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119. 無骨な「利」

 

 嵐のような一夜が明け、公爵邸の朝は静かな空気に包まれていた。

 私は離れの庭に咲き始めていた早咲きの淡い色の花々を束ねてもらい、本邸の奥にある当主の私室を訪れた。

 ノックに応じ、扉を開けたベアトリス公爵夫人が驚いたように目を瞬かせた。


「エリス。貴女、教皇様から協会本部にご招待を受けたのでしょう?王都へ向かう準備で忙しいのではないかしら?」


「色々とありまして……ハーガン公爵のお加減はいかがですか」


 ベアトリス公爵夫人に招き入れられた室内は、公爵家の主人が寛ぐに相応しい、重厚な木材と落ち着いた色調で統一された広大な個室だった。

 高い天井には緻密な彫刻が施され、壁には歴代当主の肖像画が静かに並んでいる。

 大きなベッドに枕を高くして座っているハーガン公爵は、腕に包帯を巻いているものの、書類の乗ったテーブルに手を置く程度には動かせるようだ。


【生体スキャン:ハーガン・ヴァレリウス】

【判定:後遺症の懸念なし。正常稼働を確認】


 ぎこちないながらも動いているその様子を見て、麻痺や致命的な損傷が出ていないことに、私は静かに安堵の吐息を漏らした。


「まったく……教皇聖下からの親書を受け取った後に、見舞いとは呑気なものだな」


 そう口にするハーガン公爵の声に、これまでの刺すような威圧感はない。

 私室という空間のせいか、それとも負傷のせいか――彼はどこか呆れたような口ぶりでベッドに身を預けた。


 *


 昨日、私が受け取った教皇聖下からの親書。

 そこには、教会が長年待ち望んだ新たなる聖女として認定する準備があること、そして、王都にある教会本部へと招待する旨が記されていた。


「教会は本気で、エリス殿を聖女として迎え入れるつもりのようだな」


 血塗られた大広間の中央で、私の横から開いた親書を読むハーガン公爵の言葉に、アウロリアの街でエドマンド司教が、いずれ教皇聖下からの呼び出しがあるだろうと言っていたのを思い出す。

