現れた魔灯(ロードリンデ)
マルセルがそっと傍に歩いてくる。
「驚いた――珍しくかっこよかったですよ。いつもと別人みたいでした」
「それ、褒めてるのかけなしてるのか分からないな」
俺は困ったように笑うと、頬の汗をぬぐった。なんだかべたりとした感触がして、見れば、頬の傷をこすってしまったのだと気づいた。手の甲が赤いが、まあ今はどうでもいいことだ。
ごう、と洞窟の奥から風が吹く。
俺は鋭くそちらを見据えた。ああ、魔法に疎い俺でも分かる。
この先で何かが起こっている。何かが渦巻き、巻き起こり、洞窟を揺るがしている。
そうして、かすかに――確かに、あの子の叫び声が聞えた気がした。
俺は無言で駆け出した。もう何も言う事ができなくて、ただあの子の傍に行かなければならないと、弾かれたように走り出した。
「先輩!」
マルセルが、叫んで後をついてくる。
洞窟は暗い。その奥から、ごうごうと不思議な何かがとどろいていた。
辿り着いた俺達は、息を切らしながら足を止める。
そこに、スノウベルはいた。いや、かすかに見えた気がしただけだ。座り込み、動けなくなっている彼女の姿が、うっすらともやのように見えた気がした。それと言うのも、辺りを取り巻くおぞましい何かが、竜巻のように行く手を塞いでいる。
思わず剣で切ろうとしたが、はじき返されてしまった。一体どうなっているんだ。
「カトリーヌが……!」
リナリアの声がする。ふと横を見れば、半分泣きそうな顔をした彼女が、立ち尽くしたまま竜巻の中央を見据えているのだった。
「カトリーヌが魔法を……! わたしのせいなの……! わたしがやり方を教えたせいで……!」
「黙ってろ。お前のせいじゃないさ」
俺は鋭く言ってやった。マルセルの言った通り、リナリアは善意で魔法を教えてしまったのだろう。確かにその結果こうなった。けれどもしも真実を知っていたら、リナリアだって教えるはずもない。彼女はカトリーヌの策略に巻き込まれただけ。結局騙されただけなのだ。
「カトリーヌはどこだ?」
俺は辺りを睨みつける。奴の姿が見えないのだ。マルセルがすかさず口を動かした。
「恐らく幻影と一体化しています。高度な技です」
「どうやったらこれを消せる?」
「メイアス先輩が――自分で目を覚ますしか……」
俺はぐっと眉を吊り上げる。
俺の友達を傷つける奴は赦さない。ロディオやアルフレッド、リナリアや巻き込まれたマルセル。そして俺の大切なスノウベル。
彼らを傷つける者は赦さない。
「スノウベル」
俺ははっきりと、彼女に聞こえるように呼び掛ける。
竜巻のように渦巻く魔法の中、ぼんやりと見える彼女は座り込んだままだ。
「スノウベル――そこにいるんだろう!! 魔法を使え!!」
あの子が目を覚ますしかないのなら、俺はその手助けをするだけだ。思い切り声を張り上げ、届けるように声を張る。
「自分が誰だか知っているだろう!! 君は結界の中にいる! ガラスで裂け目を作るんだ!」
「無理よ!」
泣き叫ぶような声が返ってきた。堰き止めていた何かが、爆発したように響き渡る。俺はハッとした。
彼女の声は怯え、震えている。
「できないわ! あなたをまた傷つけてしまう!」
その言葉に、心臓が揺さぶられるような心地がした。
スノウベルは、本当はやっぱり怖かったのだ。
自分が魔女であることが。自分の持つ強大な魔力が。
あの子はちゃんと、それを隠していた。澄ました顔をして大丈夫だと笑っていた。だから俺は、それに甘えてしまっていたのだ。気がついてあげるべきだったのに。
今まで押し隠されていた不安がや恐怖が、彼女の中から溢れ出している。幻影はきっと、今あの子に恐ろしい夢を見せているのだ。
「やさしくするのはやめて! わたしは何もあげられないわ! 傷つけることしかできないのに!」
俺は気づいてやれなかった。もっと早く知るべきだった。
