アルフレッドの憂鬱
*
リナリアが逃げた。
いつもやさしい目の彼女が、俺に笑いかけてくれた彼女が。
まるで怖がるように、肩を震わせて。少年の手を取って、――逃げた。
窓の外から、風が吹き込んでいる。
そこには白いカーテンが大きく揺れ、闇夜の空が覗いている。
カインはあそこから出て行った。
あいつは俺の友達だったはずだ。
あの男の口から、あんな言葉を聞く日が来るなんて。
違う――違う、こんなのは逆恨みだ。
落ち着け、落ち着かないと。おかしいのはあいつでもリナリアでもない。
俺だ。
確かに俺はおかしくなってしまったらしい。
いつからだ。あの日から?
いいや、元からじゃないか? 気づかないふりをしていたけれど、本当はどこかで分かっていたはずだ。俺はいつかこうなるはずだと。ただそれに知らぬふりをして、沸き上がるものを押し隠して、ついに引き金を引かれたことにすら、気づけなかったのだ。
俺はいつだって孤独で、人の温もりに飢えていた。
信用できない周りの奴らが嫌いで、誰にも心を開かないよう気をつけていた。
俺はこの国を担う人間で、父の血を継ぐものだ。
父上はいい王だった。あの人は俺との間に、国王と王子としての関係を築いた。
彼との間柄はそれ以上でもそれ以下でもなく、親子の戯れだとか、そんなものはなかった。
それでも俺は十分だった。あの人を国王として、我が父として尊敬していたから。
それがどうだ。
あの日、父は唐突に殺された。
入っては駄目だと、幾人もの部下に止められた。けれど俺はあの日、見ずにはいられなかったのだ。
目に入ったのは、白いベッドに絵の具みたいに広がった鮮血。
胸を貫かれ、血を流した父。
気が遠くなって――これが現実だと分かるような分からないような、なにか得体の知れない気分になって。
真っ青になったであろう俺に、あの日部屋で待っていたリナリアは言ったのだ。
――――あなたはきっと、立派な王になれるはずです。
もしかしたら出まかせだったのかもしれない。
やさしい彼女は、他の言葉なんて言う事ができなくて、俺の一番欲しいものを渡すしかできなかったのだ。
でも俺は、例え嘘だったとしても、そのやさしさが嬉しかった。
あの子が欲しい。彼女が欲しい。
捕まえてこの手に閉じ込めておけば、きっと欲しい言葉をくれるだろう。
どんなに怯えた目をしても、唇を震わせていようとも。
あの子はきっと、口を閉ざしはしないだろう。
「……陛下」
こつりこつりと、足音が近づいて来る。
はいつくばるように座り込んでいた俺は、どうにか顔をあげて振り返る。
背後には、俺の旧友だったロディオが立っている。その表情からは、何を考えているのか読み取れない。
「どうか気を落とされないで下さい。あの女は、あなたが気に掛けるような相手ではありません。しがない庶民の出です」
「黙れロディオ。お前でもあの娘を愚弄することは許さない」
「これは失礼を。ただ僕は、あなたに」
「なんだと言うんだ」
「目的を見誤ってはならないと、ただそう申し上げたいのです」
彼は緑の目を細めて俺を見下ろした。
この男は、いつからか変わってしまった。
ロディオはカインと同じ、俺の部下であり友人だったはずだ。
気弱でやさしい青年は、いつの頃からか、感情を表に出さない人間になってしまった。同じ静けさを持ちながら、その表情は以前とどこか違う。どう違うのかと言われても説明できないのだが、それでも違う。
彼はもう、俺と共にワインを飲んでくれなくなった。
俺は、こいつに何かしてしまったのだろうか。
彼は俺のくだらないおふざけに愛想をつかして、こんな冷たい男になってしまったのだろうか。
だとしたら、俺はどうすればいいのだろう。訳も分からず謝ったところで、こいつが俺を許すはずもない。




