして、その場にゆっくりと膝をついた。
「え……」
まるで物語の騎士のように。
ただならぬ改まった雰囲気に、私は息を呑む。
ヴィンスが、そっと私の左手をとった。
長い指が私の不器用な指に絡まり、そして手の甲に、熱い唇が押し当てられる。
「……エリス」
彼は顔を上げないまま、私の手に額を寄せて、静かに語り出した。
「最初に出会った時、君のことを人形のようだと思った。感情を持たず、効率と合理性だけで動く……俺と同じ人種なのだと」
低い声が、蠟燭の揺れる静かな空間に響く。
「だが、違った。君は、誰よりも賢く、誰よりも未来を見据えながら……誰よりも不器用で、一生懸命だった」
そう語る彼の声は、熱を帯びて震えていた。
私の手の甲に額を押し付けたまま、彼は、自身の内側から溢れる想いを、ひとつひとつ確かめるように言葉を紡ぐ。
「今日、君が誘拐されたと知って、もう会えないかもしれないと思ったとき……なにもかもをかなぐり捨ててでも、君を助けたいと……そう思った」
「ヴィンス……」
「俺は、君に惹かれている。……どうしようもないほどに」
ヴィンスが顔を上げた。
蝋燭の暖かな光が、彼の整った顔立ちを照らし出している。
私を見上げるその灰色の瞳の中には、無数の灯火と――泣きそうな顔をした私が、はっきりと映っていた。
「君の、一番近くにいたい」
教会の方から、定時を知らせる鐘の音が鳴り響いた。
腹の底に響くような荘厳な音色が、夜空へと吸い込まれていく。
それに呼応するように、噴水がザアァッと高く吹き上がり、周囲の蝋燭の火が一斉に揺らめく。
舞い散る水しぶきが、光を受けてダイヤモンドダストのようにきらめいた。
その光の中で、ヴィンスがもう一度、私の手の甲に口づけを落とす。
そして、私を見つめ、唇を開いた。
「結婚を前提に、――俺と、交際して欲しい」
【……ログ保存:ヴィンセントからの『愛』の告白】
【解析:不要】
【結論:――大好きです】
視界が滲む。
瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
けれどそれは、怖かった時の涙とも、エラーによる涙とも違う。
胸がいっぱいで、温かくて、幸せでたまらない涙だった。
私は、涙で濡れた顔で、精一杯の笑顔を作った。
「……よろこんで」




