第十話 俺は、誰かを守って死んだ
時間が、遅くなった。
精霊王の最初の波を、俺は避けられた。
二度目も。
三度目は――半分だけ、だった。
水壁へ剣を逆回転で当て、流れを左右に割る。中央にできた隙間へ飛び込む。圧力で耳が痛み、息ができない。それでも刃は、外側の環流に届いた。
一周。
水狼が背後から来る。軌道を外せば、核への攻撃が途切れる。俺は身体を低くして牙を肩で受け、剣だけは回し続けた。
二周。
渦が刃を逸らす。腕を振るように意識をねじ込み、軌道を戻す。目の前の水が白く泡立つ。
三周目へ入る直前――精霊王が、俺の剣を水の腕でつかんだ。
刃が、止まる。
「離せ!」
引いても動かない。胸の核まで、あと数メートル。
そのとき、石塔から赤い信号弾が上がった。
リオルだ。
精霊王の光の輪が、そちらへ向いた。
「何してる!」
注意を引くと言っていた。予定どおりだ。予定どおりのはずだ。それでも、本当に自分を標的にするとは思っていなかった。
水の槍が、空に生まれていく。
俺は――剣を、手放した。
廻転の中心を、自分から石塔の方向へずらす。そんな技は教わっていない。できる確信もない。
ただ、あそこへ行けと、命じた。
剣が精霊王の手から抜け、石塔へ飛ぶ。落ちる槍を一つ、二つ、三つ弾く。
残りが、多すぎる。
俺は走った。精霊王の足元を蹴り、水路の段差を飛び越える。流れに横殴りにされ、転がされ、立って、もう一度走る。
「勇者様、核が無防備です!」
ウトリが叫ぶ。
「今なら攻撃を――」
「リオルが死ぬ!」
「精霊王を倒せば攻撃は止まります!」
「三周する前に槍が落ちる!」
計算では、間に合わない。
ウトリの言う方法が、全体としては正しいのかもしれない。核を壊せば精霊王は止まる。友人一人へ走るより、多くを救える。
それでも、足は石塔へ向かった。
リオルが見えた。
折れた槍を構え、逃げずに立っている。
「伏せろ!」
「勇者様、核を!」
「あんたまで言うな!」
水の槍が降り始める。
剣は四本まで弾いた。五本目が刃を押し流す。六本目が石塔を削る。
リオルの足元が、崩れた。
俺は最後の距離を跳んだ。彼を抱え、横へ転がる。一本が背中を掠める。
まだ、生きている。
「戻って核を狙ってください!」
リオルが俺を押す。
「お前を置いて?」
「俺のために全員を危険にするな!」
「全員って誰だよ。今ここにいるのは――お前だ!」
叫び返した瞬間、次の槍が形成された。
数が、増えている。
精霊王は学んだのだ。俺がリオルを守ると。石塔を狙えば、俺が核から離れると。
戦術として正しい。
俺が選んだことを、そのまま利用されている。
「帰還してください」
ウトリの声が低くなる。
「対象リオル・セインは回収できません。勇者様だけなら、今すぐ帰還可能です」
リオルが俺を見る。
「行ってください」
「嫌だ」
「戻って、次に勝てるんでしょう」
「次のお前はいない」
「勇者様なら、もっと大勢を救えます」
「――お前を数から外すな」
リオルの顔が歪んだ。
怖いのだ。死にたくないのだ。それでも、自分一人より勇者を残すべきだと、そう教育されている。
俺は、その教育に従うつもりはなかった。
「ウトリ。帰還を拒否する」
「勇者様」
「聞こえたな」
「死亡すれば、自動回収が作動します」
「その前に、こいつを逃がす」
精霊王と石塔の間に立つ。
剣は流され、遠くにある。手元に武器はない。
それでも――俺の周囲を廻る「軌道」は、残っている。
水面から、石を浮かせた。
剣ほど軽くない。形も悪い。三つ浮かせるだけで頭が割れそうになる。
