絶滅収容所
1943年10月20日 ポーランド ソビボル村
先日ソビボル村で暴動が起き、収容所からユダヤ人が脱出しました。
この収容所は58haの大きさがあり、ポーランドやワルシャワ・ゲットーから集められたユダヤ人が収容されていました。
ここの治安が悪くなったのはウクライナ義勇兵(元ソ連兵)が配置されてからです。
ドイツ親衛隊は極度の兵力不足のため、ソ連兵の捕虜の志望者を置き換えられ、反乱時は20名まで減っていました。
その状態でも親衛隊はユダヤ人の組織を操作することで数千名の収容員を維持していたのですがウクライナ義勇兵が増員され200名を越えるようになったときには彼らの行いの全てを把握することは不可能になっていまました。
収容所内では規律というものが消滅し、ウクライナ人の監視者によるユダヤ人への暴行、収奪は日常の行為になっていました。
すでにラインハルトさんはいません。
収容所の再建を行える人材は払底していました。
ユダヤ人はウクライナ人を恐怖し、その上司であるドイツ人を憎みました。
そうしてユダヤ人は反乱を起こし半数以上の11名のナチス党員が殺害され、武器を奪われ激しい銃撃戦が行われました。ウクライナ義勇兵からも数十名の死傷者が出たようです。
もっともこのユダヤ人達ですがヴィシーフランスからの移送兵は特に反抗的というか怯えていたという雰囲気でした。
彼らはフランスでソビボル村の収容所はユダヤ人を全滅させるための収容所で生きて出てくることはできずに、殺害されると思い込まされていた節があります。
普通に考えればわかるのですが維持員が20名のナチス党員と200人の元捕虜の所員でどうやって20万もの収容者を殺害するのでしょうか?
少しでも反乱を起こされれば今回のように収容所そのものが瓦解せざるを得ません。
そういう意味ではヴィシーフランスではなく自由フランスの工作員による宣伝工作がうまくいった。
と考える方が納得ができます。
実際反乱を起こしたユダヤ人を取り除くのに憲兵2個大隊が出動して、反乱を起こした600人を徹底的に狩り出しましたが30人ほど行方不明になりました。
おかげでこの30人の行方が確認されないうちは近隣の町を含め、厳戒態勢で捜索が続けられています。
最終的には悪性腫瘍の転移を防ぐようにソルボル村の収容所は解体され、他の収容所に少数ずつ分散配置するしかありませんでした。
本当は根絶治療を行いたかったのですが、20万の暴徒鎮圧ができるほど予備兵力がありません。やむなく分散配置で影響を薄めるしか無かったのです。
幸いにナチスはユダヤ人を全滅させるつもりだというのはユダヤ人にしても信じたくないような情報であり、反乱の鎮圧後もユダヤ人が全滅させられなかったことで、ある程度デマだというのはユダヤ人の間で噂になったようです。
ただ反乱の実働部隊は最後の一人まで狩られているという情報を流すことで反乱の抑止策として使うことになったようです。
ところがこの反乱のあとヴィシーフランスから送り込まれてくるフランス人が妙なほどリアリティーに富むユダヤ人根絶計画を信じ、何とか収容所から脱出しようとする事例が多発し始めました。
このあたりはユダヤ人の情報によると自由フランス軍の工作分子によるもので、現地を見ながらディテールを付け加えることで、いかにもな話に仕上がっていました。
脱出した人間は逃亡犯ということで窃盗・強盗を容易く犯してしまいます。
それゆえに地域の治安の維持のためには逃亡犯を手早く逮捕もしくは射殺する必要があるのですが治安維持に必要な人員を十分に配置するのはソ連との戦闘で予備兵力が払底したドイツにとっては不可能な要求でした。
ゆえにヴィシーフランスからのユダヤ人追放を止めたかったのですが、ヴィシーフランスではユダヤ人の追放引き受けの代わりにフランス人労働力の提供を行っているので追放停止はできない相談でした。
フランス人にしてみれば全線にたつこともなく後方で生産作業の維持だけで目の前からユダヤ人、ドイツとの全面戦争の際に裏切ったユダヤ人が国内から消えていくのだから不満がある訳がありません。
自由フランス軍が工作して来る前は収容所に送りこむだけですから、良心の痛まないいい鬱憤晴らしになります。ヴィシーフランス軍のフランス統治の大きな助力になっていました。
ユダヤ人追放を止めるわけにはいきません。
ソビボル収容所の解散はドイツにとって苦渋の選択をとらざるを得ないものでした。
それは汚染部分の切除でした。
まずドイツはフランスにユダヤ人の引き受け停止を相談しましたが現状に満足していたフランス側は引受継続を要求しました。
それはユダヤ人の生命については気にしないとの明言付です。
彼らは自分の視界内で起こらない限り、まったく気にしないと明言しました。
労働資源の協力はその代償であると言って来ました。
ドイツはフランスが送り込んだユダヤ人が脱走を企て、遅かれ速かれ射殺されるなら、それにかかる人材がもったいないと判断しました。
収容所に送り込み次第、処刑しても人材の有効活用の範囲でしかないだろうと思うようになったのです。
実際に汚染が広まってしまった20万人の暴徒の脱出を止めるのは不可能です。
しかし送り込まれてきた1000人を隔離して220人で秘かに処分するのは効率的にやれば汚染拡大は不可能では無いと判断されました。
それで残りの19万9千人を救えるなら1000人を除去するのも仕方ないと判断されたのです。
一旦行動を決めると効率的に速いのがドイツ軍です。
効率的な作業のための設備としてガス室が作られ、フランスから送り込まれたユダヤ人に使用することが決まりました。
その結果と方針を自由フランス軍が入手した後でも自由フランス軍のユダヤ人へのプロパガンダはまったく変わりません。
彼らにしてみれば実際に東方の収容所へ送り込まれるフランス出身のユダヤ人は全滅してる事実を伝え(彼らの汚染工作に起因するのですが)一人でも多く後方で治安悪化に努めてもらわなくてはなりません。
いっぽうでフランス国内の収容所ではガス室が必要な状態にはなりません。
基本運営にフランス人が絡んでいる以上、自由フランスの工作分子も入り込んでいるのですが
フランス地域の治安低下は彼らとて望むところではありません。
プロパガンダは控えられるのですが、フランスの収容所はすぐ一杯になり、多くのユダヤ人が東方へと転送されていくのでその際に汚染するのです。
ポーランドはフランスではないので治安が悪くなってドイツ軍政を妨害できればいいのですから。
きっと後世の人は悩むでしょう。なぜ収容所の作りが西と東で違うのか?
このガス室はなぜ西にはなく東にはあるのか?
なぜユダヤ人は虐殺されたのか。
そんなことはきっと気にもされないのかもしれませんが、ドイツの作る歴史の中ではガス室はヴィシーフランス軍との協力のために作られた設備とか根本原因は自由フランス軍の扇動等ということは恥とされ黒歴史になるような気がします。
いずれにせよソ連との戦争は人間の真の姿を炙りだし始めました。
最終的にはどのような世界が待っているのでしょう?
叔父さんはどのような世界を作りたかったのでしょう?




