117. ノイズの正体
「そこの悪女に決まっているでしょう!!!」
狂乱するリリアンが、その重く震える剣先で一点に定めたのは、他ならぬ私だった。
ヴィンスが困惑の色を隠せず、私の前に立ちはだかったまま、背後の私とリリアンを交互に視界に入れている。
「……どういうことだ」
ハーガン公爵が、地を這うような重低音で問い返した。
リリアンは髪を振り乱したまま、義父へと食って掛かる。
「お義父様は、聖女を公爵家に取り込む目論見だったのでしょう!? ヴィンセント様と無理やり結婚させてしまえと!」
その言葉に、以前の出来事が脳裏をよぎった。
ベアトリス公爵夫人が、公爵家に聖女の保護をしてもらうために、婚約者という名目を目的として私がヴィンスに近づいたと思っていたこと。
だがリリアンは、ある意味その逆――ハーガン公爵が政治的な策略で聖女を囲い込むために、手を回したと思い込んでいるらしい。
「でも、この女は――アレクシオスにまで手を出して……!!」
「待ってくれ、リリー! 僕はエリス殿とはなんの関係も――」
「貴方は黙っていてと言っているでしょう!!」
激高したリリアンが、身の丈ほどもある長剣を無暗に振り回した。
鋭い金属音が響き、壁際に飾られていた高価な花瓶や調度品が無残になぎ倒される。
大理石の床に飛び散る破片は、今の彼女の精神状態そのもののようだった。
「貴方は知らないでしょうけど、この女は騎士団の副団長様や職人にだって色目を使って……!!」
【検索:色目を使う】
【定義:相手の関心を引くために、媚びるような目つきや態度を見せること。主に情愛の対象として誘惑する行為】
【照合:自身のログを確認……否定】
「誤解です……!」
「いいえ!! 私はこの目で見ました! 副団長様に駆け寄っていく姿や、毎日工房へと通う姿を! ああ、それとも工房はアレクシオスとの密会の場所だったのかしら!」
【スキャン:対象の言動と過去ログの照合】
【照合結果:庭園の動体反応と、リリアンの主張する目撃情報が完全に一致】
【結論:これまで離れの周囲を徘徊し、執拗に視線を送っていた個体は、リリアン・ヴァレリウスであると断定】
点と線が繋がった。
これまで肌を刺すように感じていたあの不自然な視線は、密偵などではなく、嫉妬に狂った彼女のものだったのだ。
(……植え込みを揺らしていたのは、貴女だったのですね)
リリアンは、アレクシオスが毎日工房へと通う姿を、ずっと監視していたのだ。
そして、あの試食会の時。
私が駆け寄った先はヴィンスだったが、傍には緩衝材として呼ばれたジャック副団長もいた。角度によっては、私がジャック副団長へ縋り付いたようにでも見えたのかもしれない。
断片的な光景だけを覗き見続けていた彼女にとって、それはすべて不貞の証拠のように見えていたのだろう。
缶詰開発の件を彼女に隠していたがゆえの、悲劇的なすれ違いだ。
「私、最初は貴女に同情をしていました。公爵家の目的のために、あの冷徹な氷の騎士様と結婚させられるなんて、可哀想に、と……」
リリアンは歯を噛みしめ、剣の柄を指が白くなるほど痛々しく握りしめた。
「だからって……! アレクにまで手を出すなんて……!!」
工房で鉢合わせた時の、あの憐れむような視線を思い出す。
リリアンは未だにヴィンスを残虐非道な氷の騎士だと思っているのだと、アメリアは言っていた。
彼女には私の姿が、ヴィンスとの婚約から逃げるために、アレクシオスに言い寄るような姿に見えていたのだろうか。
【生体スキャン:リリアン・ヴァレリウス】
【分析:妊娠に伴うホルモンバランスの劇的な変化、および長期的なストレスによるパラノイアを確認】
【判定:『居場所を失う』という強迫観念による情緒不安定。論理的対話の成立確率は極めて低い】
叫ぶリリアンの瞳には、大粒の涙がたまっている。
彼女を突き動かしているのは、純粋な愛ゆえの狂気――アレクシオスを愛し、この家での地位を守りたいと願う心が、私の存在というフィルターを通して最悪の妄想へと変換されてしまっている。
