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108. 改良設計図の提示

 

「遅かったわね」


 四人で連れ立って応接室に足を踏み入れると、冷ややかで凛とした声が私たちを迎えた。

 部屋の主であるかのように、すでにソファに深く腰を下ろしていたのは、ベアトリス公爵夫人だ。


「母上、お待たせしてしまい申し訳ございません」


「先に到着されていたとは……」


 ヴィンスとアレクシオスが揃って頭を下げる。

 ベアトリスは、いつもより歩きやすそうな、それでいて気品を損なわない落ち着いたドレスを纏っていた。


「アレクシオス、あなたのように馬車で来ては目立つでしょう。庭園の散歩がてら、徒歩で来ただけよ」


「しかし母上、侍女たちはどうしたのです。まさかお一人で?」


「侍女たちは今頃、温室でお茶会をしているわ。……まるで、私がそこにいるかのようにね」


「……次からは、私も気をつけます」


 ハーガン公爵は現在不在のはずだが、彼の側近や使用人たちの目をかいくぐるための、徹底した隠密行動。

 その手腕に、アレクシオスも苦笑するしかなかった。


 ジャックの挨拶も一段落したところで、私は一歩前に出た。


「職人の説明と意見も聞くべきかと思いましたので、グラードも呼んでおります」


 アメリアが扉を開けると、扉の外で待機していたグラードが、今までに見たことがないほど緊張した面持ちで入室し、深々とお辞儀をした。

 そのまま私の後方に立って、小さく縮こまっている。


「ではさっそくですが、始めさせていただきます」


 アメリアが運んできたカートから資料を中央のテーブルへ並べると、ベアトリス夫人がソファに居直る。

 ヴィンス、アレクシオス、そして極度に緊張したジャック副団長もテーブルを取り囲むように座った。


 私は設計図を掲げ、長期保存食としての缶詰の概念を、初めて聞く夫人とジャックに向けて論理的に説明を開始した。

 鉄とトマトを用いたこの開発品が、いかに騎士団の遠征において革命をもたらすかを、改めて淡々と説く。


「――では、開発品をご確認ください」


 私の説明がひと段落するとグラードが静かに進み出て、緊張でわずかに震えた手で、テーブルの上に五つの試作缶詰を並べた。


「鉄の塊じゃない」


「この中に……本当に食品が?」


 ベアトリス公爵夫人は設計図と実物を鋭い目で見比べ、アレクシオスは恐る恐るその冷たい金属の肌に触れる。

 一方でヴィンスは、二つの缶を持ち上げると、あえて強めに互いをぶつけて見せた。


「少し重いが……強度は十分だな。落としても割れる心配はないだろう」


「運んでいるときに漏れるといったことはなさそうですねェ」


 ジャック副団長も真剣な眼差しで、密閉部の精度を注視している。

 騎士視点での基準は、どうやらクリアできているようだ。


「食品なのだから、重要なのは安全性と味ではなくて?」


「はい。ですので――」


 ベアトリス夫人の鋭い指摘に私が頷くと、アメリアが待機していたかのように、湯気の立つ皿を乗せたカートを押して入ってきた。


「皆様、こちらが中身の試食となります」


【成分分析:トマトソース煮込み】

【内容:裏ごししたトマト、細切れの豚肉、ハーブ数種】

【参照:『フランス軍アペールのラグー』『イギリス軍マコノヒー・シチュー』】


 グラードに追加で頼んだ缶切りで、手元の缶も開けて見せつつ説明をする。

 疑い深い様子でスプーンを手にしたベアトリス夫人に続き、全員が試食を始めた。


「これは温めて食べるものなのかしら」


「冷たいままでも食べられますが、湯煎や焚き火の傍に置くことで、容易に温めることが可能です」


 私の説明を聞きながら、アレクシオスが資料をめくる。


「一般への普及も可能ということか……。確かにこれは十分、食事として成り立っている。……素晴らしいな」


「美味しいじゃないですか! 団長、雪の中での暖かい食事は染みそうですねェ!」


 ジャックの興奮した声に、私はふと引っかかりを覚えた。

 少し考え込むように口元に手をやり、問い返す。


「戦地となる想定の場所は、寒冷地域なのですか?」


