窓辺の声
窓辺の声
朝、目を覚ました幸一は、いつものように隣へ手を伸ばした。
そこにあるはずの小さなぬくもりはなかった。
翔太は早起きすることもある。先にリビングへ行ったのだろうと思い、幸一は大きく伸びをしてから寝室を出た。
「翔太。もう起きてるのか」
声を掛けながらリビングをのぞく。
返事はない。
ソファの陰にも、食卓の下にも姿は見当たらない。洗面所ものぞき、トイレの扉を開けてみたが、どこにもいなかった。
幸一は首をかしげた。
春は今日は早番だったはずだ。もう病院へ向かっている時間だろう。しかし、翔太を連れて出勤するとは考えられない。
もう一度寝室へ戻り、布団の周りを見渡す。
そのとき、窓際に小さな緑色の影が目に留まった。
一匹のトノサマバッタだった。
まだ体も小さく、成虫になりきっていないように見える。
「どこから入ったんだ?」
昨日は虫取りへ行ったものの、結局一匹も捕まえなかった。窓も網戸も閉めて寝たはずである。
幸一は不思議に思いながら近づいた。
普通なら、人が近寄れば跳び去ってしまう距離だった。
しかし、そのバッタは逃げようとしない。
まるで幸一を待っていたかのように、じっとこちらを凝視している。
やがて小さく羽をこすり合わせた。
ギチ……。
もう一度。
ギチ、ギチ……。
その音を聞いた瞬間だった。
幸一の耳には、虫の鳴き声ではなく、幼い男の子の声が重なって聞こえた。
「……パパ。」
思わず息をのむ。
聞き間違いだ。そう思った。
だが、目の前のバッタはもう一度羽を鳴らす。
ギチ、ギチ……。
「パパ。」
今度ははっきり聞こえた。
幸一は立ち尽くした。
その声は、毎日聞いていた翔太の声と、まったく同じだった。




