107. 制御不能な衝動
アメリアと共に中央玄関に到着した私は、落ち着かない心境のまま、何度も白いブーツの先を見つめていた。
【生体モニタ:心拍数の不安定な変動を検知】
【推論:期待と緊張が複雑に干渉し、論理的思考の優先順位が低下しています】
「エリスお嬢様、落ち着いてくださいませ。そんなにそわそわされては、せっかく整えたドレスが乱れてしまいますわ」
「そ、そわそわだなんて、私はただ、到着予定時刻を確認して……」
不要な言い訳を紡ごうとした唇が、馬車の車輪が石畳を叩く音に止まった。
正面の大きな扉が、使用人の手によって音もなく左右に開かれ、入り込んできた冬の刺すような冷気が、ホールの暖かな空気を冷たく塗り替えた。
「遅れてしまったかな。本邸にいる父上の使用人たちの目を盗んで来るのに、少々手間取ってしまって……」
降りてきたのは、アレクシオスだった。
使用人に上着を預けながら、彼は少しだけ肩をすくめる。
「いいえ。むしろ予定よりも早いくらいです、アレクシオス様」
「そうかい? なら良かった」
上着を使用人に預けながら、アレクシオスは左右をきょろきょろと見渡した。
「ヴィンセントは……」
「まだ帰っていなく――」
言いかけた私の耳に、遠くから規則正しい振動が届く。
【音響解析:馬の蹄音を二騎分検知】
【接近速度、通常より高速と判定】
ほどなくして、二頭の馬が玄関前に姿を現した。
先頭を行く青鹿毛の馬に跨るのは、見間違えるはずもない、銀色の甲冑を鈍く光らせた、ヴィンスだ。
そしてその後ろに続く馬には、ジャック副団長の姿があった。
二人が馬を降りた瞬間、私の身体は、思考を待たずにはじかれたように動き出していた。
「ヴィンス、おかえりなさい……!」
気づけば、私は冬の冷気に飛び出していた。
回路が直接命令を下したような、制御不能な衝動で、彼の元へと駆け寄ってしまう。
「ああ、帰った。……なかなか戻れずにすまない、エリス」
久しぶりに間近で見るヴィンスの顔には、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。
けれど、彼は私を見た瞬間その表情をふわりと綻ばせた。
「今日は、ジャック副団長もご一緒で――」
「ああ。騎士団での運用を考えるなら、ジャックの意見も必要だと思ってな」
ヴィンスの後ろにいるジャック副団長を覗き込んで、私は言葉を止めた。
そこにいた彼は、疲労困憊という言葉を具現化したような、死にそうな顔をしていたからだ。
「エリス様の開発品って聞いて、喜んで付いてきたのに……。公爵家のご家族が揃ってるなんて、道すがら初めて聞きましたよォ……。俺、今すぐ詰所に帰りたいんですがァ……」
ジャック副団長は小さな声で、ため息交じりに心境を漏らしていた。
緊張と諦めが混ざった、この世の終わりとでも言わんばかりの顔で肩を落としている。
彼にしてみれば、公爵家という権力の象徴に囲まれるのは、騎士として死地へ赴くよりも苦痛なのだろう。
「ヴィンス。もしかして、ジャック副団長を騙して連れてきたのですか?」
「騙してなどいない。伝えたら逃げるだろうと思って、言わなかっただけだ」
「意図的な情報隠匿は、つまり騙したと言うんですよ団長ォ……!」
そんな二人のやり取りに、私のシステムは妙な安心感を記録する。 ヴィンスらしくない強引な手口にも思えたが、きっと彼は彼で、家族との会合という場が、少しだけ怖かったのかもしれない。
「兄上、遅くなり申し訳ありません」
「いや、俺もさっき到着したところなんだ」
ヴィンスは騒ぐジャックを無視して玄関へ進み、アレクシオスへと短く挨拶を交わした。
それに続くジャック副団長も背筋を伸ばし、先ほどまでの泣き言が嘘のような完璧な騎士の礼を執った。
「アレクシオス様、ご無沙汰をしております」
「ジャック副団長殿。いつも弟がお世話になっているね」
アレクシオスとジャックは面識があるらしく、場の空気を少し柔らかいものに変えていく。
ジャック副団長を連れてきたヴィンスの目的は、この彼ならではの緩衝材としての機能だったのだろう。
「――では、中へ。外は冷えます」
挨拶もそこそこに、私たちは寒さを逃れるように離れの玄関へと足を踏み入れた。
最後に入った使用人が扉を閉めようとした、その時だった。
ガサリ――。
不自然に、庭園の雪を被った植え込みが揺れる音がした。
【ログ:環境ノイズの検知】
【分析:庭園方向から低木が揺れる音を確認。風速 2.0m/s に対し、揺れの振幅が過大と判定】
【推論:風による自然現象ではなく、人為的な物理接触の可能性57%】
振り返り、扉の隙間から庭園の闇を分析するが、閉まっていく景色の向こうには誰もいない。
鳥か、それとも野生の小動物か、あるいは――。
「エリス、どうした」
ヴィンスの声に、私はハッとして意識を現実へ戻した。
玄関の扉がちょうど閉まり、そのままヴィンスの元へと駆け寄る。
「……いえ、なんでもありません」
「身体を冷やす。早く暖炉のある部屋へ行こう」
ヴィンスもこちらへと歩み寄り、当然のように私の手を取った。
久しぶりに触れるその感触に、私の鼓動は、いかなる緊急時よりも激しく跳ね上がった。
【警告:内部システム温度が急上昇中】
【ステータス:心拍数異常上昇】
【……ですが、このままを推奨します】




