リナリアの恐怖
「俺は、どうしたらいい」
ぼそりと彼はこぼした。
「父上が亡くなった今、俺は後を継がなくちゃならない。……俺は、王の器じゃない」
わたしは可哀想に思ったけれど、それよりも恐れの方が大きかった。
かける言葉を間違えたら、大変なことが起きるような気がしたのだ。
彼の機嫌を損ねないよう、望まれた言葉を返すことだけを考えた。
「だ、大丈夫ですよ」
そう答えるわたしの声は、少し掠れていたかもしれない。
「あなたはお父上の血を継いでるんですから。心配いりません」
「……そう思うか?」
わたしはどうにか、笑ってみせる。
ここでいいえなんて言えば、それこそ彼は壊れるだろう。
だから答えを選ぶ余地なんてないのだ。
「はい。きっと立派な王になれるはずです」
わたしは今、あの時の言葉を猛烈に後悔している。
どんなに怖くてもいいから、本当のことを言えば良かったのだ。
わたしに聞かれても困ります。あなたのことなど、わたしは知りません。
いや、今目の前にいる王様を見ると、やっぱりそんなことはとても言えない。
彼の底なしの瞳は、なんだか濁っているように見えた。
「リナリア、俺が何を考えているか分かるか?」
「さあ、わたしが望まないことですか?」
「よく分かるな」
彼はうっそりと笑った。その顔は皮肉げなのに、どこか泣きそうだ。
「お前、カインがどこへ行ったか知ってるか?」
「いいえ」
「俺もだ。あいつは一度俺に会いに来たんだがな、どうも愛想を尽かされたようだ」
彼は口の端を上げ、すがるような目でこちらを見た。
カインの決断は正しいものだ。
きっと今のアルフレッドの傍にいたら、こちらまでおかしくなってしまうだろう。
「俺は恐ろしい。何が恐ろしいって、大事なものを失うことがだ」
かわいそうな王様。
でもわたしは、あなたを抱きしめてはあげられない。
あなたの求めるものを、渡すことはできない。
「リナリア」
彼がそっと手を伸ばす。わたしは反射的に椅子から立ち上がった。
「怖がらないでくれ」
部屋には彼とわたしの二人きり。
ああ馬鹿なわたし。
同情で、こんなところまで来てはいけなかったのだ。
「こ、来ないでください」
「リナリア」
わたしは慌てて後ずさる。
部屋の中央まで逃げたが、足がもつれてバランスを崩した。
尻もちをついたわたしの元に、アルフレッドが近づいて来る。
学園で見ていた、笑顔を浮かべる王子様は、どこにもいない。ここにいるのは孤独に呑まれた、恐ろしい王様だ。
いつの間に、彼はこんな風になってしまったのだろう。いいや、元から彼の中に、複雑な想いや要素が潜んでいたのだ。今までうまく隠していたけど、それが今回の事件で大きく育って、爆発してしまったのだ。
「逃げないでくれ」
身体がうまく動かない。
「やだ、やめて」
「リナリア。俺を見てくれ。リナリア」
両手で頬を挟まれる。
思わず目を向けて――後悔した。
彼の瞳はとっくに濁っていて、その悲しげな笑みは歪んでいた。
喉を引きつらせるわたしを、彼はやさしくやさしく、労わるように抱きしめた。
「怖がらないで。怖がらないで、リナリア」
怖い怖い怖い。
もう何もかもが怖い。
「俺はもう何も失いたくない。父上もカインも失った。ロディオもいつの間にか変わってしまった」
慈しむように、けれど逃げられないように抱きしめられる。
恐怖に体が固まった。
叫びたいのに、声が出ない。
「リナリア。お前だけは――お前だけは失わないよう、守ってやろう。この城に閉じ込めて、誰にも見つからないよう、かくまってやるから」
呼吸がうまくできない。
突き離したいのに、腕がうまく動かない。
怖い。怖くてたまらない。
助けて。助けて誰か。
わたしのマルセル。
ねえ助けてよ。
マルセル……!!
「何してるのリナリア」
聞きなれた声がした。
ぼろっと、わたしの目から涙があふれる。
「王子様……じゃなくて王様。駄目ですよ。嫌がる人を抱きしめちゃ」
どうにか首を動かして見やれば、窓辺に赤いマントがはためいていた。
赤みがかった金髪に、ワインレッドの瞳。
見慣れた少年が、そこに居た。
「酷い顔だねリナリア。こっちへおいでよ」
そうしたいのだが、恐怖にわたしの身体は固まったままだ。
「う、動けないの」
震える声で言えば、彼は苛立ちと呆れの混じった表情を浮かべた。
「王様。僕はあなたを攻撃したくない。真摯に応じるから、そちらも紳士的な態度を見せたらどうです? 自分に不利益な噂を流されたくないでしょう?」
わたしの耳元で、大きなため息が聞こえる。
ぞっとしたけれど、アルフレッドはようやく、ゆっくりとこちらの身体を離した。
わたしはふらふらしながらも、なんとか立ち上がり、ほうぼうの体で窓辺へ向かった。
マルセルは転びそうなわたしを見てかすかに笑ったけど、その目は笑っていない。
「こっちだよ。さあ早く」
腕を掴まれたと思ったら、彼は鋭く王様を睨みつけた。
「王様、真実が何か見極めて下さい。僕は今のあなたには賛同できない」
言うなり、口の中で何かを呟いた。
呪文だ。
次の瞬間、ひゅっ浮遊感がしたと思ったら、気づけば別の場所にいた。
人気のない郊外の森だ。
この魔法はいわゆる空間移動だが、わたしの光魔法みたいに、特殊な魔力がないとできない。とにかく急に使われると心臓に悪いのだ。一言言って欲しい
ざわざわと、濃い緑の葉が風に揺れている。
「大丈夫?」
背の低い彼が、珍しく顔を覗き込んできた。
ほっとすると同時に、なんとも言えない感情が押し寄せて来て、わたしの目から涙がこぼれる。
「ちょっとちょっと、泣かれても困るんだけど」
「ごめん」
「…………」
「ありがと。怖かったの、すごく。マルセルが来てくれて、嬉しかった」
「……そう」
わたし達の頭上では、葉が風に揺れて、ひたすら音を立てている。
いつも冷たい少年は、その日は手加減してくれたのか、それ以上冷たいことを言わなかった。
そんな些細でどうしようもないことでさえ、わたしは嬉しかった。




