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111. 疲弊した背中への同期

 

 アメリアたちの慌ただしい準備に急かされながら、私はベアトリス公爵夫人と同じ馬車に乗り込んだ。


 揺れる公爵家の立派な馬車の中。

 向かいには扇子を握ったベアトリス公爵夫人が座り、私の隣には心配そうに、けれどどこか嬉しそうなアメリアが腰掛けている。


「運搬と重量のテストを騎士団で行うという話だったでしょう? 数がまとまってきたから、本日行うわ」


 目的地は、騎士団詰所。

 最近、満足に帰宅もできていないヴィンスの職場だ。

 ベアトリス公爵夫人は、既に工場から詰所への運び入れも手配済みだという。


「急な誘いになってしまって悪かったわね。元々は私も立ち会う予定ではなかったのだけど……直接見た方が早いと思ったのよ」


「ハーガン公爵が帰ってくるまであと一週間ほどだから、ですか」


「ええ、それも少し早まりそうなのよ。最終確認を急がなくてはいけないわ。それに貴女も……」


 ベアトリス公爵夫人はそこで一度言葉を切り、ふいと視線を馬車の窓の外へ逸らした。

 結露で白く曇り始めたガラス窓の向こうでは、凍てつく街の木々が重たげな雪を纏い、静まり返っている。


「ヴィンセントと、会えるのではなくて」


 思いがけない言葉にぱっと顔を上げた私を、ベアトリス公爵夫人は見ようともせず、扇子で口元を隠した。

 隣からアメリアの柔らかで小さな笑い声が漏れる。


「ふふ……あら、すみません。思わず」


 アメリアは懐かしむように目を細め、ベアトリス公爵夫人を見つめた。


「……やはり、昔とお変わりありませんわ。不器用でお優しい、私がお仕えした頃のビーチェ様のままですわね」


 ビーチェ……とは、アメリアが侍女をしていた時の、ベアトリス公爵夫人の愛称だろうか。

 そう呼ばれた彼女は、一瞬だけ驚いたように、いつも涼やかな目を見開いたが、すぐにまた扇子を口元深く被るようにして顔を背ける。

 ――けれど、顔をそむけたことでよく見えるその耳の端は、僅かに赤みを帯びていた。



 * * *



 ほどなくして、馬車は騎士団詰所に到着した。

 馬車の扉が開いた瞬間、身を切るような寒風が吹き込み、私の頬を鋭く撫でる。

 隣国との交渉が拗れ、開戦のムードが高まっているせいか、騎士団全体にぴりぴりとした刺すような緊張感が漂っていた。


【スキャン:騎士団詰所外観】

【構造:堅牢な石造り。3階建ての本部棟に加え、広大な訓練場、馬小屋、および兵舎を確認】


 ここに、いつもヴィンスがいる。

 不思議な感慨に浸っていると、奥からジャック副団長が姿を現した。

 以前、缶詰の説明や試食の際に会った時よりも、その顔から滲む疲労の色は濃い。


「ベアトリス公爵夫人……まさか直接ここへ足をお運びいただくとは……」


「準備は済んでいるかしら」


「え、ええ、もちろん。今から荷台に缶詰の木箱を詰め込み、馬をつないで――」


 ジャックが奥の訓練場を示しつつ説明を始めようと手を向けると、ベアトリス公爵夫人の少し後ろにいる私に気づき、思い切り二度見をした。


「えっ!? エリス様ァ!?」


「お邪魔しています、ジャック副団長」


「え、ま、エリス様もご一緒で……!?」


 私も一緒に来ているのが予想外だったのだろう、混乱し始めた彼を、ベアトリス公爵夫人が冷たく制した。


「ヴィンセントはいるのかしら」


「えっ、は、はい、今は作戦会議室です。ここ三日、椅子で仮眠を取る以外はずっとあそこにいまして……」


 その言葉に、勝手に自分の顔が痛ましげに歪んだような気がした。

 それをごまかすように、私は抱きしめるように持っていた資料をより強くぎゅっと握りしめる。


「運搬に関する資料や重量の計算結果を持ってきました。……ヴィンスに、届けてもいいでしょうか」


「もちろんです! この後、団長も積み荷検査を見に降りてくるところでしょうから、先に訓練場へとご案内します! きっと喜びますよ!」


 ベアトリス公爵夫人とともに、ジャック副団長に連れられて歩く。

