第二話 女神の代行者、ウトリ
戦う前に、俺は装備を渡された。
その前に――身体検査があった。
白い小部屋で上着を脱がされ、円形の光を頭から足まで何度も通される。ウトリは投影のまま、宙に浮かぶ数値を目で追っていた。
「筋力、持久力、反応速度。いずれも召喚勇者の初期平均内です」
「普通ってことか」
「現時点では」
「勇者なのに?」
「勇者は肩書です。強さは、戦闘と転生によって獲得します」
「最初から強いわけじゃないのかよ」
「最初から強い方も、います」
「俺は違うと」
「――廻転適性は、まだ測定できていません」
励ましたつもりらしい。全然嬉しくなかった。
検査の途中、光が左脇腹で一度、止まった。
数値が赤く変わる。ウトリが、表示を手で覆うようにして消した。
「今のは?」
「走査誤差です」
「腹を刺された場所に見えたけどな」
「肉体に損傷はありません」
「感覚は残ってる」
俺は腹へ指を押し込んだ。傷ひとつないのに、奥から鈍い痛みが返ってくる。
ウトリの表情が曇った。
「幻肢痛に似た、転生後症状です。身体は新しくても、魂が損傷時の信号を再現することがあります」
「いつまで続く?」
「個人差があります」
「便利な言葉だな、個人差」
「申し訳ありません」
「謝るなよ。あんたが刺したわけじゃない」
そう言った瞬間――彼女が、ほんの一瞬だけ目を逸らした。
なぜ逸らした。
その疑問を、俺はこのとき、深く追わなかった。
検査が終わると、ウトリは包帯を一本差し出した。
「傷はないぞ」
「巻いているほうが、安心する方もいます」
試しに腹へ巻いてみると、痛みは変わらないのに、少しだけ呼吸が楽になった。人間は単純だ。
「こういうのも、前の勇者から学んだのか」
「はい」
「前の勇者たちって、どんな人だった」
ウトリは検査器具を片づけるふりをした。実体のない彼女に、片づけなんてできないのに。
「勇敢な方々でした」
「全員?」
「怖がる方も、怒る方も、帰りたいと泣く方もいました。それでも最後には、戦いました」
「『戦わない』って言った人は?」
「……いました」
「どうなった」
「人類圏で、保護されました」
嘘だと断言できる証拠はない。
けれど彼女は、「幸せに暮らしています」とは言わなかった。
その夜、宿屋の寝台に入っても、眠れなかった。
目を閉じると、黒い爪が見える。腹へ刺さる直前の光景で、何度も跳ね起きた。
部屋の隅には、ウトリの投影が座っていた。椅子に腰かけているように見えて、よく見ると、身体が座面に少しだけ沈んでいる。
「ずっと見てるのか」
「転生直後は、夜間監視が必要です」
「寝ないのか」
「投影体には睡眠がありません」
「本物のあんたは?」
「交代で休息しています」
言い方が妙だった。本人が休む、じゃない。機能が交代する、みたいな言い方だった。
「――怖い」
俺は天井を見たまま、言った。
ウトリの返事まで、少し間があった。
「はい」
「否定しないんだな」
「怖くないと言えば、あなたは一人で耐えなければならなくなります」
「じゃあ、どうすればいい」
「話してください」
「何を」
「死んだとき、何を思ったか」
話したくなかった。
なのに、話し始めたら止まらなかった。
痛かったこと。呼吸ができなかったこと。身体は冷えていくのに、頭の中だけが妙に明るかったこと。最後の瞬間、戻りたいと思ったのか、もう終わりたいと思ったのか、自分でも分からなかったこと。
ウトリは、一度も遮らなかった。
「死ぬ前、あんたの声を聞いた」
「はい」
「『戻ってきて』って」
「帰還誘導を行いました」
「俺が『嫌だ』と言ったら、どうなってた」
ウトリが、答えに詰まった。
「……聞こえなかったことにして、戻したか?」
「魂核が回収可能な状態であれば――自動処理が、優先されます」
「俺の意思は?」
「現在の制度では、事前同意に含まれます」
「同意した記憶がないんだが」
