113. 局面へ向かう足
監視をされているような不快感を離れに残したまま、私はすぐに馬車で侯爵家本邸へと向かうこととなった。
本邸に到着し馬車を下りると、屋敷前の広場は、普段とは比較にならないほどの喧騒に包まれていた。
大きな馬車や荷台がいくつも並び、大勢の使用人が忙しなく動いている。
「これは……魚ですか?」
ふわりと鼻を突いたのは、冷たい冬の空気と、潮の香り。
荷馬車に歩み寄ると、そこには大量の氷が敷き詰められ、木箱の中には銀色の魚たちが並んでいるのが見えた。
「公爵様は港町へ行っておられましたからね。海の幸をお持ち帰りになられたのでしょう」
土産か、あるいは視察の成果か。
アメリアは周囲の様子を窺いながら、そっと私の耳元で囁いた
「開戦となった際、海から攻め込まれないよう、沿岸の防衛網を調査をされていたそうですわ」
領主街の守りをヴィンスに任せ、自らは最前線となる可能性のある海を調査しに行ったということだろう。
それもあって、ヴィンスは恐らく多忙を極めていたのだ。
冷徹なまでの合理性に、私はハーガン公爵という男の、領主として、公爵としての強さを再認識した。
「ハーガン公爵は、すでに邸宅内にいるのですか?」
「はい。恐らく、不在中の報告を受けていらっしゃるかと……」
アメリアは先ほどの、密偵の可能性を思い出したのか、少し不安そうに眉を寄せた。
(……仮に監視されていて、それを報告されたとしても、缶詰のプレゼンテーションは揺るがないほど盤石です)
けれど、却下の口実を画策されては困るのだ。
アレクシオスの不名誉を払拭するため。ベアトリス公爵夫人の不器用な献身に報いるため。
そしてなにより、戦地へ向かうヴィンスに少しでも万全でいて欲しい。
そのためには、ハーガン公爵には首を縦に振ってもらわなくてはいけない。
「準備を急ぎましょう」
暮れていく夕陽に背中を急かされるように、私は決戦の場となるヴァレリウス家の本邸へと、足を踏み入れた。
【環境解析:本邸・中央ホール】
【ステータス:個々の使用人の動作に、平時を上回る緊張を検知】
公爵家本邸内は、激しい慌ただしさに包まれていた。
洗練された使用人たちのなかで、複数の幼い使用人が忙しなくばたばたと走り回っている。
「以前、本邸へ伺った時よりも、幼い使用人が多いように見えます」
「ええ、使用人の採用試験が二ヶ月ほど前にありましたから。試用期間中でしょう」
ホール内の様子を二人で見渡していると、アメリアは顔見知りらしい執事を引き留めて情報を引き出し、なにやらやり取りを行った後、私に耳打ちする。
「エリス様、こちらへ。閣下は現在、執務室にてヴィンセント様より不在中の報告を受けておられるそうです」
どうやらアレクシオスの報告は既に終了し、今はヴィンスが騎士団の現状と開戦に向けた軍事報告を行っている最中らしい。
「アレクシオス様の執務室に、無事お手紙をお届けできました」
先ほどの執事に手紙を手渡したらしいアメリアの報告に頷き、グラードにも本邸へ来るよう伝言を頼んだ。
馬車に積み込んでいた、今夜の膨大な資料を一つひとつ整理し、論理の穴がないか再確認していると、冬の短い日はあっという間に暮れ、夜の帳が本邸を包み込んだ。
晩餐会の開始を告げる鐘の音が、広間に響く。
私は資料をアメリアが持ってきたカートへと預け、広間へと向かう途中の大階段を通りかかる。
カツ、カツ、と規則正しく、けれど重みのある足音が階段の上から聞こえてきた。
「エリス、早いな」
「ヴィンス」
階段を降りて来たのは、本邸に用意されていたらしい簡易的な礼装に身を包んだヴィンスだった。
普段の軍服姿も凛々しいが、正装し前髪を上げた彼の姿は、彫刻のような端正な顔立ちをより一層際立たせている。
けれど、私の目は彼の美しさよりも、その奥にある疲弊の大きさがよく見えてしまっていた。
私は弾かれたように駆け寄り、階段を降りてきた彼の元へ歩み寄った。
【生体スキャン:ヴィンセント】
【分析:顔面の毛細血管の収縮、眼窩周辺の微細な浮腫を確認】
【判定:極度の精神的プレッシャーおよび蓄積疲労。かなりの無理が生じている】
「大丈夫ですか。顔色が、あまり良くありません」
「ああ……問題ない。父上が帰ってきたからな、明日からは多少この忙しさもマシになるだろう」
ヴィンスは掠れた声で答え、安心させるように口元を少しだけ綻ばせたが、その微笑みさえも、無理やり絞り出したものに見えて胸が痛む。
開戦前のじりついた情勢が、彼の精神と肉体を限界まで削っているのだろう。
「エリスこそ、大丈夫か」
「なにがですか?」
ヴィンスが自然な仕草で手を差し出す。
私はその手に誘われるように指先を重ね、甲冑の置物が並ぶ廊下を、隣に並んで歩き出した。
「君のことだ。今日のためにまた無理をして、資料をまとめたりしていたんじゃないかと思ってな」
「アメリアに管理されていますから。無理のしようがありません」
「それはそうか」
私の答えに、ヴィンスがくつくつと肩を揺らして低く笑う。
聞きなれた彼の声音に、私の胸の奥に温かな心地が広がっていった。
銀の甲冑が並ぶ廊下を並んで歩いていると、大広間の入り口が見えてきた。
重厚なオークの扉の前に立つ執事が、私たちの姿を認め、ゆっくりと扉を開く。
「――ヴィンセント様、エリス様がご到着です」
ヴィンスが私の手を、少しだけ強く握り締める。
私も、その温もりに応えるように握り返した。
高らかに響く先触れの声と共に、私たちは光溢れる広間へと一歩を踏み出した。




