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悪魔の決意

 1931年 9月26日バイエルン州 テゲルンゼー


 ゲリは埋葬された……はずだ。

 入国拒否さえなければ埋葬を隠れてみたことができたろうが……

 政治的配慮というやつが今は恨めしい。


 今いるミューラーの別荘だがテゲルンゼー湖に面している。

 今日は快晴、雲一つない天気だが、僅かな間、別荘を影が覆い日差しが途切れた。

 次にエンジン音が響いてくる。

 おかしいと思い外に出て、その正体がわかった。

 最新鋭の飛行艇ドルニエJ 三座飛行艇 ワールだ。

 飛行艇は湖に着水するとボート用の桟橋に接舷し、コクピットからパイロットが身を乗り出し大声で叫んだ

 「ウィーン行きの足を用意した、お前も行こうぜ!」

 その声はルドルフ・ヘス、親友の声だった。


 おかしいとは思っていたんだ。ルドルフはゲリと非常に仲が良かった。

 今回の葬儀に出席しないというのに違和感を覚えていたんだが、まさか新鋭機を持ってくるためとは思わなかった。

 「アドルフ、ウィーンの南にはノイジードル湖があって、その水面にハンガリーとの国境が走っている。ハンガリー側から入って、北のウィーンに近い岸にお前を下ろす。そこからは埋葬に立ち会ってる連中の車で墓参りに向かう。終わったらとんぼ返りでここに戻ってくる。心に整理をつけよう。」

 ルドルフはそういうと縄梯子を下ろし装備一式と一緒に降りてきた。

 上空は寒いので防寒のしっかりした操縦服を身につけないと凍えてしまうそうだ。

 ルドルフに手伝ってもらい一式を身につけると後部座席に乗り込んだ。

 壁のぼりの後コクピットに収まるとほっとした。

 休む間もなくルドルフが操縦席に乗り込み、出発。

 一路西に400kmの移動だ。

 とはいえ、巡航速度で2時間半程度の移動らしい。

 飛行機の速度は予想以上のものがある。

 離水して流れる風景を見ている間だけ気が紛れた。

 強い風が肌を嬲り、僅かに露出した部分の体温が奪われていく。

 皮膚が強張り、強い風にも冷たさにも無感覚になっていく。

 そんな状態で10分もしないうちに

「オーストリア国境だ!」

 とルドルフの声がした。

 とはいえ山越えのルートを通っているので下を見ても、家や人が殆ど見えない。

 国境という名前だけで何もそれらしいものはない。

 こんなものがゲリの埋葬への参列を邪魔していたかと思うと、本当にやるせない。

 飛ぶことしばし、150kmで巡航していると前方に輝く鏡が見えた。

 「ノイジードル湖だ。南から入るぞ!」

 ノイジードル湖の南岸近くで大きく曲がって北向きに。

 水面近くを一路北に向かう。

 北岸につく前にエンジン付きボートが近づいてきた。

 ボートの上にいるのはドイツの突撃隊制服たぶんレームだろう。

 それを見たルドルフはエンジンを止め、プロペラを停止させた。

 惰性で進む飛行艇から、縄梯子が下ろされるとボートの乗員が掴み、ボートが引きずられた。

 その縄梯子を伝って後部座席からボートに降りると、そのままボートはエンジンを全開にして、湖岸向けて進んでいった。

 ボートの向かう先には自動車が見えた。

 あれに乗って、中央墓地に向かうのだろう。

 岸に着くなり車に飛び乗ると30km程先の中央墓地まで30分で行きますと運転手の声が聞こえた。

 予備の車が後ろを追う中、予定通りに中央墓地についたが、その間の上下動は耐えがたいほどだった。

 高速移動のためにも道路は舗装しておかなくてはならない。

 運転手は車のトランクから花束を取り出すと、白い墓石の一つに向かって歩き、立ち止まった。

 言われなくてもそこがゲリの墓地だということはわかった。

 その場まで小走りで向かうと運転手から花束を受け取ると献花した。

 小さな墓石、アンゲリア・ヒトラー 生没年1908-1931 両親の名前、聖書の一文

 それだけが刻まれた墓石だった。

 それを見たときにゲリが失われたことが実感として襲ってきた。

 泣きたいが泣けない、寂寥が強すぎて胸の中を北風が吹きつけるようだ。

 胸が痛む。本当に痛みがある。

 足の骨がなくなったようにフラフラとして立っているのが辛い。

 ここで崩れ落ちて泣けたらどれだけ楽になれるだろう。

 そう思うものの、残った見栄だろうか立ったままで墓石を見下ろすだけだ。

 献花すると運転手に指示して帰路に就く。

 自分が失ったものの大きさに後悔だけが胸を占めるが、この先どうするかは決めていた。  

 彼女はドイツを立て直すことを望んでいた。

 ならばナチス総統としてドイツ民族のためドイツを立て直すことを誓おう。

 そのために邪魔するものが排除する。

 両手を血で染めようとかまわない。

 既に血で染まった手には差はない。


1931年 9月26日 オーストリア・ドイツ国境付近

 

 ドルニエJ型飛行艇が山を越えてドイツに戻っていきます。

 たぶん新型機でしょう。イタリアに依頼して製造しているタイプでしょう。

 無茶をする人です。

 叔父さんらしいともいえますが、むしろルドルフ叔父さんのアイデアでしょう。

 あの人は慎重な性格のくせに飛行機に関することだけは突飛で無謀ですから。

 辺りを見回してもオーストリア軍の動きはありません。

 ほっとしました、墓参りで国際問題なんて御免です。


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