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四章 その③


 ティアナも素早くドレスを肩まで引き上げると、焦点の定まらない目のまま自分の身体を抱きしめ、うずくまった。


「だ……誰にも言わないでください……っ」


 消え入りそうな声が、震えるティアナから聞こえる。エルシーの混乱はまだ続いていたが、なんとか心臓の動悸を抑えようと大きく息をした。ここでもしティアナが暴れでもしていたら、エルシーは躊躇なく大きな声を出して逃げ出していただろう。しかし、ただ身を縮め震えるている彼女、もとい彼を見ていたら、なんとも言えない気持ちになった。


 きっと、この人が一番混乱している。護衛騎士に連行され、投獄されてしまうかもしれない恐怖と戦っている。ここで大声を出して追及するのは、得策ではないように思う。


「あなたは……一体どなたなのですか?」


 エルシーは静かに尋ねた。ティアナが少しだけ顔を上げる。


「……今はお答えできません……お許しください。でもっ、このまま騙し通す気はなかったんです。本物の王女様と入れ替わるつもりでいたんです。それまではどうか……どうか……っ」


 美しい銀髪が床につくことも厭わず、再び頭を低くして懇願するティアナを見て、エルシーは返す言葉を無くしてしまった。


 身を偽っていたことが露呈すれば極刑は免れないと、本人も重々承知しているはず。その上で王女として国境を越えてきたのだから、なにかやむを得ない理由があるはずだ。


「このことを知っているのは……?」


「……パメラだけです」


 エルシーはようやく合点した。ティアナが国王を避け、侍医の往診を断り続け、他の侍女の世話を許さなかったのは、性別が判明するのを恐れていたからだ。さらに、幼少期ならまだしも、この年齢になると明らかに男女の体つきには違いが生じるので、外見をごまかすためにわざとゆったりとしたドレスを着ていた。王女は道中や王宮到着時にはヴェールで顔を覆っていたというアーネストの情報から考えるに、偽物である自分の顔を誰かにしっかりと覚えられるのを回避する目的があったのだろう。


「どうぞ顔を上げてください。……王女殿下」


 エルシーも目の前の人物が、もはやティアナ王女ではないことはわかっている。しかし、他に呼びようがないので、これまで通りの言い方をするしかなかった。


「私などには想像もつかない何か……深いご事情がおありなのだと、お察しいたします。あなた様も死を覚悟で……ここまで来られたのではありませんか?」


 ティアナがハッと顔を上げる。その表情は悲痛の色に染まっている。


「私も侍女のはしくれです。一度お仕えすると決めたからには、口外するつもりはありません」


「本当ですか……?」


「ええ。でも、あまり時間はありません。それまでに何とかお考えにならないと。パメラさんにも、私が知ってしまった事実をお伝えしないといけません」


「はい……。それと……ありがとうございます」


 エルシーが相手の心を落ち着かせるように穏やかに言うと、ティアナはうっすらと涙を浮かべて呟いた。





 しかし、そうは言ったものの。エルシーにできることは何もない。本物と入れ替わるつもりだというが、いつ、どこで。さらには、意図せずして知ってしまったこの事実が、エルシーをさらに苦しめることになった。


「体調でも悪いのか? あまり食が進んでいないようだが」


 その日の夕食時。セルウィン邸の食堂で席を共にしたアーネストが、気遣わし気に声をかけた。エルシーも今気づいて視線を下ろすと、食事にほとんど手がつけられていない。


「い、いえ……大丈夫です」


 慌てて笑顔で取り繕い、フォークを口へ運んだが、味がしない。


 夫婦間で隠し事はしたくない。だが、国家と王族に忠誠を誓う夫が事実を知れば、偽王女とパメラを拘束するため直ちに動くだろう。周囲を欺いた罪は重く、国王自らふたりの首をはねてしまうかもしれない。そして、同盟国の尊厳をないがしろにされたジェラルドは、軍を率いてローランザム王国に攻め込んでしまうかもしれない。そうなれば、罪のない多くの民が命を落とす。


(そんなの、ダメよ!)


 では、このまま黙っているのがいいのか。エルシーが誰にも言わないでと頼めば、アーネストは当面口外せずにいてくれるだろう。しかし、もしその間に他の第三者が知るところになれば、すぐに王に報告しなかった隠蔽罪で、エルシーともども捕らえられてしまうのは明らかだ。アーネストは保身のため、妻ひとりに罪をなすりつけるようなことはしない。いざぎよく認めて、静かに断罪の時を待つだろう。そうなれば当然、爵位は剥奪、財産は没収、そして何より彼がこれまで積み上げてきた功績と人望は、一気に地の底まで落ちてしまう。


(私のせいで……そんなの絶対にダメよ!)