あの子は怖くてたまらないのだ。魔女であること、魔法そのもの、そして俺に嫌われることが。
ああ、馬鹿だな。相変わらずだ。俺も君も、大切なことに気がつくのに、いつも時間がかかってしまう。
「君が俺を傷つけることはない!」
俺は精一杯、そう声を張り上げる。魔女であることも含めて、すべて君なのだと。
そんな君だからこそ傍にいるのだと、どうしたら伝わるのだろう。
「俺を誰だと思ってる? 魔女の騎士だぞ!」
ごうごうと形のない魔法が渦巻いている。
そこへバキリと、突き刺すようなガラスの結晶が現れた。
バキバキバキと、鋭くおぞましい音を立てながら――ああ、その音すら愛おしいだなんて、俺の頭はもうとっくに、君にやられてしまっている。
ガラスの結晶はあっという間に広がって、竜巻を突き刺し、ついには渦巻く魔力をかき消した。
やがてガラスの結晶の真ん中に、とうとうその姿がはっきりと現れた。
俺の魔女は顔を上げ、美しい紫の瞳で、はっきりと俺を見つけ出した。
「……カイン……!」
二つの瞳は澄んでいる。泣いた後の頬が赤くなって、でも彼女はようやっと、微笑みを湛えていた。
俺は笑い返した。
君が魔女であること。それを恐れることは何もない。他ならぬ君がそのことに気づいたのだと、俺はうぬぼれてもいいだろうか。
なんだかひどくほっとして、とても温かな気持ちになって、彼女の元へ歩みを進めた。
もう一度彼女と会えたことが、こんなに嬉しい。そうとも、俺は魔女の騎士だ。
もう君は、なにも怖がる必要はないんだ。
その時、スノウベルの目の前で何かが光るのが見えた。地面からすうっと解き放たれたように。
オレンジ色に輝くそれは、眩しいランタンのような形をして、ゆっくりと洞窟から現れたのだ。まさしくそれは魔法のランタン――魔灯だった。
俺はもっと大きな何かを想像していたけれど、どうやら違ったらしい。ただ灯として封じ込められた炎が、煌めき爆ぜるようにして、眩い光を放っているのだった。スノウベルの作ったガラスの結晶に、オレンジ色の灯りが反射して酷く明るく辺りを照らしている。
そっとランタンを手に取ったスノウベルの姿は、絵画のように美しかった。
「魔灯……」
呟いた彼女に、俺はゆっくりと近づいた。俺達は言葉少なに再会を喜び、同時にランタンの光に目を奪われていた。とにかくそれは、あまりに眩しかったのだ。
「大丈夫かスノウベル。……それに一体、これは……」
「わたしと彼女の魔法がぶつかったでしょ。きっとそれに反応したんだわ」
言いながら、振り返ったスノウベルの先で、ぐったりと倒れる誰かの姿があった。
カトリーヌだ。彼女は少しの間顔を歪めていたが、オレンジ色の光に気が付くと、はっと目を見開いた。
「魔灯……!!」
立ち上がろうとした彼女を、ぐっと何かが押さえつけた。
何かと思えば、いつの間にかマルセルが彼女の横に立ち、鋭い眼差しで見下ろしているのだった。どうやら魔法を使っているらしく、その手から光が溢れ、ワインレッドのマントがはためくように揺れている。
「逃げられると思わないで」
マルセルは淡々と告げた。赤い大きな瞳が、つまらなそうにカトリーヌを射抜く。
「あの日、闘技場で僕が追ったのはあなただ。あなたは幻影の魔法を使っていた。まだ不完全だったそれを、リナリアの善意を利用して少しずつ完成させた」
ぎっと、カトリーヌが彼を睨む。
「だから何だって言うの。――そうよ、リナリアは騙しやすかったわ」
なんてことを言うんだろう。俺はそっとリナリアを見やった。端ですべてを見ていた彼女は、酷く傷ついた顔をしている。あの表情から察するに、酷く後悔しているのだろう。リナリアはそのやさしさに付け込まれたのだ。楽観的に見えて考え込む彼女のことだ、どうせ酷く自分を責めているに違いない。