「武器じゃなくても、廻せるんだな?」
「理論上は、魂へ同調可能な物質なら――」
「十分だ」
石を高速で廻す。落ちる槍にぶつけ、一瞬だけ軌道をずらす。
一本。二本。
石は砕ける。新しい石を拾う。
リオルが這って、塔の反対側へ進む。
「あと少し!」
頭の中が熱い。鼻から血が落ちる。視界の端が暗くなっていく。
最後の石が砕けたとき――リオルは、射線を抜けた。
助かった。
そう思った瞬間、精霊王が攻撃の向きを変えた。
俺へ。
無数の槍が、空を覆った。
逃げる時間は、なかった。
リオルは折れた槍を構えていた。あんなもので防げるはずがない。それでも逃げなかったのは、脚が動かなかったからか、兵士の意地か。
俺は彼を突き飛ばした。
一歩分だけ。
それで、十分だった。
最初の槍が背中に刺さる。身体の中で何かが折れた。二本目が脇腹。三本目が肩。四本目は、俺を地面へ縫い止めた。
声が出ない。
冷たいはずの水が、焼けるように熱い。
ああ――これだ。この感じだ。二度目でも、全然慣れない。
「勇者様!」
リオルの顔が近づく。
「逃げ……ろ」
「置いていけません!」
「それ……俺の台詞だろ」
冗談にしたかったのに、息と一緒に血が出ただけだった。
精霊王が、次の攻撃を編んでいる。
剣はどこだ。
視界を動かす。少し離れた場所で、刃が水に半分沈んでいる。
動け。
手じゃない。意志で。
剣が、震えた。
「勇者様、もういいです」
ウトリの声がする。
「帰還処理を開始します」
「まだ……」
「あなたは十分に戦いました」
「リオルが」
「彼は対象外です」
冷たい言葉だった。
けれど――その声は、震えていた。
「だから、帰れない」
「あなたは戻れます」
「俺だけ、戻ってどうする」
剣を浮かせる。一本の刃が、水面から上がる。
精霊王の核まで、遠い。今の出力では届かない。
なら、廻せばいい。
俺の周囲を一周、二周、三周。刃が速度を上げる。空気が鳴る。水滴が輪になって飛び散る。
「やめてください!」
ウトリが叫んだ。
「魂核への負荷が限界を超えます!」
「次は、もっと上手くやる」
「――次があなたとは、限りません!」
その言葉だけ、妙にはっきり聞こえた。
意味を考える時間は、なかった。
俺は剣を放った。
刃は白い線になり、精霊王の身体を貫いた。
核に届く。青い光に亀裂が走る。
完全には、砕けなかった。
それでも精霊王の動きが止まり、水路が一瞬沈んで、リオルの周囲に逃げ道ができた。
「行け!」
今度こそ、声が出た。
リオルは立ち上がった。何度も振り返りながら、石塔の向こうへ走っていく。
よかった。
それだけで、力が抜けた。
剣が落ちる。視界が暗くなる。
ウトリが俺のそばに膝をついていた。触れない手を、俺の頬に添えている。
「どうして」
「何が……」
「どうして、あなたは……」
続きは、聞こえなかった。
死ぬのは怖い。二度目でも――いや、本当は何度目か分からなくても、怖かった。
けれど、最後に見えたのが、逃げていくリオルの背中だったから。
俺は少しだけ、自分の死に納得できた。
「また、戻してくれ」
ウトリに言った。
「次は、勝つ」
彼女は、泣いていた。
涙が頬を伝うのに――地面へは、落ちなかった。
「ごめんなさい」
「何が……」
「あなたを、また使わなければなりません」
使う。
その言葉の意味を訊く前に、世界が消えた。
最後に、知らない声が重なった。
>死亡を確認。
>人格境界を開放。
>追加処置を開始。
――追加、処置。
どこかで見た言葉だ、と思った。
思ったところで、俺は終わった。