 やはり、自分が黙っているしかない。アーネストに迷惑が及ぶようなことがあってはならないし、セルウィン公爵家の名に傷をつけるわけにはいかない。


 エルシーは、食欲があまりないのを理由に、先に部屋に戻った。

 

 


 翌日。

 エルシーは迷ったが、いつも通り出仕することにした。ここで急に姿を見せなくなると、「裏切ったのではないか」という誤解と失望を、ティアナたちに与えかねないと思ったからだ。


 エルシーはなるべく普段通りの接し方を試みたが、ティアナは以前に増して口を堅く閉ざしてしまった。正体を知られてしまった以上、これまで通りに気持ちを切り替えられないのだろう。パメラに至っては、警戒心を顔に貼付け、言葉数も少ない。そんな重い空気を吸いながらエルシーは時間をやりすごしていたが、家に帰るなり疲れがどっと押し寄せてきた。


「昨日から体調でも悪いのか?」


「いいえ、大丈夫です」


 アーネストは今日も食が進まない妻を気遣った。ベッドで先に休んでいるエルシーの頭をそっと撫でてくれる。その手が温かくて、エルシーは夫に真実を語れないもどかしさと辛さで、シーツに顔をうずめた。


 本当はこの国家機密級の真実を、全て打ち明けたい。少しでも楽になりたい。でも……できない。


 アーネストは、エルシーの体調を考え、昨夜に続き今夜もそっとしておくことに決めたようだ。そばに横になり、背後から妻の身体を優しく抱きしめる。


「無理してまで王宮通いをすることはない。明日は休むといい」


 心地よい低温がエルシーの鼓膜を揺らす。背中と回された腕から伝わる温もりが愛おしくて……でも苦しくて、エルシーはさらに自分を追い詰めてしまう。


 そして、とうとうある決心をしたのだった。



 


 次の日の午後。


 王宮の一角、騎士団長室に詰めていたアーネストは報告書の確認を終えると、窓の外に視線を向けた。


 一昨日からエルシーの様子がおかしい。食欲が落ち、顔色も明らかに悪い。久々の王宮務めで無理がたたったのではないだろうか。あの少し風変わりな王女の話し相手は、想像以上に神経をすり減らしてしまうのかもしれない。それなのに、こちらが気遣ってもエルシーは決して弱音を吐こうとしない。我慢強い性格なのは知っているが、辛い時は遠慮なく自分を頼ってほしいのに。


 とにかく明日は絶対に医者に診せよう。そう思っていた時。


 ドアからノック音が聞こえてきて、アーネストは振り返った。


「どうした」


「奥方様がお見えです」


 案内役を頼まれたと思われる騎士の声に、アーネストは急いでドア付近に駆け寄る。開けるとその言葉の通り、エルシーが立っていた。


「お仕事中に、申し訳ありません」


「いや、大丈夫だ」


 アーネストは、どこか思いつめたような悲壮な面持ちのエルシーを招き入れるとソファに座らせた。自分もその向かい側の椅子に腰を下ろす。


「今日も王女殿下のもとへ行くのか? 無理する必要はないと言っておいただろう」


「はい……でも無理だとは思っておりませんから」


 明らかに顔色が優れないのに、またしても妻は本音を漏らしてくれない。アーネストは少し寂しさを感じた。


「実は……アーネスト様がお出かけになったあと、お医者様に来ていただきました」


「え……あ、ああ……」


 思いがけない発言に、アーネストの返事が一瞬遅れた。やはりエルシー自身も気になっていたのだ。早めの行動に出てくれて、本当によかった。


「それで、医者はなんと?」


「……妊娠の兆候は見られない、とのことでした」


「……ん?」


 さらに予想だにしていなかった回答に、アーネストは思わず首をひねる。聞き返そうとしたがエルシーの暗い顔を見て、アーネストは何も言えなくなってしまった。


 妊娠に至らなかったことで、落ち込んでいるのだろうか。もしかしたら、体調が悪いのを感じたエルシーは、ひそかにその可能性を期待していたのかもしれない。しかし残念な結果に終わり、耐えられなくなって、夫である自分に会いにきたのではないか。


「……そうか。だが、こればかりは授かりものだから、君が気に病む必要はない」


 アーネストは妻を労わろうと、立ち上がって彼女の肩に手を置きかけた。しかし、その瞬間、エルシーがすくっと席を立つ。


「もし、妊娠していたら……アーネスト様はお優しい方なので、責任感から私と子の面倒を最後まで見ると、おっしゃっていたと思います」


「え?」


「ですが……これで、思い残すことはございません」


「エルシー、一体何を」


 アーネストは困惑の渦の中に放り込まれていた。妻の話の内容が見えない。


「私を……どうか、お捨てになってください……!」


 俯いたまま悲痛な声で小さく訴えると、エルシーはアーネストの顔を見ずに部屋を出て行った。


 ドアの向こうで駆けていく音が遠ざかる。


ひとり残されたアーネストは何を言われたのか、瞬時に理解できずにいた。頭が受け入れを拒否したと言っても過言ではない。それほどに、エルシーの発言はアーネストに衝撃を与えた。



(俺がエルシーを……捨てるだと……?)


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