「召喚時に」
「その召喚時の記憶が、ないんだよ」
沈黙が落ちた。
ウトリは膝の上で手を組んだ。
「――不公平だと、思います」
「代行者が言うのか、それ」
「制度を説明することと、制度を正しいと思うことは、同じではありません」
俺は横を向いた。
投影の彼女には体温がない。隣にいても寝台は沈まない。
それでも、白い部屋で一人きりで目を覚ましたときよりは、眠れそうな気がした。
「眠るまでいてくれ」
「はい」
「朝になったら消えてるんだろ」
「呼ばれれば、すぐに戻ります」
「それは『いる』って言わないだろ」
「では――消えません」
彼女はそう言った。
夜中に何度か目を覚ました。そのたび、同じ椅子に、同じ白い姿があった。
翌朝、渡された装備は、剣一本。革の服。小さな袋。以上。
「勇者の装備って、もっとこう……光る鎧とか、聖剣とかじゃないのか」
鍛冶場の前で剣を掲げると、刃には細かい傷が何本も走っていた。新品ですらない。
「初期装備は、魂との相性確認を優先します」
「要するに安物だな」
「損耗しても補充が容易です」
「そこは否定しろよ」
鍛冶場の男は、俺たちの会話に反応しなかった。槌を振るう動作を、同じ速度、同じ高さで、延々と繰り返している。
「おい」
声をかけると、男はぴたりと止まった。
「武器の強化を行いますか?」
「いや。あんた、名前は?」
「武器の強化を行いますか?」
「そうじゃなくて」
「必要素材が不足しています」
男は再び槌を振り始めた。
道具屋の老婆と、同じだ。
「なあ。この町の人間、会話できないのか」
「彼は作業に集中しています」
「集中ってレベルじゃないだろ」
「前線要員には、役割を限定していただいています」
「役割を、限定?」
「不必要な情報を持つと、敵に捕らえられた際の危険が増します」
理屈は通っている。
通っているからこそ――嫌な感じがした。
「ウトリは、俺のそばにいるって言ったよな」
「はい」
「戦場にも来るのか」
「もちろんです」
「戦えるのか?」
「直接戦闘はできません。進路、敵情報、転生管理を担当します」
「じゃあ、俺が死んだとき呼んでた声も、あんただ」
「そうです」
「あのとき、どこにいた」
ウトリは微笑んだ。
「あなたの、そばに」
「だから、それは答えじゃないんだよ」
「勇者様」
彼女の声が、少しだけ柔らかくなった。
「今、すべてをご説明しても、あなたを混乱させるだけです」
「俺はもう十分混乱してる」
「そのうえで、戦わなければなりません」
図星だった。
俺は剣を鞘へ戻した。
「一つだけ訊く」
「はい」
「あんたは、俺を騙してるか?」
ウトリは、すぐには答えなかった。
――広場に風が吹いているのに、彼女の髪が揺れていないことに、俺はそのとき気づいた。
「あなたに、伝えていないことはあります」
「騙してるじゃないか」
「ですが、あなたを害するためではありません」
「みんなそう言うんだろうな」
「……そうかも、しれません」
予想外に認められて、俺は次の言葉を失った。
ウトリは視線を落とした。
「それでも、私はあなたに、生きてほしいと思っています」
「死んでも戻れるのに?」
「痛みは戻りません。恐怖も消えません。あなたが戻れることと、あなたが死んでよいことは、同じではありません」
その言葉だけは、作られたものには聞こえなかった。
俺は肩の力を少し抜いた。
「じゃあ、なるべく死なないようにするよ」
「お願いします」
「俺が死ななかったら、あんたの仕事は減るのか?」
「大幅に」
「なら給料分ぐらい楽させてやる」
「給料はありません」
「女神、労働環境ひどくないか」
ウトリは一拍遅れて、小さく笑った。
初めて見る笑い方だった。定型句じゃない、崩れた笑い方。
俺はそれだけで、もう少しこの女を信じてもいい、と思ってしまった。
――「伝えていないことがある」と、本人がはっきり言ったばかりだというのに。




