王の正体
「――あなた、」
スノウベルの口の端から、真っ赤な血が零れ落ちる。
俺は言葉を失った。ひくりと喉がおかしな音をあげる。
まるで一瞬、時が止まってしまったように感じられた。スノウベルは目を見開き、王様を眺めている。どくどくと、その胸から馬鹿みたいに血が溢れていた。
「あなた、だれなの」
どさりと彼女は崩れ落ちる。辺りに血が広がっていく。
「――――はっ」
息の仕方が分からない。マルセルもリナリアも、呆気にとられて突っ立っている。俺でさえそうすることしかできない。
落ち着け、落ち着くんだ。刺されたのはあの子だ。俺じゃない。あの子が――あの子が
「たわいもないものだな」
王の唇が、弧を描いた。乾いた笑い声が洞窟に響き渡る。あははは、ははは、はははははは。
静謐な洞窟に、嘘みたいな声音が響き渡る。俺は唐突に正気に返った。
ぎっと王に視線を向け、武器の柄に手を掛け身を構える。視界が歪みそうになるのを堪え、躊躇なく剣を抜き放った。
「ああ、カイン」
彼は振り返り、目を細めた。火を映した青の瞳が、まっすぐに俺を見やる。
「俺を殺す気か? 一国の王を?」
「お前はアルフレッドじゃない」
世界が揺らいでいく。俺は泣いているのかもしれない。視界の端で倒れているスノウベル。
ああ、よくも――よくも彼女を。
俺は知っている。アルフレッドはあの子を憎んでいた。
でも彼は、こんな狡いやり方をする男じゃない。
俺は誰より、それを知っているのだ。
「セルリアン・バレット」
衝動のまま吐き捨てれば、王はわずかに眉を潜めた。名前はきっと、魔法を解く鍵なのだ。
二つの青い瞳に映るオレンジ。それらは混ざり合い、絵の具のように溶け、やがて琥珀色になった。そうしてみるみるうちに、彼の顔つきが変わっていく。金髪だと思っていた髪は、金とも銀ともいえない薄い色へ。着ていた礼服は白く緩慢なものへと。
「やあカイン。一度会ったきりだろう? 僕を覚えてくれていたとは、光栄だ」
神妙な笑顔を浮かべるセルリアン。魔法を解かれるのは想定内らしい。その余裕じみた態度さえ、俺は気に喰わなかった。この男はスノウベルを傷つけた。それだけで、俺が切る理由は十分だった。
不意にリナリアが走ってきて、何かの呪文を唱えた。彼女の手から光が溢れ、スノウベルに零れていく。そういえば彼女は光の魔法の使い手だった。けれどもほっとするのは早かった。治療が得意なはずの彼女は、浅い息で声を震わせたのだ。
「た、足りない」
冷静さを保とうとしているが、彼女の瞳はとっくに揺らいでいた。
「どうしよう、わたしの力じゃ、間に合わない」
俺は素早く剣を構えた。スノウベルのことはリナリアに任せるしかない。問題は、目の前の相手だった。
「この子を傷つける必要があったか? ――あの子は何もしていない!」
「君はなんにも分かっていないようだね。――ねえカトリーヌ?」
セルリアンは嘲るように笑って、捕らえられた妹へとほくそ笑んでみせた。カトリーヌは何も言わなかったが、その目が少しだけ細められた。ああ、似た者同士だな。兄妹で一体何を企んだのだろう。なぜスノウベルを傷つけた。なぜ――なぜ、
「復讐と、言わなかったかしら」
口を開いたのはカトリーヌだ。動こうとした彼女を、マルセルがぐっと抑えつける。
セルリアンがとがめるように片眉を上げた。
「妹に乱暴はよしてくれ。――正直、君たちのことなんてどうでもいいんだ。でも邪魔をするなら殺してしまうよ。とにかく――そう、これは復讐さ」
言いながら、眩く光る魔灯を大切そうにそっと撫ぜた。
「僕らの両親は魔女に殺されたんだよ」
はっと、俺はわずかに目を見開く。けれども次いで、ぎり、と剣を握る手に力を込めた。
「この子が殺した訳じゃないだろう! なぜ――」
「愚問だ」
ぎろりと、琥珀の瞳が俺を射抜いた。
「そうとも。両親を殺したのはスノウベル・メイアスでも、その母親でもない。――だけれどね、魔女というだけで罪なんだよ。奴らの血族は滅びるべきだ」
セルリアンは自分の言葉が、さも真実であるかのように続けた。
「魔女と魔法使いがまったくの別物であることは、よく分かっているよね? 魔女は邪悪だ。古くよりこの国を害した災いそのものだ。国のために動く魔法使いとは訳が違う。魔女は人を殺し、盗みを働き――王家に害を成し――」
「それとお前達の、何が違う!」
セルリアンが動きを止める。まるで不愉快だという視線に構わず、俺は叫んだ。
「王家だって魔女を迫害した。どっちが先に手を出したかも分からないのに! ――後の連中は皆、この国そのものが――意味のない争いを繰り返しているだけだ!」
「君は王に仕えていたんじゃないのか? 憐れなものだね。魔女に骨抜きにされてしまって」
ぐっと、俺は奴に剣を向けた。
いい加減にしろと、吐き捨てる代わりに切っ先を突きつける。あの子を侮辱されるのには、もううんざりだ。
確かに俺はもうとっくに魔女の騎士になって、王家に剣を向けている。だから裏切り者で間違いない。――でも今俺が言いたいのはそんなことじゃなかった。俺は考えなしにスノウベルについたわけじゃない。あの子のやさしさを知って、寂しさを知って、――傍にいたいと願ったのだ。
セルリアンは何も知ろうとせず、スノウベルを敵とみなした。国の誰も彼もが、彼女を悪者と思い込んでいる。
そうしてきっと、魔女が恐れる王の姿も、先祖に起因するものだ。アルフレッドは悪い奴じゃない。少なくとも、根は思いやりのある人間だ。
そんな簡単なことに誰も気づかず、すべてがぐちゃぐちゃになっている。
誰もアルフレッドや、スノウベルのことを知ろうとしない。
「なぜあいつらを見てやらなかった」
いつの間にか、俺は堰を切ったように叫んでいた。
「アルフレッドの傍にいたのに、お前はなにも見なかった」
もう取り返しのつかない何もかもが、やりきれなさと共に、喉をついて溢れてくる。
「お前はスノウベルのことを、なんにも知らずに憎んだんだ」
あまりの悔しさに、歯ががちがちと震えそうになる。それを抑えようと、奥歯をぎっと噛み締めた。