「え? ええ、国境の雪山じゃないですかねェ」


「まだメルカンテ連合との交渉中だがな」


 ヴィンスが注釈のように付け加える。

 隣国メルカンテ連合との交渉は依然として迷走しているらしい。


「味付けが騎士向けに濃いのは理解できるわ。けれど……ほんの少し、鉄臭さがあるわね。気になるほどではないけれど」


 口元を拭きながらこちらを見るベアトリス夫人の言葉にも、私はまた考えを巡らせる。

 想定よりもやはりトマトの酸が強く、金属を侵食している可能性があるようだ。


「これは本当に、長期保存が可能なのかい?」


「……そうね。一番の目的はそこでしょう」


 アレクシオスとベアトリス夫人は、不安を抱えた様子で問いかけてくる。

 私はすぐに、頷いて見せた。


「その点は問題ありません。今皆様が試食されたのは、一ヶ月間、工房に置いていた缶詰の中身ですから」


 その場に凍りついたような静寂が流れた。

 窓の外で、積もった雪の重みに耐えかねた枝がバキリと音を立てて折れる。


「それは試作第一号……一ヶ月前に作った缶詰です」


 低く静かな声がその静寂を破った。

 私の後ろから再び進み出て来たグラードが、誇らしげにテーブルに置かれた缶を手に取る。


「鍛冶場の傍に置いて、あえて過酷な温度変化も経験させました」


「もちろん毒見は先に済ませておりますから、ご安心ください」


 アメリアの補足が、グラードの声に重なる。


「一ヶ月……! 腐敗もせず、この鮮度を保っているというのか!?」


「開発はもう完璧に済んでいるということね」


「ならば、あとは騎士団で強度と運搬テストを行って量産を――」


 驚愕するアレクシオスと、納得に頷くベアトリス公爵夫人。

 ヴィンスも続いて、実用化へ話を移そうとした。

 ――けれど。


「いいえ」


 量産の話に進もうとするヴィンスたちの言葉を、私は遮った。

 私は新しい紙を取り出し、ジェシカたちと作り上げた万年筆をポケットから抜く。


「今、皆様からいただいた懸念点を改良した上で、量産を検討すべきです」


 けれど、ペン先が紙に触れる直前。

 私のシステム内に、迷いというノイズが発生してしまう。


(……この世界の現状から、あまりに飛躍した技術を、私が一足飛びに提供してしまっていいのでしょうか)


 私のAIアーカイブにある最適解をそのまま提供してしまうことは、この世界の人類から、自らの力で歩む機会を奪うことにならないだろうか。

 なぜか今更ながらに、自分の行いに不安が生じていた。


「――どうした、エリス」


 ペンを浮かせたまま硬直した私に、ヴィンスが静かに問いかけた。

 私の止まったこの様子は、他の人たちには、改良案を練っているように見えただろう。

 けれど、ヴィンスだけは――私のシステムの奥で渦巻く、言葉にできないなにかを察したようだった。


「いえ、少し……悩んでしまって」


 それを聞いたヴィンスは静かに立ち上がり、私のすぐそばに座り直した。

 彼は、まだなにも書かれていない白い紙を、指先でトントンと叩く。


「問題ない」


「え……?」


「君が思うままに、書けばいい」


 真っ白な紙を指差す彼の言葉は、ノイズをすべて消し去るほどの、絶対的な全肯定だった。

 私の考えをどこまで読んでいるのかは分からないが、その言葉は確かに私の背を押した。


 そうだ、人類がどう進歩するかは、人類が決める。

 そもそも、機会を奪うなどという考えがおこがましかったのかもしれない。人類が進歩を止めることなど、あり得ないのだ。

 私が一つの最適解を出したとしても、彼らはそれを土台にして、さらなる未来を築いていくだろう。

 だから、『問題ない』。


 私は顔をぱっと上げ、ヴィンスを瞳をまっすぐに見た。


「懸念点を払拭する最適解を提案します。改良設計図を提示可能です」


「ああ、やってくれ」


 ヴィンスが安堵したように、僅かに微笑む。

 その横顔にまた背を押されて、私は淀みない動きで新たな設計図を書き記し始めた。



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