第三話 俺の剣は、手を離れても廻る
最初の一時間で、俺は自分の足を三度、斬りかけた。
剣の訓練は、町外れの円形広場で行われた。剣は魂核を中心に軌道を取る――ウトリの説明は正しかった。ただし「原則として接触しない」と「絶対に接触しない」は違う。俺が慌てて軌道の内側へ飛び込めば、刃は当然、そこにある。
一度目は靴の先を削った。
二度目は袖を裂いた。
三度目は髪を数本、持っていかれた。
「なあ、これ、適性あるのか?」
「発現初日の記録としては優秀です」
「優秀なやつは自分の頭を刈らないだろ」
「過去には、初動で武器を紛失した方もいます」
「浮かせた剣をどうやってなくすんだよ」
「上空へ射出したまま、回収不能になりました」
思わず空を見上げた。
この偽物の青空のどこかに、昔の勇者がすっ飛ばした剣が刺さっている気がした。
ウトリは木人形の配置を変えた。五体を円状に、三体を外側に、二体を俺の背後に。
「廻転の基本は、武器を見ることではありません」
「見ないで動かすのか?」
「自分と武器との距離を、身体の一部として認識してください」
「尻尾みたいに?」
「近い表現です」
俺は目を閉じた。
剣の重さ。刃の長さ。柄の向き。
手に持っていないのに、どこにあるかが薄く分かる。目で見るんじゃない。歯の位置を舌で確かめるみたいな感覚だった。
一周。剣が右肩の後ろを通る。
二周。左足の外側を抜ける。
速度を上げると、感覚が細い線から「面」に変わった。俺を囲む、透明な輪。
「目を開けてください」
人形が、すぐ近くまで動かされていた。
――慌てなかった。
輪を少し外へ広げる。最初の人形の腕が落ちる。軌道を上げて二体目の首。背後の一体は見えない。見えないのに、輪に触れた瞬間、位置が分かった。刃を返して胴を裂く。
木片が飛んだ。
胸の奥が、勝手に熱くなった。
なんだこれは。
――気持ちいい。
「今の、すごくないか?」
「はい。想定値を上回っています」
「もっと驚いていいぞ」
「驚いています」
「顔に出ないな」
「訓練中ですので」
次は動く標的だった。
床から細い柱がせり出し、木球を不規則に投げてくる。剣で斬ればいい。ただし、球には青く塗られたものが混じっている。青は避難民役。斬れば失格。
最初の試行で、俺は青を二つ斬った。
二回目は一つ。
三回目は全部避けたが、今度は赤い球を三つ逃した。
「……敵だけを選ぶのって、難しいな」
「実戦では、識別情報が表示されます」
「その『敵』は、誰が決める?」
「人類軍の観測情報と、女神の敵性判定です」
「間違えることは?」
ウトリは、わずかに間を置いた。
「ゼロでは、ありません」
「じゃあ、俺も自分の目で見て決める」
「はい」
「女神が敵だと言っても、違うと思ったら止める」
彼女は俺をじっと見た。
「……覚えておきます」
「何を?」
「あなたが、そう決めたことを」
その言い方は、俺のためというより――彼女自身が忘れないための言葉に聞こえた。
休憩中、訓練場の端に座って剣を眺めた。刃には新しい傷が増えている。木人形を斬っただけなのに、妙に古びて見えた。
「廻転できる勇者って、前にもいたのか」
「類似能力の記録は、あります」
「……俺だけじゃないのか」
期待していたつもりはなかったのに、声が少し沈んだ。ウトリはそれを見抜いたらしい。
「同じ能力でも、扱い方は個人によって異なります。あなたの廻転は、あなたのものです」
「慰めてるだろ」
「事実です」
剣へ意識を向ける。刃がゆっくり浮き、俺の周囲を一周した。
誰かと同じ力でもいい。
今この瞬間、この剣が俺の意思に応えている。名前も過去もない俺にとって、その確かさだけが、地面みたいなものだった。
訓練の最後に、ウトリは課題を出した。
木人形は一体だけ。胸に赤い布。右腕に青い布。頭に白い布。
「赤だけを、切ってください」
「簡単そうに見えるな」
「見えるだけです」
人形は一定の速さで回り、青と白が赤の前に何度も重なる。
