闇の中の囚人
「来るなぁ!!」
男が叫ぶ。がしゃりと、引っ張られた腕の鎖の音が鳴った。目の前の光景に愕然とする。俺はなぜ気づいてやれなかった。いつからこんなことになっていた。
「絶対、絶対喋らないぞ! 僕に触るな!!」
「ロディオ……真っ黒いさん、お前、」
俺がふざけた渾名で呼ぼうにも、彼の目はもう、俺を映していなかった。
「いやだ、いやだ! こっちへ来るな! 化け物め!! 誰か――誰か助けてくれ!」
「ロディオ……! ロディオ! 俺だ!! 誰にされた」
「離せ!! 離せ!! 絶対に喋るもんか!!」
俺はたまらず駆け寄って、ロディオの肩をがくがくとゆする。途端に彼の顔は真っ青になる。彼の目は砂漠で彷徨う人間のように、俺を通り越しはるか彼方を眺めるのだ。
「陛下に手を出すな!! 離してくれ!!」
「ロディオ!!」
「もういやだ!! 僕に触るなぁ!!」
俺はとうとう立ち上がった。燃えるような目でロディオを見下ろした。そのまま冷たい剣を引き抜き、――勢いのまま振り下ろした。
「ひっ」
ガシャン!
砕けるような音が響き――実際甲高い音を立て――彼の両手の鎖は砕けた。
「ぃ……ぁ、あ……?」
訳もわからないというように、真っ黒いさんは辺りを見回している。俺は剣をしまうとしゃがみ込んだ。そのままもう一度彼の顔を覗き込む。
「俺だ。よく見ろ。カインだ」
「え、ぁ、え……」
ぼろ、と彼の目から涙がこぼれる。ああ、なんてことだ。
馬鹿だな本当に。どうして――どうして俺は気づいてやれなかった。
「カイン……カイン、僕は」
「なぜこんなことを」
「カイン、僕は、……僕は喋らなかったよ」
ようやっと微笑む彼の姿に、痛ましいものを覚える。同時に酷い怒りがこみ上げて、俺は瞳を鋭くさせた。
「一体なぜこんなことに?」
「さらわれたんだ。ある日誰かに殴られて。気づいたらここにいた――魔灯の移し場所を喋るまで、解放しないって」
はっと、俺は目を見開く。
「お前を捕まえたのは誰だ?」
「分からない。女だったとしか。髪は灰色だった。――目は、琥珀みたいな色だった。気づいたら闇の中で――」
真っ黒いさんは俯いた。
「名前を、知らないんだ。たぶん、学園の奴だと思うけど、僕はあそこには通ってないから――」
「酷い話ですね」
コツリコツリと足音が聞こえる。振り返れば、物音を聞き付けたのかマルセルが降りてくるところだった。
「その女は幻覚の魔法を使ったのではないですか?」
マルセルはじっとロディオを見た。
「あなたのその鎖に、おそらく魔法がかけられていたんです」
「ああ、ああ――きっとそうだ」
ロディオは力なく頷いた。
「ここにいる間は、いつも砂漠の真ん中にいるみたいだった。あるいは荒廃した知らない土地だ。誰かが近づいてくるたび、化け物に見えた。そいつが囁くんだ。魔灯の在処を喋らなければ殺すって」
俺は心臓が軋むような気がして、ただ彼を見下ろすことしかできなかった。今すぐこいつを連れて帰って――アルフレッドの部屋のクランベリージュースを飲ませてやりたいと思った。
でもこいつここにいるなら、あの城にいる真っ黒いさんはなんだ? いつの間に偽物がすり替わったのだろうが、一体誰がそんな真似を?
「カトリーヌ・バレット」
不意に、マルセルが口を開いた。
「なんだって?」
「カトリーヌ・バレット。メイアス先輩と同じ三年生。魔法科です。この魔法は恐らく――彼女だ」
言われてようやく、その名前を思い出した。俺はあの子に試験で組まないかと誘われたのだ。今更になってなんだかぞっとする。
「確かにカトリーヌって名前の三年生はいたが……なぜ彼女だと分かる?」
「見た目と証言が一致しています。それに、リナリアが前に言っていたんです。光の魔法を教えて欲しいって言われて――それも屈折に関する難しいものを――リナリアは何も知らず、教えたんだ」
「リナリアの奴、そんなものを使えたのか?」
「本人の技術はまだまだだけど、素質は一級品です」
マルセルはどこか、困ったように微笑んでみせた。
「とにかく、彼女のやさしさが裏目に出たんです。早く彼をここから連れ出してあげましょう」
「ああ。――でも真っ黒いさんを閉じ込めたのがカトリーヌだとすると、こいつに化けていたのは……?」
カトリーヌがそのまま、ロディオに化けていた?
屈折――光の魔法――俺はそこで、唐突に思い出す。ふと、口から名前が零れ出た。
「セルリアン」
そこで真っ黒いさんが顔を上げてこちらを見た。誰だか分からないと言いたげだ。俺は自分に言い聞かせるように口を開いた。
「カトリーヌの兄貴だ。セルリアンて名前だった気がする。変わった響きだからよく覚えてて……」
そう、図書室から帰った日、俺は見知らぬ青年と出会ったのだ。あいつはカトリーヌを迎えに来たのだと言っていたが、今となっては嘘か本当かも分からない。
「あいつも、擬態だとかの話をしていた。――いや、犯人捜しは一旦あとだ。断定するのはまだ早い。とにかくここから出ないと――真っ黒いさん、立てるか」
「なんとかね」
暗闇の中でも、差し込む明かりに、彼の手首が赤くなってしまっているのが分かる。俺は早急にこいつをこの危険な場所から遠ざけなければと思った。
一体どんなに恐ろしい想いをしたのだろう。こいつはずっと悪夢のような幻覚を見せられていたのだ。
「俺のつけたあだ名、間違ってたのかもな」
「あだ名?」
疲れた目でロディオこちらを見上げる。
「そう。ロディオ・マックロイ。名前からして腹黒いから真っ黒いさん」
「はぁ!?」
ぐったりしていた彼は、それでも怒ったように声を上げた。
「き、君は僕を、そんな奴だと思っていたのか!?」
ああどうやら少し元気を取り戻したらしい。とりあえず渾名については謝らなくてはならない。これからも変える気はないが。
「発音がなんだか変だと思ってたんだ……まさか、子どもの時からずっと……」
「悪かったな。とりあえず出ようぜ真っ黒いさん」
「悪いと思ってないだろう」
文句を言いながらも、彼はひどくほっとしたような目をしている。コツリコツリと階段を歩く俺達の先で、扉から差し込む光が見えた。
真っ黒いさんは俺のつけた渾名とは裏腹に、眩しそうに目を細めて見せた。




