リナリアの困惑
王様の目が見開かれた。
「……馬鹿な、何を言って、」
「軽率に入団したことは謝ります。まああれはほとんど無理矢理でしたけど、俺だって断れたはずですしね」
「カインっ!」
「陛下、何が正しいのかよく考えて下さい。あなたが目を覚ましたら、俺はもう一度あなたの傍につくでしょう。でも今のあなたは、俺の知ってる陛下じゃない」
言いながら窓の方へ歩いて行く。
「待ってくれ……カイン……!!」
アルフレッドがかつて、俺をこんな悲痛な声で呼んだことがあっただろうか。
俺は苦しくなったが、ここに残ることはできないと思った。
彼の腹黒な側近が、俺に声を掛けてくる。
「カイン、選択を間違えるな。君はこちら側につくべきだ。陛下を憐れだとは思わないのか」
「それじゃあ聞くけど、スノウベルはどうなんだ」
俺はどうにか振り向いた。
冷静なふりをしていたが、どうにもこうにもやりきれない気分だった。
「陛下の敵が彼女なら、スノウベルの敵はこの世界だ。――あの子は今もひとりぼっちだ。俺はあの子のところへ行く」
「カイン……!」
最後に聞いたのが、どちらの声かも分からない。
だがもう、どうでも良いことだった。
俺は窓から出ると、さっさとその場を後にした。
背後から、ロディオが追跡の指示を促す声と、アルフレッドが止める声が聞こえてくる。
あいつの好きにさせてやれと、そんな言葉が耳に届いた。
王様の中に、かつての彼らしさが少し残っていることに、俺は密かにほっとした。
*
「リナリア、よく来てくれた」
城の広い私室の中、現王アルフレッドは静かな目をしていた。
あの事件から五日が経ち、わたしは彼の部屋に招かれたのだ。
本当は断りたかったけれど、父親を亡くしたばかりのこの人に、冷たくするわけにもいかなかった。
部屋は広いけれど、きちんと整理されている。
良く言えば綺麗だけれど、悪く言えば人間味がないようにも思えた。
テーブルに備え付けられた椅子は三つ。
国王とカインと、あと一つは誰のものだろう。
ロディオのものだろうか。
「なあ、ワインを飲まないか」
疲れた顔になんとか笑みを湛えた王様が、そう尋ねてくる。
「ワイン?」
わたしが片眉を上げると、彼はことんとグラスを机に置いた。
「ただのクランベリージュースさ。俺もカインも、そう呼んでる。ロディオはもう、俺の宴会には参加してくれないがな。――甘くて飲みやすいぞ。一杯どうだ?」
「結構です」
わたしは冷ややかに答える。
正直、この王様が怖かった。
彼は以前から、何を考えているのか分からないところがある。
わたしがこの人と話すようになったのは、共同試験の一カ月前だ。
同じ科では組めないと言われ、マルセルに振られたわたしは、中庭で落ち込んでいた。
そこにこの人が声を掛けて来たのだ。
わたしは王立学園に入った時から、出来るだけ彼との接触を避けて来た。
理由は単純、恐ろしかったからだ。
わたしを脅かす存在は二つ。スノウベルとアルフレッド。
スノウベルは原作と少し違ったけれど、アルフレッドはどうやらほとんど原作のままのようだった。
アルフレッドは一見、有能で素晴らしい王子に思えるけれど、ヤンデレの素質を持っている。そして今、彼は国王になってしまった。
国王が死ぬなんて展開、原作にはなかった。これからは何が起こるか分からない。
わたしは怖かった。
共同試験で組もうと言われた時から、密かにこの人を恐れていた。
あの時、きっぱりと断れば良かったのだ。
でも底の見えない瞳で見据えられ、うまく言い逃れすることも、その方法も思いつくこともできなかった。
彼の有無を言わせぬ空気は、ただならぬものがある。
まあすべては、わたしの弱さが招いた結果だけれど。
彼はあれから、共同試験に向けて、一緒に訓練しようと言って来た。
しつこくはなく、でも少なくない頻度で。それはそれは絶妙なタイミングだった。
わたしが言い逃れできないよう、うまいこと声を掛けてくるのだ。
彼は妙に親しげだったが、決してわたしの嫌がることはしなかった。
馴れ馴れしく触ることもしなかったし、紳士的な態度を崩さなかった。
その王子スマイルが消えたのが、あの事件の日だ。
偶然か必然か、国王の殺害とスノウベルが起こした騒ぎが同じ日に起こった。
あの時のことはよく覚えている。
彼とわたしはあの日、一緒に魔鳥を追いかけていた。
手分けして探し、ようやく一羽見つけたところに、ロディオが駆け込んできたのだ。
「国王陛下が亡くなられました!」
その無情な一言で、その場の空気は一変した。
それからはあっという間だった。
他の教授たちや生徒たちがやって来て、騒ぎは大きくなった。
さらにロディオは、わたし達を中庭へ案内したのだ。
中庭を見たわたし達は、言葉を失った。
張り巡らされた結晶は、日の光に当たっておぞましく光っていた。
それはまるで、底のみえない海原のようだった。
翼を広げ、黒い眼を見開いて閉じ込められた、一羽の魔鳥。
「僕は見ました」
ロディオが、神妙な面持ちで口を開いた。
「スノウベルは魔女です」
アルフレッドが、唇を震わせた。
「……カインがいない……」
いつにない瞳で、ロディオに掴みかかる。
「カインはどこへ行った!? スノウベルは!? なぜあいつらを止めなかった!!」
いつもと違う剣幕に、わたしは恐怖を覚えた。
カインはきっと、スノウベルを連れて逃げたのだ。
それは正しい判断だ。だってスノウベルは、このままだと殺されてしまうから。
でもわたしの周りには、親しい人がいなくなってしまった。
マルセルに会いたい。大好きな彼はどこへ行ったのだろう。
まもなく試験は中止になり、再開未定となった。
ロディオに促されるまま、アルフレッドは城に向かうことになった。
その時の彼は怒りと悲しみに満ちた、なんとも言えない表情で振り向き、わたしを見つめたのだ。
「リナリア、頼む。一緒に来てくれないか……」
彼は崩れ落ちそうな何かを、必死に堪えているようだった。
この人が壊れてしまったら、わたしになんらかの刃を向けてくるのではないか。
そんな風にすら思えて怖かったけど、でも突き離すこともできなかった。
彼はまるで、迷子の子どもみたいだったから。
あの日もわたしは、彼の部屋で待たされたのだ。
アルフレッドは周囲が止めるのも気にせず、国王の遺体を見に行った。
そうしてわたしの待つ私室に戻って来た。
その時の彼の顔は、忘れもしない。
すべての表情が抜け落ち、真っ白だった。
このいつも自信に満ちているような人が、こんな顔をするのかと、ちょっとびっくりしたぐらいだ。