 きっと、その時がついに訪れたのだ。


「しかし、招集は一ヶ月後か……。支度をしたらすぐに、今週中にでも出立するといい。王都までは1週間ほどの道のりだが、その道も戦で封鎖されるかもしれん」


 ハーガン公爵の助言を受けて、離れに戻りアメリアに伝えると、彼女はすぐに使用人たちを招集し、凄まじい手際で荷造りを開始した。

 王都には公爵家のタウンハウスがあるらしく、ハーガン公爵の手配もあって、そこでお世話になることもすぐに決まった。


 私の持ち物はアウロリアからこの公爵家離れに来た時から、そう多くはなっていない。

 最小限で済んだ方がいいだろうと思い、そっくりそのままの荷物をまとめこれで王都に向かうといったら、なぜかアメリアにひどく怒られ、私は端に追いやられてしまった。


 *


「――といった経緯で、ならばお見舞いにと出てきました」


「まあ、そうね。アメリアに任せた方が安心だわ」


 私がポンコツであることを思い出したのか、それともアメリアの頼りがいのある働きぶりを思い出したのか、ベアトリス公爵夫人は少しおかしそうにくすりと笑った。


「アメリア……ヴィンセントの乳母をしていた、あの侍女か。たしか元は君の侍女でもあった――」


「ええ。今は離れの取りまとめをしておりますわ」


 穏やかに言葉を交わすハーガン公爵とベアトリス公爵夫人。

 思えば、夫婦そろってこのように落ち着いて話しているのを見るのは、初めてかもしれない。

 晩餐会やアレクシオスの前で見せる張り詰めた空気はないが、少しどこかぎこちない。

 アレクシオスの件でできていた長年の溝が大きく横たわってはいるものの、本来は、こうして歩み寄れる穏やかな関係なのだろうということが感じられた。


「ならば出立前に、エリス殿専属の侍女を付けねばな」


「その件は、ヴィンスが手配してくれていたようですが……」


 ぎこちない動きで腕を組んだハーガン公爵が、ふむと考え込みそうになるのを声をかけ止める。

 すると、私の持ってきた花が移された花瓶をメイドから受け取ったベアトリス公爵夫人が、思い返すように視線を上へ向けた。


「ああ、そういえば数年ぶりにメイドの採用試験を行ったのよ。ヴィンセントから書状が届いて。あの子、貴女のために本邸へ働きかけていたのね」


 本邸とは距離を置きたいと言っていた彼が、私の知らないところで、動いてくれていた。

 改めてそう思うと、胸の奥がじんわりと熱くなる。


 間に合うだろうかと気をもむハーガン公爵のその横顔を見て、私はずっと気になっていたことを口にした。


「……ハーガン公爵は、なぜ私とヴィンスを婚約させたのですか?」


「なぜ、とはなんだ」


「教会との利害が一致したからだと、最初に仰っていましたね。私が隣国に渡らないように保護したいという教会の利は分かります。では、公爵家の利とは何ですか?」


 リリアンが言っていた聖女の取り込みというのは、教皇聖下から親書を受け取った今なら、有望な聖女候補を先んじて取り込むといった野心はまだ理解ができる。

 だが、いくつか発明品を生み出したとはいえ、孤児院に身を置く、聖女とも確定していない少女でしかなかった私を、公爵家次男の婚約者に据えるのは、あまりにリスクが高い。


 根拠が薄すぎて、もし偽物であれば、公爵家の名に傷がつく恐れすらあるのだ。

 それが分からないハーガン公爵ではないはずなのに、なぜ。

 どんな野心や政治的な理由が飛び出そうと今更驚きもしないが、私は注意深くハーガン公爵を見つめた。


「何を言っている。想い合っている者同士の結婚こそ、家の利となるだろう」


「「え」」


 ベアトリス公爵夫人と私、二人の声が重なった。

 ハーガン公爵は心底不思議そうに眉を寄せ、私たちの顔を交互に見返して、言葉を続ける。


「政略結婚が主となる貴族社会で、愛する者と添い遂げられることは稀だ。しかし信愛しあえるもの同士の婚姻こそが、家の繋がりを深くする。私たちも……それに、アレクシオスとリリアンも、そうだろう?」


 聞けば、アレクシオスとリリアンは貴族学校時代から想い合っていたが、家格の差から互いに身を引いていたという。

 それをアレクシオスと側近との会話を漏れ聞いて知ったハーガン公爵が、双方への相談もなく見合いの席を整え、彼らを結びつけたのだという。


「そんなこと、私にだって一言も……! アレクシオスは……リリアンにも、何も言っていないのですか!?」


「あ、ああ。伝える必要もないだろうと思ったが……」


「本当にあなたったら言葉がいつも足りませんわね!! リリアンはご実家の借金を公爵家に肩代わりをしてもらったことで、肩身が狭く一生公爵家の良妻でいなければという思いが強く不安で追い詰められていたのですよ!!」


「……そうなのか」


「せめて私にくらいは言って欲しかったですわ!!」


 ベアトリス公爵夫人に詰め寄られ、いつも威圧的な公爵家当主が珍しくたじろぐ。

 自分たちも恋愛結婚だったからこそ、子供たちもそうであればと望んだ。

 ……あまりに説明不足過ぎる親心だったが。


「……すまない。私が彼女を追い詰めていたのだな」


「いいえ。……リリアン様のことは、私のせいです」


 彼女の不信を煽り、剣を手に取らせ、そしてハーガン公爵が負傷するという結果を招いた。

 その因果の起点は、間違いなく私にある。


「その……リリアン様は今……」


「安心しなさい。昨晩、無事に産まれたわ。元気な男の子よ」


 ベアトリス公爵夫人のその一言に、張り詰めていたシステムがようやく弛緩した。


「では、ご出産のお祝いに――」


「いえ……」


 ベアトリス公爵夫人が視線を伏せ、言い淀んだ。


「今朝、改めてリリアンに全てを説明して、アレクシオスとは和解したわ。でも……貴女には、来ないでほしいと。そう言っているの」


「勘違いだろうと、一度憎んだ相手をすぐに受け入れるのは難しい。……時間でしか解決できん」


 ハーガン公爵のフォローが、かえって胸に刺さった。

 もちろん、物理的な負傷はない。

 だが、左胸の奥に、ノイズのような不快感が居座り続けている。


【分析:嫌悪対象への最適対処法】

【結論:物理的距離の確保。接触を避け、記憶領域から削除する】


 嫌われてどうしたら、などとユーザーに投げかけられれば、AIとしては、関わらないことが正解であると導き出すだろう。

 だが、今ここにいる私はそう出来ない。

 誤解を解きたい、分かり合いたい、和解したい、出来ることなら好かれたいとすらと願ってしまうこの感情は、あまりに不自由で、あまりに人間的な苦痛だった。


「王都に行っている間に、少しは落ち着くと思うわ。貴女は、教会への訪問のことだけを考えていらっしゃい」


「……そう、ですね」


 ベアトリス公爵夫人の宥めるような声色に、いつのまにか胸元を強く押さえていた手を下ろす。

 寂しいような、苦痛のような、おさまらない不快感を抱えたまま、私はハーガン公爵の私室を後にした。



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