まだ本気出してないから
あれから一週間。
ヴァルはなにもしなかった。
部屋のベッドでうつ伏せて枕を濡らしては天を仰ぐ。
異常行動に走っていた。
あまりのショックに食べ物でさえ喉を通らなかった。
(努力してたはずだ。ちゃんと。前世とは違う。はずだったのに。)
シエルが視界の右から飛んでくるシーン。
この一週間それが頭からこびりついて離れない。
噛みちぎられる腕。出血、どばどばと滴る黒みがかった血。
全ての回想がヴァルを地獄と天への恨みへと還元される。
(くそ...。)
コンコンコン。
扉がノックされる。
「失礼します。ヴァル様、シエルでございます。お食事をお持ちしました。」
扉が開かれ扉が固定されてから台車が入ってくる。左手のみで押される台車。コロコロと遅くヴァルの寝るベッドへと向かってくる。
そんな全ての所作はヴァルを悲しみと絶望の淵へと追いやる。
シエルは黙って片手で配膳をする。
数分のシエルの健闘の末。
「ヴァル様。ご用意ができました。ごゆっくり召し上がりくださいませ。」
踵を返してキビキビと扉に向かい左手で扉に手を掛ける。しかし、その手は止まった。
「ヴァル様。どうか私のことはお気になさらないでください。失敗は誰にでもあります。そしてそれを庇うのは使用人としての最大の役割です。ので、どうか。」
そう言い残してギギと扉が開かれ、廊下の足音が小さくなっていく。
(失敗...。俺は失敗したのか??)
脳内で再生される回想。全ての一挙手一投足が流れ込んでくる。
(俺は別に失敗なんて...。)
視界の右端から飛び出してくるシエル。
(シエルが飛び出し時俺は何をしてたんだ。手には何を握っていた?)
記憶の奥底から探し出す。
右手にあったのはリボルバー。しかも残弾ありの。
(俺は別にまだ。余裕はあった。)
(シエルがああなったのは俺のせいじゃない。たまたまだ。たまたま俺が...。)
(そもそもシエルのせいだ。シエルが俺を庇わなかったら今頃俺らは五体満足だ。)
(それに俺はまだ本気出してなかっただけだし。)
次の瞬間、「まだ本気出してないだけだし。」 そんな言葉が脳内にガンと響く。
前世で幾度となく吐いたセリフ。
この世界に来てから吐かないと無意識に決めたセリフ。
コンコンコン。
「あら。ごきげんよう。それにしても無様ね。神童と謳われたルートレットの男爵嫡男が使用人が障害を負っただけでそんなに落ち込んで。なんでそうなるわけよ。」
小さい身体で仁王に立って胸を張って気丈に話すルナ。
「ぐうの音も出ないようね。そんなんだったら領民なんて守れないわよ。物事に犠牲はつきも」
「黙れ。」
ひどく低い声が漏れる。
「黙れって...。事実を述べてるまでよ。そもそもあんた何罪悪感なんて感じてるの?そんなの早く吹っ切ってもとの生活に戻りなさい。そんなんだともっと堕落していくわよ。」
「俺が感じてるのは罪悪感じゃない。喪失感だ。」
鼻で笑う。
「喪失感?貴族様が使用人の腕ごときで喪失感だなんて、随分と惨めね。」
(罪悪感...。俺にはそんなの...。)
(違うな...。)
「ははは。」
心の何処かで事件直後に掛けた土が払われる気がする。露見する罪悪感。心の何処かで感じていた罪悪感。昔の悪い癖で無意識に土を被せた感情。他責。
(俺が今感じてるのは罪悪感から転じた喪失感か。)
今の感情が一線で結ばれた気がした。
(そうか。後悔か。)
やっと理解したようだった。
——
日が経つとともにヴァルの精神状態は改善されていった。
それとは裏腹にシエルの勤務時間は減っていった。
あの掃討以来、魔獣は出現しなくなり傾き崩れかけていたルートレット領の火の車財政は持ち直された。
その結果、安くかつ質のいい使用人を雇えるようなった。手負いの使用人をルナは不要と思ったのかわざと勤務時間を減らし、高く支払われていた人件費を浮かせることに成功した。財政感としてルナは完璧かと思われたがそれはもちろんヴァルの反感を買った。
それを見かねたガルドはルナを説得し安い人件費でシエルを雇い城の中で過ごさせることにした。
しかし、そんな情けはシエルにとっては屈辱とも飼い殺しとも見て取れ他の使用人からは腐ったシーラカンスのような扱いを受けていた。
浴びせられる視線は懐疑、嫉妬、哀、冷徹。様々だ。しかし、皆一様にシエルの右腕を見ては目をそらす。それほど痛々しいということだろう。
コンコンコン。
「ヴァル様。お夕食をお持ちいたしました。」
「あぁ。ありがとう。そこに置いといてくれ。明日も頼むよ。」
左手を動かしことりと部屋にある机の上に置く。
「思い出します。ヴァル様がベッドから落ちかけていたあの日を。私はあの時とても無気力でした。なぜ私がお守りなどと。しかし、それはヴァル様の飛躍的な成長によって期待へと変わりました。」
「っちょ。何いきなり言って。」
しかし止まらないシエルの思い出話。
「最後に。身勝手ではありますが。おそらく今日が私が配膳する最後の食事だと思います。」
「は。」
有無を言わさず。踵を返し、部屋から出ていく。
「ヴァル様、私は貴方様の今後の益々のご活躍を望んでおります。」
無気力に開かれた右手を掲げながら駆け足で部屋の扉をくぐっていく。
——
「ヴァレリウス・シルバリオン様はおられますか。」
不安や悲しみから開けた朝、そんな大音声が聞こえ目覚る。
慌てて扉を開けて首を出す。
「あぁ。おられましたか。」
「なんの用だ。俺は今、とてつもなく不機嫌なんだ。」
「左様であってもこれを届けに来ました。」
渡されたのは手紙だった。
「誰からだ。」
手紙などは珍しくない。子爵家の令嬢からくる縁談の話の誘いとかもある。
「それが、エリシア・ヴァレフォルド様からなんですよ。なんでも言伝では急ぎの代物だということです。」
朝の憂鬱がその名前の電撃によって晴らされた。
「エリシア...。何の用だろ。」
急ぐ手で手紙を開封し三つ折りの書を開く。
——
目を疑った。
エリシアが魔道具開発部からもとのオフィスへと戻ったという報告だった。
(エリシアの契約も俺のも確か永続的に有効なものだったはずだが。)
次の一文はもっと衝撃的だった。
「エリシアとオズヴァルドの縁談が秘密裏に組まれている...。」
「ま、まさか。これが狙いで。」
——
良くも悪くもこの縁談は事実だった。
翌日に王都の新聞社がそれをスクープとして報じた。事実らしくしかも悪いことにほぼほぼまとまっていることでこのまま順調に行けば来月には側室としての挙式を行うらしい。
紙面には本人もこの結婚には同意とのことだ。
そんな紙面を見てなぜか憤りを感じる。
「おい。王都にこれから向かう。」
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