四章 その②
翌日。
連れ立って登城したエルシーとアーネストは、早速、謁見室へ呼ばれた。城には大小いくつかの謁見室があり、そのうちの一番小規模の部屋だ。応接間のような間取りと家具の配置のため、君主との距離は近い。
「陛下におかれましては、ご健勝のこととお慶び申し上げます」
「ありがとう。よく来てくれたね。セルウィン公爵夫人」
国王ジェラルドは、挨拶を述べたきりドア付近で立ち尽くしているエルシーにソファへの着席を勧めた。しかし、この国の最高位の人物とこんなに近いことが恐れ多く、エルシーの足はなかなか前に出ない。見かねたアーネストは彼女の手を取って誘導しソファに座らせると、自分もその横に腰かけた。
その間に、ジェラルドは侍従たちをすべて退室させた。この空間には三人しかいないことが、余計にエルシーの緊張を高めていく。テーブルを挟んでいるとはいえ、至近距離に国王が座っていることに恐縮して、なかなか視線を上げられない。
「きみはもうグローリアの侍女ではない。今日は私の大切な客人だ。そして何より、ここにいる親愛なる騎士団長の奥方だ。私も、これから君を友人だと思うことを許してもらえるかな?」
「そんな、陛下を許すだなんて、そんな恐れ多いこと……っ」
エルシーが慌てて顔を上げると、目が合ったジェラルドがにっこりと微笑む。
「では早速本題に入ろう。アーネストから大体のことは聞き及んでいると思うが」
ジェラルドの説明は、ほぼ昨日アーネストから聞いた話と一致していた。
「婚礼式まであと二週間。それまでなんとか、王女の心を開いてほしい。きっかけだけでも、もちろん充分だ。国王夫妻が不仲だという噂が流れれば、臣下や民心にも影響を及ぼす。少数とはいえ反国王派にも付け込む隙を与えてしまうだろう。もちろん、さっきも言った通り、君はもう王宮侍女ではない。だから、公爵夫人の肩書きはそのまま王族の友人として、王女の話し相手、相談役ということで、王宮に上がってほしい。もちろん、ここに泊まり込む必要もない。そこまで要求してしまったら、目の前にいる騎士から決闘を申し込まれそうだからね」
ジェラルドはやや茶化してアーネストを見たが、彼は何も答えなかった。そうなって当然、と無言で肯定している。
エルシーはしばらく黙ったのち、同意を求めるような視線を横に向けると、アーネストが静かに頷いた。それを確認して再び前を向いたのち、エルシーは頭を垂れた。
「承知いたしました。謹んでお受けいたします。誠心誠意、王女殿下にお仕えいたします」
「そうか、それは良かった。改めて礼を言うぞ」
嬉しそうにジェラルドが微笑めば、つられてエルシーも口元を綻ばせる。見つめ合った二人を見て、アーネストだけが面白くなさそうな顔をしていた。
ティアナ王女に拝謁する許可をもらったエルシーは、謁見室を出たあと、アーネストとともに王宮南棟の三階に向かっていた。その最も広くて陽当たりのいい部屋が、婚礼式までティアナ王女が過ごす場所だ。式がすめば、王妃の間として別の部屋に移ることになる。
王女の部屋の前には、護衛騎士がふたり立っていて、アーネストたちの訪問を中の侍女に伝える。案の定、パメラという侍女が対応に出た。
「なんでございましょう」
怪訝な表情のパメラに、アーネストが事情を伝える。すると、パメラの眉尻がみるみるうちに上がった。
「そんな、勝手な……!」
「勝手なことをしているのはどちらだ。これは陛下直々のお達しであり、逆らうことは許されない。あなたも王女殿下から引き離されたくないのなら、速やかに従っていただきたい」
やや厳しい口調でアーネストが述べると、パメラは唇を引き結び、もう何も言わなかった。
「ここからは私だけで大丈夫です。アーネスト様は職務にお戻りください」
そう伝えると、アーネストは躊躇しながらも、騎士団棟の方向へと戻っていく。
(さあ、ここからが正念場よ……!)
