バルバロッサとバトルオブブリテン
1941年 6月22日 ベルリン 国防軍参謀本部
「これをもって対ソ連作戦バルバロッサの開始を宣言する。」
すでに二週間前からソ連軍の挙動がおかしかったことはいうまでもない。
英国からソ連へドイツの開戦について注意がいったらしいがソ連はまったく無視していた。
当たり前であるが自分が殴るほうであり、英仏に絡みつかれたドイツはソ連に殴りかかるなどはできない。
そう判断した共産主義者は正しい反応をしている。
可能な限りソ連は戦いたくなかった。
油虫並みの生命力の共産主義者を相手にするのだ。
一旦戦いに入ったらお互い絶滅するまでやることになるだろう。
なにしろソ連は捕虜に対するジュネーブ条約を批准してない。
あちらが捕虜を生かしておく義務が無い、こちらも捕虜交換の望みがない。
すなわち皆殺ししか結論が無くなる。
ただ皆殺しをすると時間がかかる。そしてソ連で冬を迎えれば戦場は維持できなくなる。
ナポレオンですら帰ってこなくてはいけなかった。
そんな歴史上の事実を知っている以上、冬が来る前にソ連の生産地域(幸いに欧州寄りだ)を占領しなくてはならない。
ゆえに泥濘が収まった6月に電撃的に侵攻を開始するしかなかった。
幸いソ連を攻撃するといっただけで、北欧・東欧から義勇軍が続々集まってきた。
ありがたいのだが、この戦争ではむしろ地元に残ってもらって治安維持と生産力の向上のほうがありがたいのだが……
作戦は初期段階はうまく行くだろう。
都市での戦闘にどれだけ時間が取られるか。
あとは電撃戦に必要な制空権をどれだけ維持できるかにかかっているがフィンランドに数十機の戦闘機の供与のときにもらった情報ではキルレシオ10対1で有利と思われる。
鵞鳥が飛んでくるようなものらしい。
とはいえ鵞鳥でも地上にとって空を飛ぶものが脅威であることは差が無い。
英国への報復は苛烈にかつ短期間で終了させておくことにしよう。
1941年 9月 7日 ロンドン地下鉄 ノッティングヒルゲート出入口
爆音と共に真っ黒な闇のように煙が吹き込んできます。
出入り口近くで爆弾が破裂したらしく、火薬の臭いと一緒に煙とガラスとレンガ交じりの爆風が吹き込んできました。
爆音が終わり一息ついたときには地下道は全身に切り傷まみれになった人々が転がっています。
避難の途中だったのか、子供の泣き叫ぶ声も混じっています。
それを止める声は聞こえません。その血まみれの子供が泣き叫ぶ横に倒れた婦人たちの一人が母親だったのでしょうか?
地下道は地上よりは安全ですが被害0というわけにはいきません。
ロンドンは今日ドイツ空軍の爆撃を受けました。
都市に対する爆撃は戦時条約により禁止されていた項目の一つでした。
しかし英国空軍のベルリン空爆により結婚式の新郎新婦を含む10名の死傷者が確認されたことからロンドン空爆が報復として始まりました。
この爆撃は「都市」の「教会」への爆撃と二重に渡って戦時国際条約を無視して行われました。
この結果がどのような結果を招くのか叔父さんは英国に教育するため、都市への絨毯爆撃を命令したのです。
その結果が今にも事切れそうな子供が地下道に横たわっています。
この日364機の爆撃機と護衛戦闘機がロンドン港を目標に爆撃しました。
爆撃被害は港内だけではなく外れた爆弾が着弾した住宅地でも多くの被害を発生しました。
そして、この日だけで夜間爆撃も含めると436人の戦死者と1666人の負傷者が発生しました。
英国は恐怖し、ロンドンから疎開して仕事のときだけ戻るという生活が労働者階級に根付くほどでした。
4万人を越える死亡者と100万以上の被災者、65万に及ぶ学童疎開を引き起こしたバトルオブブリテンの本番の幕が上ります。
ドーバー海峡 34kmしかない、この距離が絶望的に遠いドイツ軍と、幅の狭すぎる水濠としてその防衛に全力を尽くさざるを得ない英国軍の二つは共にこの海峡を乗り越えることができずに全力でその方法を模索していました。
ドイツ海軍のレーダー提督は空母という船の重要性を常々説いて回りましたがまだ完成していません。
というのも空母という船が戦艦に比べて重要なのか?
これは未だに結論の出ていない課題の一つなのです。
昨年11月英海軍が空母で戦艦3隻を浸水着底させるという戦果を挙げていましたが、飛行士の航法技術や天候情報の分析による調整など従来の海戦とは比較にならないほどの情報集積の上で行われたものであり潜水艦による水雷攻撃のほうが効率が良いのではないかという考えがありました。
この認識を一変させたのが真珠湾攻撃なのですが、現時点より3ヶ月ほど後のことになりますので空母の潜在性に気付いていたのは東方の同盟国の大日本帝国海軍のみでした。
大日本帝国海軍は南京空襲で源田実参謀は制空権を得るものとして戦闘機による制空隊を編成することで敵パイロットを消耗させることでしか航空基地から制空権を奪取することは有効でないことを気付いていました。
それに反してドイツは航空基地を攻撃することを主力で制空権を得ようとしていたため、ロンドン他都市部に攻撃主力が向かった期間だけで航空基地が補修され復活することをこのとき学んだのです。
どのみち英独にとってドーバー海峡の制空権を握ることは必須のものでした。
双方の戦闘機は英本土や海上で激しい戦闘を繰り広げることで制空権獲得を目指しましたが、音を上げたのはドイツが先でした。
この戦いでドイツにとって英仏海峡の制空権獲得はコストが高く、かつ意味が低いことが判明していました。
英国上陸占領が可能な状態ならともかく、資材やパイロットの需要を考えると東方戦線に主力を向けるほうが良いと判断したようです。




