表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/19

第十二話 レベル一、記憶あり

また、白い寝台だった。


起き上がった途端、背中に水の槍が刺さる感覚が蘇った。


実際には、何もない。なのに身体が勝手にのけぞり、寝台から落ちた。床に手をついても、呼吸ができない。


「勇者様。こちらを見てください」


ウトリの声。


「今いる場所を確認してください。白い部屋です。水はありません」


「分かってる……」


「床へ触れて。冷たさを感じますか」


「感じる」


「指を五本、動かしてください」


一本ずつ曲げる。


「次に、私の声を聞いて」


呼吸が、少しずつ戻った。


……前にも、同じことをしてもらった気がする。最初の夜か。それとも――記憶にない、もっと前か。


「何分、死んでた?」


「現地時間で二分十二秒。再構成に三時間四十一分」


「リオルは、その間ずっと?」


「精霊王はあなたの魂核回収時に一時停止しました。リオルは前哨所へ退避済みです」


「俺が死んだから、止まったのか」


「勇者の魂核を、捕捉しようとした可能性があります」


つまり、俺の死が隙を作った。助けたことは無駄じゃなかった。


そう思うと胸の奥が温かくなり――その温かさに、小さな拍が重なった。


――自己犠牲を肯定。


耳ではない場所で、文字が読まれた。


「……今の」


ウトリの表情が固まる。


「何か、聞こえましたか」


「俺が死んだことを、褒められた気がした」


「転生直後の知覚混乱です」


答えが、早い。


「白いところで、あんたと話した」


「私と?」


「何かを入れるなって、誰かと争ってた」


ウトリは視線を伏せた。


「――夢です」


「そうか」


嘘だと思った。


それでも今は、リオルが生きていることのほうが大きかった。


 


寝台の脇に日記帳が置かれている。死ぬ前に書いた頁を開いた。


>水の荒野へ行く。人間の斥候を助けた。

>名前はリオル。軽口が多い。必ず帰す。


自分の字だ。最後の一文に指を置く。


「約束は守れた」


「はい」


「次も守る」


「次は、ご自身を含めてください」


ウトリが言った。


壁の一部が光り、小さな映像が出た。包帯だらけのリオルが寝台に寝ている。録画らしい。彼は片手を上げ、無理に笑った。


>「勇者様。戻ってると信じてます。俺は生きてます。だから、次は自分まで守ってください」


一度言葉を切り、周囲を気にしてから続ける。


>「あと、隊長とサナの墓の場所、覚えててください。俺が歩けるようになったら、迎えに行きます」


映像が終わっても、リオルの声だけが部屋に残った気がした。


俺は寝台に座り直し、両手を見た。


水の槍を受けたとき、この指は何をしていた。リオルを押した。剣を呼ぼうとした。最後には、何も掴めなかった。


今は、傷ひとつない。


ありがたいはずなのに――自分の手じゃなく、同じ形の代用品を渡されたように見えた。


「右脚」


声に出す。床を踏む。冷たい。


「オルド」


墓標のそばで聞いた名前。


「サナ」


音程の外れた笛。


「リオル」


軽口と、包帯だらけの顔。


「ウトリ」


投影の、彼女。


「……何をしているのですか」


「確認」


「何の」


「俺が、まだ同じことを覚えてるか」


「すべて正常に継承されています」


「数値じゃなくて、自分で確認してるんだよ」


ウトリは黙った。


俺は日記帳に書き足した。


>右脚。

>オルド。

>サナ。

>リオルとは普通に話す。

>ウトリの言葉も疑う。


最後の一行を書くと、彼女がかすかに息を呑んだ。


「見えてるか?」


「はい」


「消すか?」


「消しません」


「命令されたら」


「可能な限り、抵抗します」


「可能な限り、か」


「できないことを約束しないと、決めました」


その決め事がいつからのものか、俺は知らない。


それでも、頁は閉じなかった。


 


