北方・西部戦線開幕
1940年 4月27日 オーバーザルツブルク ベルクホーク
総統さんが唄うような嘲るような口調でノルウェー王家の脱出の報告に答えています。
目の前にある電話は4台。ここは居間で仕事部屋ではないのですが……どこでも仕事が付いてくるのが総統さんのお仕事です。
それでもベルクホークでの仕事は自宅でやる分、息抜きができると仰います。
そのせいか、ノルウェー占領作戦中、こちらに滞在していました。
目の前で事件が推移したおかげでなぜ総統さんがノルウェーを占領させられるはめになったのか良くわかりました。
もともとノルウェーは中立宣言をしていました。
総統さんはそれを尊重して中立のままで放っておく予定でした。
それに横槍を入れてきたのがイギリスです。
英仏がドイツに侵攻計画がないまま宣戦布告したせいで、ドイツに損害を与える行動が立案できない状態でした。
馬鹿なと思う話ですが、総統さんの前で外交官が話したりする内容と、戦場で戦闘が起きないことを変だと思っていたところに訪問してきたルドルフ・ヘスさんが説明してくれました。
ドイツがノルウェー経由でスウェーデンの鉄鋼を輸入していたのですが、それを止めればドイツは干上がるとイギリスが考えてたのが始まりだそうです。
ノルウェー領海内でのイギリス海軍の臨検(乗り込みの際に戦闘で輸送船に死傷者発生)に始まり、機雷敷設による港湾封鎖まで計画したようです。
当然ノルウェーは抗議しますが、その抗議へのイギリスの回答は領土割譲による航空部隊の駐留でした。
結果、中立が維持できなくなると判断されたノルウェーはドイツの侵攻を受けることになります。
ドイツはその侵攻の足場としてデンマークを6時間で降伏させると同日ノルウェーに侵攻を開始しました。
侵攻したのは主戦力ではなく僅か5個歩兵師団と山岳師団所属の2個連隊でした。
彼らは海軍の船により6箇所に同時に輸送上陸することで、ほぼ半月でノルウェー政府の脱出まで追い込んだのです。
それにしてもイギリスの悪辣さはその脱出した人たちに臨時政府を立ち上げさせてノルウェー国民への抵抗を煽ったことでしょう。
何しろマッチを擦って火をつけたのが自分なら、消火された後の焼け跡まで薪として使うような行為です。
自分らの兵士が死なないならば他人の苦境に付込むことを躊躇しないイギリスという国は汚い国だと感じました。
総統さんが言うにはそういう国が厄介なんだよということでなんとなく納得しましたが、ドイツはどうなのでしょうか?
1940年 4月28日 オーバーザルツブルク ベルクホーク
情報部からの連絡と外交部からの電話でノルウェー王家の落ち着き先がようやく確定した。
英国だ。
ポーランドはフランスだったので、それぞれ亡命国家を抱えることになったというところか……
ノルウェーについては英国に戦争原因があるので、当然の結果ともいえるのだが。
これで秘匿呼称ヴィーザー演習作戦は北部のナルヴィク周辺を除き戦闘は終結した。
もっとも鉄鋼の積み出し先であるナルヴィク港は早急に確保しなくてはいけない。
この戦いは予定外だったがフランス侵攻を急がなくてはならない。
幸運なことに手垢の付いたシェリーフェン計画ではなく、マンシュタインという参謀将校が意欲的な短期決戦計画を持ち込んできてくれた。
この作戦が順調に行けば2月以内にパリ陥落も可能な計画だ。
備蓄中の資源と消費資源を考えると半年以内にフランスを落とさないと経済が崩壊する可能性すらある。
東方生存圏が形だけでも成立した今、この猶予を使ってソ連が攻めてくる前にフランスからの圧力を減少させる必要がある。
英国は海上戦力で経済封鎖を仕掛けてくるだろうが、陸上戦力は乏しい。
フランス無しでは欧州半島での陸上での戦いはできないはずだ。
経済封鎖についてはUボートの無制限攻撃で対抗するしかない。
なにしろ海軍はノルウェー沖海戦の結果、主要艦の多くが修理ドック入りになった。
駆逐艦も10隻ほど失っている。
相手も空母1隻を失っているが戦艦は無事だったことを考えると不満が残る結果になった。
黄計画及び赤計画としてベルギー・フランス侵攻計画が立案されたが、今日第一陣が国境付近集結に向かって移動を開始した。
今日中には総統専用機でベルリンに移動しなくてはならない。
次の休暇は何時取れるのかわからない、戦争だと諦めるしかないのか。
前線の兵士達を思えば贅沢なのはわかっているが……気が重い。




