第3章
「もう昼前ですよ」
侍女の1人が、私を起こしに来た。
私は慌てて昼食を取り、義姉のメアリを待った。
「お体を大事になさってください。目の下に隈が出来て、やつれた姿になっていますよ」
メアリは開口一番にそう言って、私を労わった。
義姉といっても、実際の年齢は私よりも15歳も若い。
妻のアンの姉だ。
「夜は程々にされた方が。ご自分の歳を考えてください」
「分かってはいるのだが」
そう、私は先日、43歳になった。
ちなみに妻のアンは22歳、その姉のメアリは28歳だ。
アンと自分は親子で通るくらいの歳の差がある。
「私の子、エドワード、リチャード、ジョージ、エリザベス、それにマーガレットは」
「全員元気にしていますよ。安心してください。先日、エドワードは誕生日を祝いました」
「行ってやれなくてすまない」
私はメアリに頭を下げた。
メアリは、私の甥チャールズと共に私の子全員を預かって、面倒を見てくれている。
ややこしいが、メアリは私からすると甥の妻なので義理の姪にもなる。
それもこれも、アンと言う若い妻をメアリの勧めもあるが、私が娶ったせいだ。
「例の準備は?」
「順調です」
メアリはそれだけ言った。
誰がどこで聞き耳を立てているか、分かったものではない。
帝室への武装抵抗準備は極秘裏に行うしかない。
だが、メアリなら極秘裏にやり遂げるだろう。
メアリは戦の悪魔の化身なのではないか。
私はそう疑いたくなることがある。
女性の身でありながら、武装抵抗準備を整えてくれているのだから。
先制第一撃を帝室にわざとさせ、その上で反撃する等の計画は、彼女が立案したものだ。
自分にもしものことがあっても、メアリがいれば、大公家は安泰だろう。
私やチャールズだとこういった武装抵抗準備等、思いもよらない。
帝室に対する畏敬の念が強すぎるからだ。
そして、自立意識が強く自分の土地にしがみつく騎士達が、大公家にすり寄り出したのは彼女のお蔭だ。
大公家に味方すれば、騎士の手元収入が増える。
彼女は、そういった実利を騎士達に目にさせることで、多くの騎士達を大公家に取り込みつつあった。
「ですが、後、2年は騎士達にアメをしゃぶらせる必要がありますね。騎士達はまだ完全に実利を感じてはいません」
メアリは冷徹な目を自分に向けた。
2年、アンに溺れている身で私は生き長らえることはできないだろう。
「もしもの時は、大公家を頼みます」
私はメアリに頼んだ。
メアリは
「ご安心を」
としか言わなかったが、私にとっては、天使からの一言にも匹敵して感じられた。
メアリは私を心配そうに労わった後、自宅に帰った。
メアリを見送った後、私は夕食を取った。
相変わらず1人きりの食事だ。
そして、アンの待つ寝室に向かった。
「待っていたわ」
アンは自分に抱きついてきた。
「姉に化けた悪魔は来てないわね」
「来ていないよ、安心して」
アンの問いかけに自分は答えた。
アンとは結婚して4年が経つ。
お互いに溺れた生活をしていれば、当然、子どもはできる。
子どもを産むことで、アンが正気に返るのでは、と期待したこともあったが、アンは正気に戻らない。
気が付けば、4人目の子どもを、先日、アンは産んでいた。
だが、アンの目に入るのは、事実上、自分だけだ。
子どもを産んだことさえ、心が壊れたアンは正確に認識していない可能性が高い。
「また、痩せたの。私を抱いて、可愛がってね」
アンは嫣然と微笑んだ。
痩せたのは、子どもを産んだからなのだが、アンは痩せた事しか言わないからだ。
産んだ瞬間に、自分が妊娠していたことは、アンの頭から消え去っているのではないだろうか。
4人目の子を産んだにもかかわらず、アンの体形は結婚当初から変わっていない。
まだ、20代前半と若いのもあるのだろうが、神の奇跡か、悪魔の業としか思えない。
アンこそ悪魔の化身ではないか、と侍女がひそひそ話をするのも無理はない。
「アン、私と来世でも結婚してくれるかい」
「もちろんよ。ヘンリーこそ、私と来世でも結婚して」
「ありがとう」
いつの間にか、2人で毎夜、こんな会話をするようになった。
アン、正気に返った後も、私にそういってくれるかい。
「さあ、早く私を抱いて。そして、安心させて。抱いてくれないと、私が捨てられるのではないかと不安でしょうがないの」
「アン」
私は一言だけ言って、そういうアンを抱きしめた。
「嬉しい。私はこの瞬間が一番幸せなの」
アンは至福の笑みを浮かべている。
天使、いや悪魔の笑みとは、こういう笑みを言うのではないか。
メアリとアン、2人は大公家に遣わされた悪魔ではないか。
だが、天使が敵に回るなら、勝つために悪魔とも手を組むというのが、大公家の家訓だ。
私は、その家訓を護る、そして、大公家を護ってみせる。
この後、私とアンは長い夜を過ごすのだろう。
後、何回、2人で過ごせるのだろうか。
私はそう思いつつ、アンに溺れていった。