75. 甘い観測
広場へと続く坂道を、私は足元を気にしながら慎重に進んでいた。
彼から贈られた純白のブーツや子供たちから贈られた華やかなドレスを、汚さないように。
そんな私の様子に気づいたのか、彼はなにも言わずに手を差し出し、転ばぬようにとエスコートしてくれていた。
「……あの商人と傭兵たちは、全員捕らえて、街の代官の家の地下牢に放り込んだ」
彼が、淡々と報告する。
そこは以前、グリモ司祭が入っていた場所だ。
厳重な檻と聞いたので、逃げ出すことは不可能だろう。
「そうですか。……解決して、よかったです。ヴィンセント騎士団長のおかげですね」
私が胸を撫で下ろし、礼を言うと、隣を歩いていた彼がふと足を止めた。
「……エリス」
「はい」
私が振り返ると、彼は少し拗ねたような、けれど甘い響きを含んだ声で言った。
「……もう、呼んでくれないのか?」
「え……?」
「あの時。……森で、呼んでくれただろう」
言われて、記憶のログが再生される。
森で助けられ、必死で抱きついた時、私は確かに彼を愛称で呼んでいた。
【音声ログ再生:「ヴィンス……ッ!」】
途端に、顔に熱が集まる。
「あ、あれは、緊急事態における反射的な発声でして……!」
「ふっ」
慌てる私を見て、彼は少しだけ笑った。
そして、いつもの騎士団長としての硬さを解くように、肩の力を抜く。
「今日は、騎士団長として来ていない。……だから、呼んでくれないか」
鼓膜を揺らす、低く、甘い声。
私は大きく深呼吸をして、システム温度を冷却してから、小さく口を開いた。
「ヴィ……ヴィンス……」
「ああ」
彼が嬉しそうに目を細める。
私は少しの緊張と、それ以上のくすぐったさを抱えながら、彼をそう呼ぶことにした。
「しかし、監禁された小屋から自力で脱出するとはな」
「……はい。現地の資材を合成し、化学反応を利用しました」
「小屋の鍵を開けたとも聞いたが……」
「簡易的な構造でしたから、ヘアピン一本で解除可能です」
私が淡々と脱出の経緯を説明すると、ヴィンスは呆れたように、けれど熱い眼差しで私を見つめた。
「知識はもちろんだが、度胸があるというか、規格外というか……」
「褒め言葉でしょうか?」
「もちろんだ。――そういうところに、俺は惹かれたんだ」
さらりと言われた言葉に、また私のシステム温度が上昇する。
普段は口数少ない彼から、こんなにもストレートな好意を浴びせられてしまうと、私のシステムはすぐにオーバーフローしてしまいそうになる。
そうして歩いているうちに、気づくと、私たちは広場の入り口までやってきていた。
「わ……」
思わず声が漏れる。
いつもより多い露店や人、様々な場所に飾られているキャンドル。
いつもは目立たない小さな噴水の奥には、低めのろうそくの塔ができており、水面を黄金色に輝かせている。
あたたかく街を溶かすような火の明かり。
無数の蝋燭が灯る幻想的な街並みに、私は目を奪われた。
「まずは露店を見るか」
「はい……っ」
彼にエスコートされ、光の海の中を歩く。
ふと、一軒の屋台の前で足が止まった。
「あ……」
以前、工房からの帰りに遠くから観測した花飴だ。
あの時は、無意味な形状としてデータを記録しただけだったが、近くで見ると、その透き通る美しさに目を奪われる。
【対象スキャン:花飴】
【成分分析:主成分はショ糖。封入物は食用花と推測】
私が顔を近づけてまじまじと観察していると、ヴィンスが声をかけてきた。
「欲しいのか?」
「え? いえ、構造の観察を……」
「これをくれ」
私が答えるより早く、ヴィンスは銀貨を取り出し、店主に渡してしまった。
彼が選んだのは、純白の小さな花が、透き通った飴の中に閉じ込められた一輪。
「買った方が、近くで観察できるだろう」
店主から花飴を受け取って悪戯っぽく笑った彼が、私に飴を差し出す。
私は受け取ろうとして、手を止めた。
【検索:金銭授受のプロトコル】
(ブーツも頂いたばかりで……もらいすぎているのでは?)
私が最適解が見つからず戸惑っていると、ヴィンスが静かに言った。
「……素直に受け取ってくれると、助かるのだが」
その言葉は、どんな論理よりも強く、私の心を動かした。
「……では、」
私は、彼の手から飴を受け取った。
透き通る花の飴を胸元で持ちながら、彼を見上げる。
「ありがとうございます、ヴィンス」
ふわりと、自然な笑顔がこぼれた。
その瞬間、周囲の蝋燭の火が一層暖かく揺らめいた気がした。
その光景は、広場の喧騒の中にありながら、そこだけ切り取られた絵画のように美しく、幸せに満ちていた。
* * *
そんな二人を、広場の外れにある建物の陰から、じっと見守る集団がいた。
孤児院の子供たちとアン、そしてシスター・ベロニカだ。
「……いい雰囲気ですね!」
「エリス様のいつもと違う笑顔……!」
「花飴すっごく似合ってるー!」
「絶対に邪魔すんなよ! 絶対だぞ!」
彼らは、二人の邪魔をしないようにしながらも、こっそりと祭りを楽しんでいた。
周囲の商人や街の人たちも雰囲気を察してか、決して邪魔をしないように、遠くから温かい目で見守っているようだ。
「うぅ……。エリス、立派になって……」
メルが、胸元を押さえて涙を浮かべている。
まるで娘を嫁に出すかのような面持ちだ。
「……貴女はエリス様の母親ですか」
引率のシスター・ベロニカが苦笑いするが、アンやロキたちは真剣な顔で頷いた。
「そうですよ、メルはエリス様の母親なのです」
「俺たちは家族だからな!」
アンは、人混みの中へまぎれていく二人の背中を、愛おしそうに見つめた。
そして、自らの胸にそっと手を当てる。
「私は心配性な叔母なのです」
「俺は……ま、ドジな妹を持った、兄貴みたいなもんだろ」
ロキが鼻の下を擦る。
「僕たちは、すぐ下の弟双子だよねー!」
「だねー!」
アッシュとルカも笑顔を見合わせる。
他の子供たちも「私は姉!」「俺は兄!」「僕は弟!」と、口々に家族構成を自称し始めた。
その温かい輪を見つめ、シスター・ベロニカがつい、ポロリと漏らす。
「では、私は祖母でしょうか……」
「「「!!」」」
子供たちが、一斉にシスターをキラキラとした眼差しで見た。
「おばあちゃん!」
「シスターがおばあちゃん!」
「なんか強そう!」
「あ……いえ、今のは失言です! 忘れるように!」
シスター・ベロニカはハッとして訂正しようとするが、時すでに遅し。
子供たちに囲まれ、満更でもなさそうな顔をしてしまっている。
メルも嬉しそうに笑い、そしてもう一度、広場の中心にいる二人を振り返った。
幸せそうに笑うエリスと、それを優しく見つめる騎士団長。
その背中には、たくさんの家族の暖かさがある。
(みんなが見守ってるよ。だから安心して、大好きな人に気持ちを伝えてね、エリス)
メルは、母親のような祈りを込めて、二人の背中を見送った。