一度目、青まで裂いた。
二度目、赤は切れたが刃が木の胸に深く入った。
三度目、止めるのが遅れて首まで傷をつけた。
「敵を倒す訓練なのに、傷をつけたら失敗なのか?」
「この課題の目的は、殺傷ではなく――停止です」
「戦場の敵は止まってくれないぞ」
「だから、止める能力を先に覚えてください」
ウトリは人形の前へ立った。投影だから、刃が当たっても傷つかない。分かっているのに、俺の剣は自然と彼女から遠ざかった。
「私を、青い布だと思ってください」
「それ、余計に集中できないんだが」
「なぜですか」
「斬れない相手が近くにいると、失敗したときが怖い」
「私は斬れません」
「分かってても、だ」
ウトリは少し考えて、俺の右側に立った。
「では、武器を止める基準を一つ決めましょう」
「基準?」
「恐怖で視界が狭くなったときにも、必ず確認できる、身体の一部です」
俺は自分の手を見た。剣を握っていない手は、なぜか自分のものという感じが薄い。
足元を見る。
「――右脚」
「理由は?」
「今、ちゃんと地面についてるから」
「分かりました。武器の位置が分からなくなったら、右脚の感覚を確認してください。右脚から魂核までの距離を基準に、すべての軌道を再計算します」
「そんなもんで止まるのか」
「試してください」
人形が回転を始める。
赤。青。白。
剣を出す。赤い布の端に刃が触れる。人形が回り、青い腕が軌道に入った。
止まれ。
剣は、すぐには止まらない。
――右脚。
靴底の圧力。土の硬さ。右足首から膝、腰、胸へつながる自分の輪郭。そこから刃までの距離を、一息で測る。
剣が、青い布の手前で静止した。
刃と布の間は、指一本分もなかった。
「……止まった」
「はい」
「今の、すごくないか?」
「先ほども聞きました」
「同じこと繰り返すなって?」
「いいえ。同じ確認を、何度でもしてください。『できた』という感覚は、恐怖の中で戻ってくるための目印になります」
俺は右脚を踏み直した。
地面がある。自分の身体がある。剣は俺の外側にある。
四度目の試行で、赤い布だけが宙に舞った。
木人形には、傷ひとつなかった。
「……殺さないほうが難しいんだな」
「多くの場合、そうです」
「なら、この訓練は忘れない」
「記録しました」
「俺の記憶に残すって意味だよ」
ウトリは一瞬だけ目を伏せた。
「――それが、最も望ましいです」
剣を呼び戻す。刃は右脚の外側を通り、何も傷つけず、静かに減速した。
そのとき。
滑らかに回っていた刃が、急に軌道を乱し、俺の目の前で停止した。
鏡のような刀身に、自分の顔が映る。
知らない顔だった。
当たり前だ。俺は自分の顔すら覚えていない。
けれど、その顔を見た瞬間――別の映像が重なった。
同じ剣。白い床。血に濡れた手。誰かの叫ぶ声。
――処理を、続行。
「うっ……!」
頭の奥に痛みが走り、剣が地面に落ちた。
「勇者様?」
ウトリが駆け寄る。支えを求めて肩へ伸ばした俺の指は、また、彼女を通り抜けた。
冷たくも、温かくもない。
何も、なかった。
「……やっぱり、そこにいないんだな」
彼女はしばらく黙っていた。
「私は、遠隔投影です」
「どこから」
「安全な場所から」
「最初からそう言えよ」
「あなたが孤独を感じないよう、実体に近い表示を選択しました」
「触れないほうが孤独になるだろ」
ウトリは答えなかった。
俺は地面の剣を見た。刃は主人の命令を待つように、小さく震えている。
「……まあいい」
手を伸ばさず、剣を浮かせた。
「触れなくても話はできる。戦い方も教えてくれる。今は、それでいい」
ウトリは、少し寂しそうに微笑んだ。
剣はまた、俺の周囲を廻り始めた。
――まるで、ここから逃げられないことを、確かめるみたいに。
それより、さっきの映像は何だ。
血に濡れた白い床。「処理を続行」。
あれは、俺の記憶なのか。
だとしたら――あの部屋で処理されていたのは、誰だ。