エルシーは心の中で自分を鼓舞すると、扉の前に立った。パメラが開けてくれたので、そっと中へ入った。
大きな窓から光が入るその部屋はとても明るく、家具や調度品も一流品で取り揃えられている。その窓際の椅子に、ゆったりとした長袖のドレスを身にまとった女性が腰掛けていた。人の気配を感じたのか、振り返った途端、その瞳が大きく見開かれる。
それはエルシーも同じだった。思わず、その女性を見つめてしまう。
(なんてキレイな人なのかしら……)
まるで月光の雫を集めて溶かしたように輝く、銀色の長い髪。何の飾りもつけず、本来の美しさのままにまっすぐ腰のあたりまで伸ばされている。肌の色は白く、整った目鼻立ち。そして、最も印象的なのは薄紫色の瞳で、淡い紫水晶を彷彿とさせる。
しばらく互いに見つめあっていたが、ティアナの目には次第に狼狽の色が浮かんでいった。
「パ、パメラ……!」
椅子から立ち上がり、更に壁側へ後ずさろうとするティアナのもとへパメラが素早く駆けつけ、その手を握る。
「大丈夫でございますよ、私がそばにおりますから」
パメラの呼びかけに、ティアナは小さな頷きを繰り返す。
エルシーは急に王女を驚かせてしまったことに罪悪感を覚え、その場でドレスを持ち、ゆっくり膝を折りながら頭を下げた。
「申し遅れました。私はエルシー・セルウィンと申します。この度、ティアナ王女殿下へお側仕えを、陛下からおおせつかりました。どうぞ、お見知りおきくださいませ」
頭の頂点に視線を感じる。おそらくティアナが自分を観察しているのだろう。しばらく沈黙が流れたあと、ティアナがゆっくりと口を開いた。
「……侍女の手ならパメラだけで足りています」
「いいえ、このお方は第一騎士団長セルウィン様の奥方様で、公爵夫人であらせられます。侍女ではなく、ティアナ様のお話相手として、いらっしゃいました」
パメラが淡々とした口調で説明した。
再び静けさが部屋全体を包んだが、やがて「そうですか……」とティアナは呟くと、椅子に座った。出ていけ、と命じないあたり、渋々受け入れたのだろう。
こうして、反応の薄い王女との新たな生活が始まった。翌日からエルシーは午後に出仕し、基本的に夕刻まで王女のそばで過ごす。王女の心に近づこうと、自らお茶を淹れ、他愛のない話をする。最初は王女も何もしゃべらず、不毛な時が流れたが、エルシーが根気よく仕えたのが功を奏したのか、五日ほど経つと、王女も少しずつ反応を示し、口角を上げ、微笑を見せるようになったのだ。
時々、ジェラルドに命じられてアーネストも様子を窺いに部屋を訪ねてきた。部屋に入ることはなく、ドアの外でエルシーと二言三言交わしたのち、すぐに去っていく。しかし、ある時、ティアナがアーネストに入室許可を出したのだ。
いつも訪れてくれるアーネストをそのまま返すのが不憫だと思ったのかもしれない。ティアナはパメラを通じて、お茶の時間の同席を勧めてきた。だが彼は入室はしたものの、職務中であること、陛下より先に自分が同席することは許されざる行為であることを理由に、丁寧に断りを入れた。そのまま一礼して、颯爽と部屋をあとにする。
アーネストの理由は正当だ。しかし、ティアナが少し残念に思っているのではないか、とエルシーが彼女の方を見たその時。思わず表情が固まった。
ティアナが、アーネストの消えたドアをじっと見つめている。両手を前で組み合わせ、放心状態だ。
まさか。嫌な予感がエルシーを襲った。それを払拭するように、明るく声をかける。
「ティアナ様、いかがなさいましたか?」
「あ、いえ……」
ティアナはエルシーへ視線を向けると、すぐまたドアの方へと戻す。
「あまりに素敵なので、見惚れてしまいました」
普段なら聞き逃してしまいそうなほど、小さな呟き。しかし悪びれもせず放たれたその言葉は、はっきりとエルシーの耳に届いた。同時にみるみる顔が青ざめていく。
(まさか……ティアナ様はアーネスト様のことを……?)
