赤軍兵士は畑で採れ、ポーランド全土は疑心暗鬼と不満で埋まる
1939年10月10日 ポーランド ヴァウィストク(ソ連占領範囲の都市)
深夜遅く、ポーランドの大都市ワルシャワにロシア語のきびきびとした命令が飛び交っています。
やがてそれは特定の区画に集中、やがて女性の悲鳴や叫び声、誰かが拳で殴る音が混じりだしました。
「ここの反動分子はまだ若い妻と子持ちだ、たっぷりと身体に聞いてみようぜ」
ロシア語を叫びながら、半裸の女性にのしかかるソ連兵と、それを止めさせようとして、殴り飛ばされる男性の姿がありました。
不気味なことにそれは街中の一区画にのみ集中しており、夜が明けるまで女性の悲鳴は続くことになりました。
翌日早朝、ワジェンキ公園には全ワルシャワ市民が召集されました。
そこにはボロを身体に巻いただけで全裸に近い、擦り傷だらけの女性達が血まみれの顔で横たわる男達を泣きながら介抱しています。
女性の中にはグッタリして事切れる寸前の人たちもいました。
その様子に市民達が助けようと近づいた瞬間、ソ連兵士が銃を構え威嚇してきました。
しばらくしてソ連兵士の方から市民にポーランド語での説明が始まりました。
「昨晩、反動分子が潜伏した区画に調査を行った。その際に女性達に事情聴取を行ったが非協力的な女性達には尋問を行わせてもらった。そのときに彼女らの夫もしくは恋人が抵抗を行い反動分子が正体を現した。それらの人物は無力化してそこに置いてある」
公園中に目に見えるような勢いで、怒りが充満していくのが判りました。
「善良なる市民諸君には反動分子の危険さを確認してもらうため公開処刑に立ち会ってもらう」
そういうと処刑用に立てた丸太に男達を縛り上げ始めました。
「処刑は知らずとはいえ反動分子に協力していた女性達に行ってもらう」
そういうと ライフルが手当てしていた女性達に無理やり手渡された。
「一人目処刑開始!」
女性は引き金を引くことも無く、立ちつくしていたが、横からソ連兵が拳銃で女性の頭を吹き飛ばしました。
「彼女は反動分子だった。」
ソ連兵から即座に判定が行われました。
「次の射手!」
出てきたのは10才くらいの女の子です。撃ち殺された女性にすがりつくと泣き始めました。
「ライフルを持ち処刑を行え」
そういうと死体から引き剥がしライフルを無理やり押し付けます。
丸太に縛られた男は父親のようです。大声で彼女に自分を撃って生き延びろと叫んでいます。
群衆はかれの叫び声にひかれて限りない悲憤を覚えていました。
「処刑開始!」
パーンという音と共に男は胸を撃たれました。
撃った少女はライフルを取り落とすとガタガタ震えています。
その少女の下にソ連兵が一人近づいて行くとパンと拳銃で頭を吹き飛ばしました。
撃たれた男は瀕死の重傷ですが死に切れてはいませんでした。
最後の一言は「なぜ娘まで……」でした。
「射手が反動分子の命令に従ったため反動分子とみなし粛清した。二人目の処刑を準備しろ」
そのは無言で処刑が進み、時々ソ連兵を撃とうとした女性ごと射殺するペースで昼ごろには200人近い処刑者が出ました。
集められた最後の一人が娘ごと処刑されたとき、群集の怒りは頂点に達そうしていました。
だがソ連兵の次の言葉を聞いた瞬間、彫像と化しました
「偉大なる党本部の命令書では秘密警察の調査でワルシャワの当該地区には250名の反動分子がいると書いてある。現在196人。他の地区に逃げ込んだようだな」
すると群集の中から一人の男がスーツ姿の男により引き摺りだされました。
スーツ姿の男はロシア語でソ連兵へ何かを話しています。
「この反動分子は隣の地区から入ってきた女性・子供を保護していたそうだ。おそらく何代も前から反動分子を続けていたのであろう。祖先の誰かがあの地区に住んでいたのだろう。先祖の反動分子の代わりに処刑されろ」
その男は喚きながら処刑されました。
