アンシュルス
1938年 4月11日 オーストリア州 ウィーン
昨日の国民投票でオーストリア国はドイツ連邦に吸収合併されることが決まりました。
オーストリアでは非常に微妙な雰囲気が流れています。
合併先の国の首長が自国民というのもあるのでしょうか?
叔父さんに対する評価がまだ定まっていない感じでフワフワした雰囲気になっています。
もともとオーストリアのハプスブルグ家とドイツのホーレンツォルンケ家はお互いに相手を合併しようとして長い間争ってきました。
故にこの二つの国のドイツ人にとって合併は宿願だったのですが両家とも世界大戦後に没落しています。
そこで合併を勧めたのがヨーマンでも貴族でもないドイツ人ということにオーストリア人の富裕層は納得しがたい何かを感じたようです。
とはいえ合併が決まった結果、ドイツ連邦の共通する法律がオーストリアでも運用されます。
ニュルンベルク法や銀行法、交通法にいたるまでオーストリアを駆け巡る嵐になります。
オーストリアはドイツ人以外にも多くの民族が生活しています。
アーリア人優先主義に基づき少数民族の順位を決めるのにしばらくかかるでしょう。
おそらくドイツ人に近い部分にオーストリア系ドイツ人は格付けされ、ユダヤ人は変わらずに最低限はロマ族になるでしょう。
ウィーンの街頭ではスラブ系の人々がどこに当てはめられるかを当てる博打が流行っています。
不安半分、期待半分で多くの人が見守っているそんな状況です。
1938年 4月11日 ベルリン 総統府
ようやく方向性が定まってきた。
一月前には危うく武力侵攻すら覚悟したのだが、平和にオーストリア併合を終わらせることができた。
外交で3月~4月にかけてはザルツブルクのベルクホーフに留まることも多かった。
ベルクホーフは少し南にいけばオーストリアということもあって、オーストリア国内情勢の入手・操作のために近距離でのこまめな操作が必要だったのだ。
不快なことにオーストリア内部ではハプスブルグ家がそれなりに影響力を残している。
オーストリア・ハンガリー帝国といえば年配者への憧憬を引き出すものだ。
そんなものは世界大戦で民族自決が公認になったせいでバラバラのジグソーパズルにしかならない紛争地帯なのだが。
そんな中で国力となるドイツ系オーストリア人をどう保護するのかが大きな問題だった。
国民投票で所属する国家を選択するのは、紛争地域ではよく用いられる手法であり、今回のオーストリア併合でも民主的に進められた。
ゆえに諸外国も表立っては制裁ができない。
もちろん国民投票についてはいくつか運用方法があったのだが……まあその結果が97%の併合賛成という結果になったのだから仕方が無い。
この賛成率は異常な数値というわけではない。
まず投票は併合に関する地域ということでドイツ全土とオーストリアを一つに統計して行われた。
どちらも賛成でなければよい統合はできない、当たり前のことだ。
次にドイツが保護するのはアーリア人のみである。
これはすでにニュルンベルク法が施行されている以上、オーストリアについても併合後はドイツの法に従って統治される以上、投票権を有するのはアーリア人と認められたドイツ系オーストリア人である。
これは今回の国民投票でも厳格に守られた。
スラブ系セルビア人とかクロアチア人とかの対立を考えるとドイツ系以外の諸事情は複雑すぎて自分達で解決してもらうしかない。
それが不満ならオーストリアから出てスラブ系国家へ転居してもらえばいいだけだという認識である。
別にそれを止めようとは思わない。
そうやって軍隊を国境に配置して内閣を転覆させたり、ハプスブルグ家に直接的な圧力を加えたり、国境のゲートを破壊して自由通行の素晴らしさを体感させたり、硬軟あわせての世論醸成に追われた。
ドイツ系内部だけで過労で倒れそうなほど疲れた。
他の少数民族を含めてとか想像もできない。
ともあれ、オーストリア政府の資産は戦後賠償金等で大分減っていたが、国庫に余裕を与えてくれた。
土地も東方生存圏確立の第一歩としては十分な広さを手に入れたといえるだろう。
後はオーストリア州内部にいるユダヤ人やスラブ人に他国へ移転していただき、アーリア人に働き口を与えていくことになるだろう。
まずは公務員の整理と軍隊の徴兵から始めることにしよう。