「リオルと話したい」


「現在、医療処置中です」


「声だけでも」


「安静が必要です」


「俺が死んだせいで、あいつは一人で待ったんだぞ」


「あなたが死んだから、彼は逃げられました」


「――そうやって、正しいことにするな」


思ったより強い言葉が出た。


ウトリは目を伏せた。


「申し訳ありません」


「……俺も、助けたことを後悔してるわけじゃない。ただ、死ねば全部解決したみたいに言われるのが嫌なんだ」


「はい」


「痛かったし、怖かった。次もできるか分からない」


「それで、よいのです」


「勇者なのに?」


「勇者である前に、あなたは恐怖を感じる人間です」


「でも、また行かせるんだろ」


「……はい」


声が小さくなる。


俺は、彼女を責め続けることができなかった。


それが俺の優しさなのか――白い空間で何かを埋め込まれたせいなのか、区別がつかなかった。


「じゃあ、次にリオルと話すときは、普通に話せるようにしてくれ」


「普通、とは」


「『勇者様』って呼ばせない。生存確認とか作戦報告じゃなくて、どうでもいい話をする。サナの歌が本当に下手だったのか、とか」


「軍務通信の用途から外れます」


「限定的な判断で何とかしろ」


道具屋の老婆に使った言葉を、そのまま返してやった。


ウトリはほんの少しだけ笑った。


「善処します」


「それ、約束しないときの言い方だろ」


「覚えていたのですね」


「そこが俺の取り柄らしいからな」


 


「あの映像、いつ撮った?」


「前哨所へ到着後です」


「俺が戻れなかったら?」


「記録として保管される予定でした」


「見せる相手がいないのにか」


「――次の勇者へ」


胸が、冷えた。


「次の?」


「あなたが再構成不能だった場合、別の勇者が任務を引き継ぎます」


「その人に、俺宛ての言葉を見せるのか」


「前任者の意思を伝えるためです」


制度としては合理的なんだろう。


けれど、俺の約束まで「勇者」という肩書に相続されるようで、心底嫌だった。


「墓の場所は俺が覚える。次の勇者に渡すな」


「記録を限定します」


「俺が戻ったんだ。俺の約束だ」


「はい」


 


身体能力の確認に移った。


立つだけで脚が軽い。数値上は以前より弱いはずなのに、重心の置き方を知っている。剣を浮かせると、腕を動かすより自然だった。


訓練場の木人形を相手に、前回できなかった動きを試す。


剣を正面へ出したまま、軌道の中心だけを横へずらす。


石塔で、無意識にやった方法だ。


刃は俺から離れた場所で小さく一周し、人形の背後へ回り込んだ。


「遠隔中心の形成――」


ウトリの記録板を、光の文字列が高速で流れていく。


「通常、廻転は魂核を中心にしか成立しません」


「死んだら、できるようになった」


「死亡が直接の原因とは限りません」


「でも、失敗したから思いついた」


俺は何度も軌道を作った。一度目より二度目。二度目より三度目。


身体は弱くても、答えを知っている。


死は、恐ろしい。


同時に――誰より速く学べる力に、なっていた。


その事実に喜びを感じる自分を、俺は止められなかった。


そして、なぜか。心臓の鼓動に、もう一つ小さな拍が重なっている気がした。


「俺は、何度でも勝てる」


その言葉を口にした瞬間、頭の奥で、何かが喜んだ。


>前進を肯定。

>戦闘継続意志、良好。


「……今、何か聞こえたか?」


「何が、でしょう」


「いや……気のせいか」


ウトリは、俺の顔をじっと見つめていた。


「勇者様」


「何だ?」


「あなたが誰かを守りたいと思う気持ちは――あなたの、ものです」


突然の言葉だった。


「当たり前だろ」


「はい」


「どうした?」


「忘れないでください」


俺は笑った。


「記憶を残せるのが、俺の取り柄なんだろ」


ウトリも笑った。


けれどその笑顔は――何かを諦めた人の顔に、見えた。


俺の中で鳴っている、この小さな二つ目の拍。


あれが何なのか、彼女はたぶん、知っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