 馬が全速力で走れるほどの広さがある訓練場に差し掛かる、案内された入口近くの外廊下。

 その廊下の先、立ったまま柱に寄りかかり、手元の書類に濃紺の万年筆を走らせている大きな背中を見つけた。


 その姿を目にした瞬間、足が勝手に踏み出してしまう。

 私はベアトリス公爵夫人を置いて、ジャック副団長を追い越し、白いブーツで廊下の石を鳴らして駆け寄った。

 慌てて追いかけて来たジャック副団長と共に、ヴィンスの後ろで立ち止まる。


「……ジャック。悪いが、後にしてくれ。今は計算が合わない」


「計算なら、代わりに私が確認しましょう」


 思わず口を突いて出た声に、ヴィンスの肩が、目に見えて跳ねた。

 彼がゆっくりと振り返ると、その瞳が少し大きく見開かれ、そして、隠しきれないほどの深い熱が灯るのが見えた。


「……エリス?」


【生体スキャン:ヴィンセント】

【分析:睡眠不足による意識レベルの低下、筋肉の過度な緊張を確認】

【判定:活動限界に近い。即時の休息および栄養摂取を推奨】


 私が歩み寄ると、ヴィンスは吸い寄せられるように手を伸ばし、私の頬に触れようとした。

 けれど、ふとその手は空中で止まってしまった。


「すまない、汚れているな」


「構いません」


 私は、止まった彼の手を自分から取り、冬の冷気に晒されて冷え切った指先を両手で包み込んだ。

 触れた瞬間に胸が高鳴るのに、馴染んでいく体温になぜか落ち着きを覚える。

 ヴィンスも同じ心地だったのだろうか、張り詰めていた表情が緩んだ。


「ふ……幻覚ではないようだな。なぜここに」


「騎士団での缶詰の運搬テストに、お誘いいただきまして」


 視線を後ろに向けながらの私の言葉に、ヴィンスはようやくジャックの後ろに控えていたベアトリス公爵夫人の存在に気づいたようだ。

 私のすぐ後ろに進み出た母親を見て、ヴィンスが少し眉を寄せる。


「母上……。自らお越しになるとは」


「工場の管理者なのだから、当然でしょう」


 二人の間に流れる、少しだけ緊張感のある空気。

 それを打ち破るように、ジャック副団長が訓練場を指さし声を上げた。


「荷台への積み込みテストが始まりましたよ!」


 訓練場の中央では、雪が踏み固められた硬い地面の上で木箱を荷台に詰め込み、馬を走らせる実地テストが開始されていた。

 私は手元の資料をヴィンスに差し出した。


「ヴィンス、運搬に関する資料と計算結果です。実地テストの補足に使用してください」


「これは……後で作らなければならなかったものだ。助かる」


 私の差し出した資料を受け取ったヴィンスから、代わりに彼が持っていた計算が合わないと言う書類を預かる。

 それは缶詰の買い上げに関する、個数や金額が並ぶ物資調達明細書だった。


【高速解析完了】

【エラー検知:第14行目以降、数値の記載ミスを確認】


「これは……単価と個数がずれていますね。ここの行からです」


「……本当だな。見逃していた」


 やはり、単純なミスを見逃すほど、疲れ切っているのだろう。

 ヴィンスは明細書を私から受け取ると、小さく息を吐き、真剣な眼差しで私に向き直った。


「隣国との交渉が拗れてきて、本格的な開戦が近い。……一緒にいられなくて、すまない」


 ヴィンスの言葉に、私の胸元がきゅっと締め付けられた。

 アメリアが部屋に持ってきてくれるようになった最近の新聞でも、どこを開いても開戦間近という煽り文句に溢れている。

 戦火が上がれば、メルカンテ連合との国境に面したこの領の騎士団長であるヴィンスが、真っ先に最前線へ向かうことになる。


「団長、積み込み数量を変えてのテストですが――」


「ああ、今行く。――会えて良かった、エリス。それじゃあ」


 訓練場から駆け寄ってきた騎士に呼ばれ、ヴィンスは資料を手に、荷台の方へと向かっていった。


 遠くなっていく、その背中。

 重たい荷台が馬によって動かされるのを見ながら、言いようのない不安に身体の内側が揺れているように感じた。


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