マンシュタイン 戦後への旅立ち
ちょっと短いですが区切りがいいので、
次回はジー・コメンになります。
その次がギネス認定戦死者数になって
ベルリン攻防となる予定です。
何とか最後まで辿り着こうと決めています。
お待たせさせ すみません。
1944年 3月30日 オーバーザルツブルク ベルクホーフ
総統さんが苦渋の顔で苦いものを絞りだすような表情で電話をしていた。
電話の先にはもっとも信頼している元帥のマンシュタインさんがいるはずです。
彼は東部戦線を支える鉄壁のダムでしたが、すでに東方に勝ち目は無くなっていました。
このため東部戦線 南部軍集団司令官の地位を降りて後方で休養するように命令せざるを得なかったようです。
最後に総統さんがマンシュタイン元帥に「祖国はまだまだ君を必要としている。一旦休憩しろ。後ほど辣腕をふるってもらうことになる」
そう言った総統さんの寂しそうな安心したような表情は静かな予感を覚えさせるものでした。
スターリングラード陥落以降東部戦線ではマインシュタイン元帥以外は大きな勝利を挙げられていません。
しかし後方での連合国のプロパガンダが酷く、汚染した地域では汚染された分子を見つけて選別していくのも不可能に近い状態でした。
特にイギリスに拠点を構える自由フランス・自由ポーランドについてはかつて住んでいた住民とか現在の住民の血縁などから汚染してくるのです。
絶望的に手がありません。
ここに至り総統さんは自分に手を血に染める以外どうしようもありませんでした。
防疫部隊として特殊戦群Dが作られました。
これは軍部(ドイツ国民)に手を汚させないために、あくまでナチス党の内部組織である親衛隊に含まさせ、さらには軍人扱いの武装親衛隊からすら離して作られたのです。
任務は簡単でした。汚染された地域の滅菌消毒です。
つまり、プロパガンダが侵入し汚染された地域で民間人を虐殺・全滅させることです。
そうしないと後方での兵站が寸断されるほど東方軍管区は治安が低下していました。
結果的にプロパガンダ徹りになってしまいましたが、絶対的な恐怖を身に付ける以外ゲリラの出没を抑制することができなくなりました。
特殊戦群Dは連合国に肉親を殺された兵士やゲリラの蜂起で知人を失ったような兵士が優先されて配属されました。
恨みが怨みを呼び、同胞を一人でも救うために特殊戦群は虐殺をばら撒いてました。
もはや戦場に正義も敵味方すらわからなくなった中、正常な感覚を持っていたマンシュタインは現状を脳が認識し肯定せざるを得ない中、欧州人と教養と人類としての本能が拒否するのを信じがたいほど強大な意志の力で捻じ曲げていたのです。
このためマンシュタインは精神的に壊れかけていました。
かろうじてプロイセン軍人の立場に縋ることで壊れるのを防いでいただけに過ぎません。
その枷を外してマンシュタインを後方に下げたということは事実上の引退になるでしょう。
巨人が一人戦場から立ち去りました。




