天使の埋葬
1931年 9月17日 ???
激しい衝撃が脳髄を揺さぶる。
激痛すら生易しい痛みが走った後、私は自分の死体が床に倒れているのを見ていました。
かろうじて貫通したらしい25ACP弾は首の後ろを大きく抉り取っています。
しかし顔を綺麗なままで、そののみが救いでした。
逆に言えばそれ以外は予想しないほど最悪なものです。
死んで筋肉が緩めば、当然ながら体のものは垂れ流しになります。
排泄物と汚物にまみれ大量の血があたりに広がっていきます。
服は血液と汚物を吸い上げ元の色は予想すらできなくなっていました。
(叔父さん……)
そう思うといきなり風景が変わりました。
叔父さんは車に乗って移動しているようです。
ミュンヘンからニュルンベルクに移動している途中ですね。
こちらから話しかけても反応はないが、向こうが何を言ってるかは聞こえてきます。
オーバーザルツブルクのことを思うと風景が変わりヴァッフェンフェルトハウスに視点が移ります。
思った場所に瞬時に動いているみたいです。
でも天国にも地獄にも行ってないのは何故なのかわかりません。
幽霊にでもなったのでしょうか?変な気分ではあります。
1931年 9月18日 ニュルンベルク
「急げ!最大速度だ!!」
ホテルに泊まっていると電話の連絡が入った。
ゲリが自殺したという……有りえない!!
やっとプロポーズに踏み切ったんだぞ。
何者かの陰謀に違いない!
犯人は見つけ次第、殺してやる。
最初にゲリ死亡の連絡がきたとき、心の中では誤報で訂正の連絡が入ってくるのを期待していた。
だが伝えられた第二報は死亡確認と死因の報告だった。
その場ですべてのスケジュールはどうでもよくなった。
ナチスの決起集会……そんなことをしている場合か!
今はミュンヘンに戻るのが最優先だ。
ニュルンベルクからミュンヘンまで私は感情を失っていた。
世の中のことがどうでもよくなり車窓を流れる風景をただ見ているだけになっていた。
ミュンヘンに着いてアパートに入ると、すでにゲリの遺体は警察に運び去られ、血の飛び散った壁と掃除されたらしい石床が出迎えてくれた。
「おかえりなさい、叔父さん」この声が聞こえなかったとき、はじめて喪失感が爆発して胸に穴をあけたように苦んだ。
「何故だ!なぜ死んだ!」
声は壁に跳ね返るだけで誰も答えてはくれなかった。
その場にいることは耐えられず、ハインリヒ・ミューラーの別荘に避難させてもらった。
それから、ひたすら部屋の中をうろつきながら考えを纏めようとした。
最初に浮かんだのはゲリの自殺がスキャンダルに扱われて、彼女が中傷されることは隊られず、反証すればすればするほど面白がって騒ぎ立てる新聞屋についてだった。
かといって反証しなければゲリの名誉が損なわれる。
一番いいのは自分が一市民になって無名になることだ。
そうハンス・フランクに相談すると、「任せておいてください。まだ間に合います」
彼はミュンヘン中の新聞社に記事の取り扱いの自粛を求めたらしい。
……突撃隊が直接訪問して
次になぜ死んだのか……彼女の心の奥底を考え出した。
最後の昼食の時に彼女は政治家を引退するのに猛反対していた。
その理由は何だっけか?
引退しようとしてもナチス党の状況がそれを許してくれない、みたいな内容だったと思う。
結局は政治と向き合って、全部なぎ倒す覚悟を決めなくてはいけないみたいな感じだったか?
さもなくば政敵に抹殺されるとも言われたような気がする。
また彼女と二人だけ安閑とした生活をしようとしても、ドイツ民族を見捨てた心痛で結局うまくいかなくなるともいわれたような気がする。
いみじくも彼女は大ドイツの女神として私を叱咤したのだろうか?
わからない。本当にわからない
気付けば外が暗くなったり明るくなったりしたが、ただ歩きながら考えること以外は何もする気が起きなかった。
やがて彼女の葬儀の話が起こったが、母アンゲラの意向でウィーン中央墓地が選定された。
これはヒトラー家がカトリックであり、自殺はカトリックにとって強い罪になることと、ドイツ国内の教会で行えば、その場にアドルフ・ヒトラーが立ち会わねばならず新聞社の格好の餌食になること。
ウィーン中央墓地は人種・宗教を問わず受け入れることで有名な墓地であり、ウィーンのあるオーストリアはアドルフ・ヒトラーに対し入国拒否を行っているため欠席しても自然なことを考慮してくれたらしい。
9月24日の埋葬が決まり次第、遺体は輸送され400km以上東のウィーンに向かって鉄道輸送された。
出席者は彼女の母妹、兄のほかに党からはエルンスト・レーム、ハインリヒ・ヒムラ―、ハインリヒ・ミューラーが出席に手を挙げた。
彼らは小さい時からゲリをよく見知っていたし、今回の自殺を心から悲しんでいた。
親族と一緒に彼らも往復で1週間かかる旅に出発した。