そう理解した私は、冷静に対話を試みるべく、ヴィンスの腕を押し、一歩前へ踏み出した。
「すべて誤解なのです、リリアン様。私たちは――」
「私たちってなに!? もう正妻を気取っているの!?」
リリアンが咆哮し、長剣を力任せに大理石の床へと叩きつける。
刹那、一歩踏み出した私の身体を、ヴィンスが強引に引き戻した。
大理石を叩いた剣から激しい火花が散り、砕け散った破片がヴィンスの背中に当たる音が聞こえる。
「話が通じる状態ではない。エリス、前に出るな」
「でも……」
再びヴィンスの背中に隠され、低い忠告が耳を打つ。
対話ができない状態でなにが出来ることがあるのか、私は言葉を失ってしまった。
「貴女がいなくなれば、元の公爵家に戻るかしら……」
リリアンが再び、私に剣先を向ける。
その言葉に、私の回路がピクリと反応した。
元の公爵家。
それは、家族がバラバラで、すれ違いと苦悩に満ちていたあの冷え切った状態を指しているのか。
今まさに、光が差し込もうとしていたのに。
「――拒否します」
気が付けば、私はヴィンスの腕をすり抜けるようにして一歩踏み出していた。
家族がようやく同期し始めた今、壊させるわけにはいかない。
「元に戻すだなんて、絶対にさせません」
「~~ッ!!」
私の言葉を挑発と受け取ったのか、リリアンが反射的に剣を振り上げる。
「よせ、エリス!」
咄嗟にヴィンスが私の体を引き戻し、覆いかぶさる。
振り下ろされる剣が描く、鈍い光の線。
私はぎゅっとヴィンスの服を掴み、衝撃に備えて目を瞑った。
……けれど。
数秒経っても、痛みは来なかった。
「退いてください!! ――お義母様!!」
リリアンの悲鳴に近い叫びに、恐る恐る目を開く。
同じく顔を上げたヴィンスの肩越しに見えたのは、私たちと剣の間に割って入った、ベアトリス公爵夫人の堂々たる背中だった。
「退くわけがないでしょう! 母親とは、我が子を一番に守るものです。リリアン、貴女だってお腹の子のことを第一に考えるべきなのではなくって?」
閉じた扇子を握りしめるベアトリス公爵夫人の指先は、小刻みに震えている。
彼女だって、怖くないはずがないのだ。
それでも、我が子を――そう、ヴィンスを守るために、彼女は剣の切っ先を前にしても正面を見据えて立っている。
母親のそんな姿を初めて見たのだろう、戸惑い見上げるヴィンスの瞳の中で、光が揺らめいていた。
「お腹の子のためにこそ、愛人の存在など認めるわけにいかないのです!!」
リリアンが再び叫び、剣を振り上げる。
だが、その身重の身体にはあまりに重すぎるのだろう。激しい呼吸を繰り返し、腹部の痛みに耐えるように顔を歪めている。
「リリー、君の身体のことを考えて伏せていたが……。僕が買い上げた鉄材やトマトを商品化するために、エリス様に相談し、開発を行っていたんだ――」
リリアンの傍まで歩み寄ったアレクシオスが、悲痛な面持ちで開発のあらましを説明し始める。
彼女は首を左右に振り否定を重ねるが、その声色には少しずつ動揺がにじみ出していた。
「それを口実に密会を重ねて――!!」
「聞いてくれ!! 愛人だなんて、ありえない! ありえないんだ、分かるだろう? 僕は君を愛している!」
「偶然見合いが良い方向にいっただけじゃない!! 家同士の思惑が合致して……!! 私の方が昔から――!!」
「それに、エリス様はヴィンセントと愛し合っているんだ!」
「え……? そ、そんなわけ……」
予想だにしていなかったのだろう言葉に、リリアンは目に見えて狼狽した。
困惑し指先から力が抜けたらしく、張り詰めていた糸が切れたように、彼女が振り上げていた重い長剣が、その手から零れ落ちた。
その剣先は――リリアンの傍へと歩み寄っていたアレクシオスへと真っ直ぐに落下していく。
「兄上――!」
「アレクシオス!」
ヴィンスとベアトリス公爵夫人の悲鳴のような叫びが響く。
だが、アレクシオスが身を守る猶予は、どこにも残されていなかった。
鈍い音と共に、肉を切り裂く衝撃音が、静まり返った大広間に無残に鳴り響いた。




