115. 成功を裂く異常音
「――外気を遮断し、加熱することによって、中身を腐らせる要因を全て断っているのです。それにより、一ヶ月……あるいはそれ以上の長期保存が可能となりました」
「缶の製法については私、グラードからご説明いたします。完全に密閉するために、まず――」
私の言葉を引き継ぐように、後ろに控えていたグラードが一歩踏み出し、職人としての視点から技術的な裏付けを加え始めるのを聞きながら、私は静かに椅子に深く腰を下ろした。
ハーガン公爵は設計図に目を落としたまま、ただ黙ってグラードの説明を聞いている。
グラードの説明が終わると、やがて彼は手元の資料を捲る手を止め、再び銀色の缶を手中に収めながら重く口を開いた。
「つまり……聖女様のありがたい『ご神託』を、アレクシオスが形にしただけということか」
その言葉に、隣に座るアレクシオスの肩が、ぴくりと小さく揺れた。
おそらく彼自身も、今もなお、そのことを気にしているのだろう。
自分がただ、私の知識をなぞっているだけではないかという不安――だからこそ、開発中も頻繁に様子を見に来ては、自らの意思で関わろうとしていたのだ。
「いいえ、それは違います」
私の声に、俯きかけていたアレクシオスがハッと顔を上げた。
「アレクシオス様は、壊血病の対策にトマトが有効ではないかと自ら考えておられました。そして、それを戦地でも運用できるように、保存のために鉄を使用できないかと」
どうあがいても、私は本質的にAIだ。
ゼロからイチを、無から有を生み出すことは、私の演算回路だけでは不可能な領域にある。
ユーザーから目的や条件が提示されなければ、私には最適解を導き出すことはできないのだ。
「目的と材料があったからこそ、私は形を提示できました。これは、アレクシオス様が自らの意志で、手繰り寄せた結果です」
アレクシオスが息を呑む空気の震えが聞こえる。
その表情には、深い霧が晴れていくような、苦悩が安堵に変わっていくのが見て取れた。
「壊血病……。これが、本当に効くのか」
「はい、間違いなく」
「最初に軍事的成果があると言ったのは、そのことか……」
ハーガン公爵は深く考え込むように目を細めた。
軍事に通じている彼なら、遠征における壊血病の恐ろしさは痛感しているはずだ。
「しかし、この重さだ。運搬には限界がある。有効な日数分を、騎士たちが戦地へ持っていけるのか。それに強度は――」
「問題ありません」
これまで沈黙を守っていたヴィンスが、静かに、けれど力強く声を上げる。
彼は懐から取り出した数枚の紙を、卓の上を滑らせてハーガン公爵の前へと届けた。
「既にテストは済んでいます。悪路での強度に問題はなく、運搬量と荷台の試算も、そこにまとめてあります」
「ヴィンセント……お前まで手を貸しているのか」
ハーガン公爵がその紙を手に取り、一枚ずつめくっていく。
静まり返った部屋に、紙を捲る乾いた音だけが規則正しく響いた。
「……確かに。騎士団での運用も、十分に可能と見える」
「こちらは工場での量産体制に関する資料ですわ。戦時が終われば一般流通も可能ですし、さらなる長期保存の研究も進められるでしょう」
ベアトリス公爵夫人が重ねるようにして、自らの手配した資料を差し出した。
無言ですべてに目を通したハーガン公爵が、ようやく顔を上げると、アレクシオスは胸元に手を当て、父親と真っ直ぐに向き合った。
「――父上。私はやはり貴方のように、すべてを一人で成し遂げる強い領主にはなれません」
アレクシオスの声は、もう震えていなかった。
「しかし、私には支えてくれる人間がいます。人を頼ることもまた領主の資質の一つであると、今はそう信じています」
アレクシオスの視線は、家族だけでなく、この場を影で支えた使用人たちにも向けられていた。
絶妙なタイミングでのスープの提供や、資料の準備。
彼らの献身こそが、このハーガン公爵へのプレゼンテーションを完成させたのだろう。
「……まずは、この缶詰の量産を認めていただけませんか。これで壊血病を克服し、ほどなく始まる戦争での騎士たちの生存率を上げたいのです」
その瞳には恐れも怯みもなく、ただ強い意志の火が灯っている。
ハーガン公爵は黙ってアレクシオスを強く見据えた後、部屋にいる全員に視線を巡らせた。
そして、どこか含みのある深いため息を吐き出す。
「……分かった。量産を認めよう」
その重い許可の言葉に、室内の空気が一気に弛緩した。
ベアトリス公爵夫人がほっと胸を撫で下ろし、アレクシオスは緊張が抜けたように一歩後ろへと足が下がる。
「……次期当主の座についてだが」
「分かっています」
ハーガン公爵の言葉を、アレクシオスが遮った。
その声は静かだが、唇を引き締めたその顔は、決して諦めてなどいない。
「缶詰は、まだ結果が出ていません。戦地で役立ち結果が出てから、改めて決断を下してください」
それは、己の力で次期当主の座を勝ち取るという、静かな、けれど熱い決意の表明のように聞こえた。
アレクシオスの言葉が意外だったのか、ハーガン公爵は少し口を開き、そして閉じて、息を吐いた。
「今、父上に認めてもらえていなくても、私はこれから、必ず――」
「――何を認めてもらうのかしら」
【侵入者を確認】
【音声認識:リリアン・ヴァレリウス】
唐突に響いた声に、全員の視線が一斉に扉へと向かった。
いつの間にか音もなく開かれたその隙間から、リリアンがゆっくりと入ってきていた。
扉を開けた執事をはじめ、使用人たちは顔面蒼白になり、彼女を遠巻きにしたまま戸惑い、震えている。
――なにかがおかしい。
使用人たちが視線を向ける、リリアンの手元を注視した。
磨き上げられた大理石の床を、不快な金属音が削り取っていく。
リリアンは、その妊娠中の身体に見合わない、鋭く光る剣を引きずっていた。