王宮に着いた際、ティアナは夫となるジェラルドよりも先にアーネストと対面した。ジェラルドも非常に女性受けする容姿を持っているのだが、先にアーネストに心を奪われてしまった可能性もある。それによって、ジェラルドを避けているのだとしたら……。
(そんなはずはないわ、そんなはずは……)
自分に言い聞かせるものの、もやもやとした感情が胸中に広がっていく。しかし、ティアナはいずれジェラルドの妻となる。このまま結婚して、恋心をこじらせて、余計にジェラルドと不仲になっては困る。しかも、いつしか美しい王妃と騎士団長が禁断の恋に落ちてしまったら――。
(まさか、そ、そんなはずないわ……!)
だが、一度走りだした妄想は留まることを知らない。エルシーが頭をもたげているうちに、パメラは洗濯物を持って、水場へ行ってしまった。ここ数日、王女に害のない人物だと認識したのか、たまにこうしてエルシーに王女を任せて、他の仕事をすることも増えた。
それは大変喜ばしいことなのだが、今のエルシーはそれどころではない。しかし、なんとか平常心を心掛け、王女のお茶の準備に取り掛かった。
そして、お茶を淹れたティーカップを王女のもとに運ぼうとした時。
「エルシー様はずっと騎士団長と一緒なのですね。羨ましい」
何気なく放たれたティアナの発言が、エルシーの心をかき乱した。手が震え、気づいた時にはカップを落とし、ティアナのドレスの腹部あたりに茶色いシミを作ってしまっていた。
「も、申し訳ございません!」
エルシーは慌てて近くにあったクロスでドレスのシミをぬぐう。しかし、じわじわと広がっていくだけで、全く取れない。そのシミは、まるで今の自分の心のようだと、エルシーは胸が痛んだ。
「火傷っ……お怪我は!?」
「大丈夫です。コルセットも分厚いものをつけていますので。気になさらないでください」
ティアナは静かに言った。その口調が、どこか余裕を帯びているようで、余計にエルシーを苛立たせた。でも、そんなことで冷静を欠いてしまう自分がもっと嫌だった。ここ数日で、少しずつティアナは心を開いてくれていたし、意地悪をされた覚えなど一度もない。慣れない環境に戸惑っているかもしれない彼女に、できることは何でもしてあげたいと思っていたのに。
「申し訳ありません。私の過失です。すぐにお召し替えを」
「い、いえ、パメラが戻ってきてからにします」
ティアナは少し焦ったように口早に答えた。いつも着替えの際はパメラひとりに手伝わせていて、エルシーには介入させない。だが、その侍女は用事で部屋を出て行ったままで、まだ戻ってこない。
「お着替えなら私でもお手伝いできます。私も以前は侍女をしておりました。貴婦人のドレスなら、ひとりで何度も着付けした経験がございますから」
強引だと自分でも思ったが反抗される前に、エルシーはその腕を引いた。衣装室へと連れていき、ティアナの背中の紐を解いていく。脱がせたら、すぐに近くにあるドレスを着せるつもりだ。
「や、やめてください!」
ティアナが抵抗して身をよじる。しかしエルシーは、時たま機嫌を損ねて逃走しようとするグローリアの着付けも素早くできるほどの熟練者だった。ドレスの紐は複雑ではなく、あっけなく解けたため、中のコルセットの紐も解きながら、王女の肩に手をかけた。
その時。
「……くっ……やめろっ!」
鋭い言葉とともに、エルシーは強く突き飛ばされた。その反動で尻もちをつく。身体の痛みを感じながら何が起こったかわからずにいると、ハッとした様子のティアナがすぐさま近づいてきてしゃがみ込んだ。しかし、その動きで脱がされたドレスが完全にずり落ち、続けてコルセットも落ちる。
(え……っ⁉)
そこでエルシーは信じられないものを見た。あるべきはずの、女性特有の双丘が、ない。
あるのは平らな胸。細身だが、少し筋肉質で、まるで成熟前の少年のような――
(ま、まさか……っ)
本日何度この言葉を心の中で言っただろう。しかし今回はこれまでとは比べ物にならない、確実に種類の違う、かつ人生最大規模の衝撃をエルシーにもたらした。
「だ、だだだ、男性……っ⁉」
(どうして王女様が男の人なのっ⁉)
見えない斧に脳天を割られ、エルシーはその場に卒倒しそうになった。




