悪魔の爪は双方に傷を刻む
1934年7月3日 ベルリン ヒトラー邸
夕闇が迫る中、ソファーに座った叔父さんが力無げに首を垂れています。
長い間親友だったエルンスト・レームさんを想ってのことでしょう。
レームさんは、戦後すぐからの友人で突撃隊を指揮してきました。
一時期、分れて南米に向かったこともありましたが、叔父さんが困ったときには戻ってきて突撃隊を率いてくれました。
その親友が一昨日亡くなりました。
「長いナイフの夜」とよばれるナチス党内の粛清の結果です。
ヒトラー内閣が1933年に成立した後、レームさんは突撃隊を国軍にするべく精力的に動きまわりました。
しかしヴェルサイユ条約で定められた国軍は陸軍が10万人だったのに対し、突撃隊の総員は400万人、武装兵士50万人にも及ぶ国内最大の武装勢力だったのです。
現状のまま国軍に組み込めば、国軍が吸収され突撃隊こそが国軍となるでしょう。
そして、それこそがレームさんの希望だったのです。
先の世界大戦を見たレームさんの結論は、現在のドイツ国軍の基幹をなす国内の階級制度、ユンカー制度を基にした軍隊では世界大戦は戦いきれないというものでした。
ユンカーを士官としその下に労働者階級の兵士を割り振って、部隊をつくるという手法では莫大な数を必要とする兵士の損失を埋めることはできない。
これを是正するには国民軍の創立しかありえない。
軍に入った国民は、その能力に応じて将官や兵士に割り振られるべきであり、生まれは考慮しないというものでした。
そして現状でそれがもっとも具現化できているのが突撃兵である以上、この制度に国軍を吸収させるべきという考えです。
先の大戦の戦死者が1000万にも及ぶため、補充兵の士気の低下からドイツ革命が起こったことを考えると一応の筋は通っています。
それゆえに叔父さんもレームさんを切り捨てることはできませんでしたが、その提案を受け入れることも不可能でした。
外交的にヴェルサイユ条約を跳ね除けるにはドイツはまだまだ国力が回復していません。
内政的にもようやく戦後の混乱期を脱出しかかっている状態で、国内資本家と協力して経済を立て直している最中です。
このようななかで、政策を保守よりに切り替えざるを得なかった叔父さんにとって保守層の塊である国軍との協調は大きな課題です。(士官が富裕層ということは軍そのものが富裕層の既得権益に直結しています。軍内部でそれに対抗できるだけの若手将校が成長するにはまだ時間が足りません)
1933年にはレームさんを無任所大臣として閣僚にし勲章を贈るなどして懐柔を試みましたが、1934年になると突撃隊が過激化してきて第二革命をうたい出します。
そしてヘルマン・ゲーリング プロイセン州首相、ハインリヒ・ヒムラー親衛隊全国指導者、ラインハルト・ハインリヒ親衛隊諜報部長官の3人が関わることになり事態は一気に加速します。
彼らにとってレームさんは政敵でした。
レームさんの言動を調べ上げ、反政府的な革命を起こす方向に向かっていると叔父さんを誘導し始めたのです。
叔父さんが腰が重いと判断するや、噂を元にヒンデンブルク大統領を巻き込み、首相が処置しない場合には大統領権限で戒厳令を発行することを宣言させました。
戒厳令が発令されれば全ての権力は大統領に集中し、国政は大統領の掌中に握られることになります。
やむなく叔父さんは突撃隊幹部の粛清を決断しました。
それは6月30日に始まり、7月2日を持って終わる粛清劇でした。
突撃隊の主要メンバーは銃殺され、規律は一気に引き締まりました。
乱暴者の多かった突撃隊に対する措置として、国民はこの決断に歓迎しました。
そんななかで、隊長のレームさんはピストルを渡され自決の機会を与えられましたが、結局射殺されました。7月1日にいたるまで叔父さんはレームさんへの処刑を躊躇っていました。
ヒムラーさんとゲーリングさんが延々説得して、ようやく許可したのですが、後悔していたようです。
それが今日の法案「国家緊急防衛の諸措置に関する法律」に現れたようです。
内容は「1934年6月30日、7月1日及び7月2日の反逆及び売国行為を鎮圧するために執られた諸措置は、国家緊急防衛として正当なものとする」というたった一条の文から成る法律で、レームさんへの長年の友情を裏切った贖罪の弔辞のように見えます。




