スノウベルと彼の声
ごう、と風が吹く。
灰色の髪がうねるように現れる。揺れる風そのもののように、綺麗な女の子が現れた。同じ魔法科の三年生。ただあまり喋ったことはないけれど。
「カトリーヌ……?」
リナリアが目を見開いている。
「どうしてここに!?」
「魔灯を探しに来たのよ。――隠し場所の候補は50個ほどあったから、大変だったけれどね。――ロディオが喋ってくれたらもっと早く見つかって、今頃国外に出られたのに。――彼、口が堅いんだもの」
半ば面倒くさそうに彼女は言う。わたしはぐっと目を鋭くさせた。
ロディオはカインの古くからの友人だ。アルフレッドと三人で、よく一緒に過ごすのだとカインは笑って言ったものだ。
最近は様子がおかしいと聞いていたが、もしかしたらカトリーヌが関わっていたのかもしれない。
当の彼女はひどくつまらなそうに、しかしどこか愉しそうにこちらを見た。まるで見下すような視線だ。
「ここへ来るにも、それなりの段取りがあったのよ。魔力が使われた反応のある場所を、片っ端から探したわ。兄さんとわたしと一緒になってね。――今になって、ようやく目星をつけることができた」
ぐっと、わたしはカトリーヌを睨んだ。
「魔灯を使って何をすると言うの」
「復讐よ」
にっこりと、彼女は笑った。
「魔女へ復讐するの――それまでせいぜい、夢を見ているといいわ」
ごぉお、と風が巻き起こる。空気の色が変わっていくのを、わたしは肌で感じた。全身の毛が逆立つように、魔力の流れを感じる。
リナリアが叫ぶのが聞えた。
「やめて――! それは、」
愉しそうにカトリーヌは嗤った。笑い声と共に、灰色の髪が揺れている。
「リナリア! 教えてくれてありがとう! 光の屈折、虚像、幻影。それこそが今のわたしの力。使い方が分からなかったのよ。あなたは良い先生だったわ!」
「スノウベル――!」
リナリアの叫び声。
「ごめんなさい! こんなつもりじゃ――!!」
手を伸ばした彼女が、いつの間にか風に呑まれて消えてしまう。
ああ、分かっているわリナリア。あなたはなんにも悪くない。
だからお願い、わたしの手を取ってよ。一体どこへ行ってしまったの。行かないで。ねえ、
一体、ここはどこなの。
気が付けば、わたしは見覚えのある部屋に立っていた。
目の前には天蓋つきだけれど、どんよりと暗い色のベッド。傍には小さな本棚があって、擦り切れるほどに読んだ懐かしい絵本が挟まっている。子どもの頃に住んでいた部屋だ。
そうして見回せば、辺りには――ぞっとするほどたくさんのガラスの結晶が生えていた。壁や床を埋め尽くすようにして、かろうじて足場が見えるほど。そして見覚えのある像が、あちこちに並んでいた。
大きな蝶や人の形をしたものや、翼を広げた鳥。全部わたしが作ったものだ。まだ不完全だったわたしの魔法。どこか歪で、それでも確かに、鋭さを秘めている。父に言われて作った、紛い物の彫像達。
あの時のわたしは不安を覚えながらも、まだそれがどれだけ、危険なものか完全に理解していなかった。
彫像達の瞳はまるで、こちらを睨んでいるようだった。
わたしはそう、恐ろしかったのだ。本当は、自分の力の何もかもが恐ろしかった。
彫像に囲まれ、今遠い子どもの頃の悪夢が、蘇ったようだった。
本能が叫んでいる。こわい、と。
ぎいい、と扉が開いた。
「スノウベル、やっと戻って来たか」
物音に振り向き、わたしは瞳を揺らした。
おとうさま、と漏らした声は掠れていた。
「お前の母親は殺された。騎士団の連中に」
ああ、だけれどあなたももう死んだのだ。あなたは馬車の事故で、唐突に亡くなってしまった。
魔法のことで決別はしたけれど、わたしは紛いなりにあなたを家族だと信じている。だからこんな亡霊になってまで、わたしの思い出をぐちゃぐちゃにしないで。
「妻が魔女だと知った時は手遅れだった。結婚したことを後悔した――だがお前にも魔女の血は受け継がれている。せめて私のために、役に立つのだ」
父は一歩、一歩とこちらへ近づいてくる。
幼い子どもに言い聞かせるように、噛み締めるように彼は言うのだ。
「彫像をつくるといい、スノウベル」
わたしは首を振った。
「いやよ。もうしないとあなたに誓ったわ」
「誓った? 何を? どちらにせよ、お前はこれからもその力を使い続ける。魔女に生まれたのだから当然だ」
視界が歪む。逃げ出そうにも、ここは紛れもなく、わたしの居た子ども部屋だった。わたしの小さなお城。恐ろしい魔女の住処。逃げ出したいのに、出口がどうにも見えないのだ。
「これ以上にわたしに構わないで」
冷たい目の父は、わたしではなく、わたしの力を見下ろしている。
「お前は魔女だ、スノウベル。魔鳥はお前の手によって死んだ」
「や、やめて」
「お前はこれからも彫像を作り続ける。呪われたその力で」
喉がひくりと揺らぐ。