その男に続いて次々と群集から男達が引きずり出されてきます。
引きずり出してくる男たちは農民風、職人風の服装ですが一律にロシア語で話しかけています。
ソ連兵も最後の方には面倒になったのか。お前の子孫があの地区で反動分子になる罪とか言い出しました。
そうして引きずり出された生贄の処刑はあと6人というところまで進むと、
「250人粛清完了。その6人は反動分子ではないが行動には要注意して行うように説諭してから開放しろ。市民の諸君、党の命令に250人の反動分子と書いているのだから、あの地区にはもう反動分子はいない。今後は秘密警察の調査で党本部から粛清命令が出ることの無いようにしたい。反動分子を見かけたらワルシャワ市共産党事務所まで連絡するように、我々で止められない場合には党本部が強力な調査を行わせてもらうことになると思う。解散!」
市民はこの不気味な場から逃げたくて一斉に後ろを向くと駆け出した。
それに向かって何か意味でもあるようにソ連兵が指差ししてメモを取っている。
まったく関係のない報告書だったりしたのだが、市民にそれがわかるわけも無く市民の間に巨大な不信が放り込まれることになりました。
やがて市民が赤軍兵士に徴兵された後も、家族を反動分子の仲間にさせないために命令どおり動くことへ命を懸けることになります。
新規占領地から一週間以内に成人男子の殆どを徴兵しても命令に従順。
これが畑で兵士が取れるといわれるほどの赤軍兵士動員力の秘密だったのです。
1939年10月18日 ポーランド ワルシャワ(ドイツ占領地域)
ポーランド人をどのように扱うべきか、ハンス・フランク博士との協議の結果、博士を首班とする総督府を作り出し、その地域に収容所を建設して、可能な限りの人数を収容所に送りこむこととした。
東方生存圏構想にしたがってポーランドにドイツ人が入植可能な地域を作ることとと、ソ連軍が侵攻してきた場合には戦場になる予定の地域に生産設備をおくことに無理があるためである。
生産施設とは工業のみならず農園や牧場も含まれるため労働者が余ってしまう。
その余剰の人員は収容所で生活してもらい、資源配分に負荷をかけないようにするのが目的だった。
もう一つにはユダヤ人の収容所をポーランド内に移動し、収容所内での自治を認める形でユダヤ人にポーランド人を支配させるのが目的だった。
あのときのポーランドの裏切りは未だに腹の底で煮えくりかえっている。
見捨てたユダヤ人に管理されればどうなるか、その辺はポーランド間での自己責任でお願いしたい(笑)
そんな構想を抱いていたのだが……
あの時ユダヤ人を見捨てた関係者はポーランド国内に国内に残っていたユダヤ人の家族の協力で数十万単位で集めることはできたのだが、その時点でドイツ国内の労働力不足が致命的になり緊急で補充しなくてはいけないことになった。
主に機甲部隊の装備や海軍の船舶など軍拡に関係して重工業の人材が酷く不足したのである。
やむなく職人を中心に半分近くの人員をドイツに輸送することになったが、そうなった時に収まらなかったのがユダヤ人である。
職人階級は中の上ということで彼らから見てもっとも見下してきた層だったらしい。
ドイツへ送った人間を収容所に送り返せとの抗議が煩く、総督府一任の案件にした。
自分らでイビレないからと言って文句を言ってくるのはユダヤ人の僻み根性なのだろう。
結果、総督府内に収容所を増設して、治安維持に不安な要素になりそうな人間を捕まえては強制労働させる方向で新設の2つの大管区(旧ポーランド地域)の治安維持を優先することになった。
それにしても英仏の宣戦布告といいユダヤ人の反抗といい、どこか歯車が狂っているだけなのに結果はどんどん暗礁に乗り上げて行く。
この地域はソ連が侵攻してきしだい一度大掛かりな矯正を行って、規律を回復させなくてはならないだろう。




