悪魔の大躍進と天使たちの悪戯心
1930年 9月14日 バイエルン州ミュンヘン
よく分らないうちにあれよあれよとドイツの景気は悪くなっていた。
最初はアメリカが資本を引揚げたせいかと思っていたが、どうもドイツだけでなく欧州全体の景気が悪くなっている。
賠償金支払いのヤング案については総額の莫大さと60年にわたる支払い期間から反対キャンペーンを繰り広げたが、国民の間ではやっと全体像が見えた現実的な賠償金の支払い案として消極的賛成の機運が強く国民投票では94%が賛成に回った。
もっともこの半年の間にドイツは大不況に落ち込んでいたので賠償金の支払いは難しいだろう。
しかし同時期の英ポンドの下落はどう見ればいいのだろうか?
①ドーズ案、ヤング案で賠償金の年間額が下がる。
②賠償金をアメリカへの戦債に回せなくなり自国の財産で払うことになる。
③金本位制のポンドが売られ、外国で金に交換要求が出されると金が流出する。
もしくは売られなくても金の総量でポンド総額が決まるので新規発行ができない。
④国有の金の量が減る分だけ発行できるポンドの総量が少なくなりデフレになる。
⑤待てば易くなるので買い控えが起きる。
⑥不況になる。英・仏は自国と植民地だけで貿易を行い通貨の海外流出を防止する。
⑦その他の国が英仏米に製品を売れないため不況に陥る。
こんなところだろうか?
ドイツはアメリカの資本逃避さえなければ1レンテンマルク=1ライヒスマルクという流出しようのない土地本位制とも言うべき、新しい通貨基盤を生み出したので、それらの問題とは無縁だが、企業の運転資金不足による倒産は眺めているだけだ。
本来なら国が率先して資金を貸し付け雇用を維持しなくてはいけないのだが……
とまあ、このへんはヒャルマル・シャハトの受け売りである。
彼は今年3月までドイツ帝国銀行総裁だったドイツきっての天才経済学者だ。
レンテンマルクの仕組みを考えハイパーインフレを終息させた男といえば天才振りが分るだろう。
そんな人物がヒンデンブルク大統領とヤング案で対立して総裁職を蹴った。
その後に頼ってきたのが弱小政党でしかない我が党なのだが……これはナチス党が国家財政を任せられる人材を手に入れたということだ。
彼は「我が闘争」に共鳴したといってくれた。まさに得がたい人物であり、党に入ってくれたのは僥倖そのものといってよい。
そういうわけで、今回の選挙戦は彼の意見を参考にすることで、従来の資本家目線と労働者目線に加えて銀行家目線のアピールを強く出すことができた。
政府が出してきた人頭税による財務改革反対の理論付け部分で銀行家目線を多用した。
その結果は与党のドイツ社会民主党に次ぐ第2党107議席の獲得である。
問題は今回第3党になった共産党だが彼らをシャハトは毛嫌いしているし、そこも私と気の合う所だ。
共産党員は最後の一人まで根絶したいと思っている。
1930年 9月16日 バイエルン州ミュンヘン
今日はエロ中年のスケベ親父にしつこく誘われて彼の演説を聞きにきました。
新聞で見ましたがスケベ親父が党首の党が国会第2党というので、ちょっとこの国の未来に不安を感じます。
父の意見もあり拒絶に近い態度をとったのですが、一向に気にした様子がありません。
図太いなあとは思っていましたが刑務所に2度入れられたことがあると聞いてちょっと怖くなりました。
とはいえ義理で一度は聞いてあげようと思い、ホーフブロイハウスの北300mのホーフガルテンに足を運びました。
今日は国会選挙での勝利報告です。
ホーフガルテンに近づくと臨時の演説台が組まれ、遠くからでもエロ親父が見えます。
すごい人出でこれ以上近寄るのは無理、と思った場所でも演説台から100m以上離れていました。
彼の周辺には護衛らしい人物が並び、聴衆と演説台の間にも臨時の柵が置かれ警備員がたくさんいます。
そして彼が演説を始めると……人間って外観じゃないんだ……と痛感させられました。
いつもより高い声、中性的な声で今回の国会選挙勝利を唄いあげていきます。
聴衆は熱狂に包まれていますが、不思議なほど静かです。
今回の選挙に伴う公約の数々、特に共産主義に対する反感は私財没収の例を上げて強く訴えかけてきます。
それを聞いて私も共産主義が嫌いになりました。
何より驚いたのが演説を終了した彼に向かって、ものすごい数の女性が花束を捧げに言ったことです。
ありとあらゆる年齢層(子供から老婆まで)、明らかにモデルや歌手だろうと思われる美女、裕福そうな服装の婦人から素朴な服をきた少女までが彼に花束を渡そうと静々と近寄っていきます。
花束は一旦警備の人が受け取るとチェックのあとで彼の前に積まれて生きます。
とても普段からは想像もできないもてっぷりです。
しかし今ここで花束を捧げている人たちは彼の本性を知りません。
わたしは、それを見せてもらっています……すごい優越感を感じてしまいます……いきおい彼の姿が今までに比べて魅力的に見えてきました。
今度会う時に、花束の女性達の話をして困らせたら楽しそうです。
1930年 9月16日 バイエルン州 オーバーザルツブルク 「ヴァッフェンフェルト ハウス」
付けたばかりの電話が鳴って叔父さんから「明後日帰る」との連絡がありました。
今回の国会選挙は大成功だったらしく声が弾んでいました。
私も嬉しいです。
前回の選挙のときは本の執筆にかかりきりの時期でした。
あの頃はいつでも傍にいたのにと思うとちょっと寂しくなります。
とはいえそのあとの監禁のような生活は耐えられません。やはり今ぐらいの頻度でも十分に幸せと思うべきでしょう。
このごろエミール・モーリスは叔父さんが運転手をもう一人雇ったこともあってヴァッフェンフェルトハウス専属の護衛に近い状態で月の半分以上はこっちにいます。
叔父さんとエミールさんは「お前・俺」で呼び合える友達です。
いろいろと叔父さんの昔のことを話してもらっていると、自分の見えない場所の叔父さんが違っていて楽しいです。
ただし今日聞いた監獄のお風呂の件は明後日帰ってきたら、ちょっと詰め寄りたい気がします。
明後日が待ち遠しいです。