「わたしを否定しないで――!!」
ざぁあっと、音を立てて父が消えていく。わたしは目を見開いた。
まるで花びらが散るかのごとく、父はちりぢりになって、嘘のように掻き消えた。
「スノウベル」
扉の向こうから、誰かの声がする。
ああ、懐かしい声だ。わたしは心からほっとして、やって来たその人を見た。
何がなんだかもう分からなくて、ただ彫像の間から現れた彼が、彼その人であることに酷く安堵した。
「酷い顔だ。何があった、心配したんだ」
カインはいつもと同じ黒髪を揺らし、わたしをまっすぐに見つめた。その藍色に見つめられると安心するのに、なぜだか今は、嫌な予感に胸がざわついた。
「カイン――カイン、」
「落ち着いて。俺は君を魔女だなんて思っていない」
「……カイン?」
「こんな恐ろしいこと、もうやめるんだ」
彼が手を差し伸べる。なんだか酷い違和感が胸をよぎり、それでもわたしは、他にすがるものを見つけられなかった。
差し出された彼の手に、こわごわと自分の手を伸ばす。彼はいつもと変わらず、――それ以上に明るく笑って、わたしを見つめている。
「おいで、スノウベル。君はただのやさしい女の子だ」
ひゅっと、喉が音を鳴らす。
違う、違う――何かが、
ぱきり、と音がした。重ねられたわたしの手から、いや、そこから伝わったのか――カインの手の平がガラスに覆われて行く。
ぱき、ぱきぱき、ぱきり。
「ぁ、ああ、あ」
わたしは思わず後ずさる。けれどももう遅かった。
「どうしたの――スノウベル、怖がらないで――ほら、」
ぱきぱきぱき。彼の身体中を、手足をガラスが包み込んでいく。まるで死んでしまった魔鳥みたいに、彼が動きを止める。やがてはその顔もガラスで覆われ、わたしを呼ぶ唇が、――懐かしい瞳も黒髪もすべて――ガラスの海へと覆われた。
そうして、わたしの子ども部屋に、一体の美しい彫像が増えた。他の偽物とは違う、人間でできた彫像が。
「ひ、いや、」
両手で顔を覆う。けれども指の間から見える光景は、何一つ変わりない。
彼は笑ったまま、時が止まったように突っ立っていた。
「いや、カイン――いやぁあああ!!」
世界が揺らいでいく。ああ、涙がこぼれているのだと分かった。
まあるい雫になって、ぽとぽとと落ちて行く。
「スノウベル」
カインの声が聞える。幻聴だわ。ああ、もう何も見たくない。聞きたくない。
わたしはあなたを傷つけるしかできない。いつしか世界は真っ暗闇になって、わたしはぽつりと取り残される。ここがどこだかも分からない。
それなのに愛しい彼が、再びわたしの名を呼ぶのだ。
「スノウベル――そこにいるんだろう!! 魔法を使え!!」
誰もいないはずの闇の中、その人はわたしを叱咤した。
「自分が誰だか知っているだろう!! 君は結界の中にいる! ガラスで裂け目を作るんだ!」
「無理よ!」
ぽろりと涙がこぼれた。癇癪を起した子どものように、とうとうわたしは声を上げて叫んだ。
「できないわ! あなたをまた傷つけてしまう!」
押し隠していた悲しみも苦しみも、自己嫌悪もすべて。わたしは魔女だ。魔女なのだ。
あなたを諦めるべきだった。手を伸ばしてはいけなかった。
「やさしくするのはやめて! わたしは何もあげられないわ! 傷つけることしかできないのに!」
「君が俺を傷つけることはない!」
カインの声が――きっとまた幻聴に違いないそれは――それでもはっきりと叫んだ。
「俺を誰だと思ってる? 魔女の騎士だぞ!」
はっと、わたしは目を見開く。
ここは一体どこだ。この暗闇の中。
わたしはぼろぼろと涙をこぼしながら――ああ、唐突にすべきことを悟った。
まるで目が覚めたような気分で、身を起こす。
そうだった。彼はもともと、わたしを魔女だと認めてくれていた。
わたしが何をしようと、どんなに恐ろしい力を持っていようと、大切な人だと言ってくれたのだ。
「できるわ――やるのよ、スノウベル」
ふと立ち上がったわたしは、呪文の言葉を唱える。
風の紡ぐような、水面の底で何かがはぜるような、人の言葉にならないそれ。
自分の力は、未だにまだ少し恐ろしかった。それでも信じることができたのだ。
彼がいてくれる。だからわたしは進めるはずだ。魔女として生きていけるはずだ。
闇夜の中、鋭く光を探し出すように。
ガラスの結晶がばきばきと地面を裂き、わたしを覆う暗闇を引き裂いた。
きっとこれが現実だ。
ああほら、だって向こうに彼が見える。
「カイン――!」
わたしはようやく微笑むことができた。
なぜ忘れていたのだろう。なぜ恐れていたのだろう。
いつだって恐怖は、大切なことを覆い隠してしまう。
けれどもわたしは、ちゃんと知っていたはずだ。
魔女であるわたしを、カインは見てくれているのだと。
こちらのストックが貯まったので、新連載の転生ものを始めました。そちらもよろしくお願いします。




