悪竜の孵化
1926年 7月 3日 テューリンゲン州 ワイマール
今回はついにバイエルン州を飛び出して、チューリンゲン州での党大会です。
全国規模で見ればまだまだ弱小の地方政党に過ぎないナチス党が、なぜここワイマールで党大会を開いたか、それは叔父さんの演説禁止令のせいです。
ここテューリンゲン州は叔父さんが演説を禁止されていない数少ない州でしたので、ここならば大手を振って演説会が開けます。
ナチス党は一旦解散命令を受けていますので、この党大会で復活したことを全国に向けて発信するつもりのようです。
突撃隊の皆さんも3500名ほどが一緒に移動しています。
1919年にワイマール国民劇場で決まった憲法が今の憲法ですのである意味政治の中枢といえるかもしれません。
しかし古くて立派な家が並んでいます。
神聖ローマ帝国時代のにはワイマール国民劇場で宮廷音楽家だった大バッハが演奏を行い、ゲーテやシラーが劇を行いながら公国の宰相を務めていた都でもあります。
ゲーテの館は党大会の前にエミール・モーリスが運転手兼護衛として案内してくれました。
ゲーテが亡くなってもうすぐ100年が経とうとしているのですが今でも住めるようにきちんと整備されています。
彫刻やインテリアは埃を被っておらず、壁の罅割れは補修され、館自体がゲーテの帰りを待っているようでした。
党大会では久しぶりに叔父さまの演説が鳴り響き、各突撃隊の代表へ連隊旗を渡すと、3500人が行軍を行いました。
軍隊よりも旗の数が多いので行軍は非常に華やかで、多くの新聞記者が写真栄えする場所を捜しつつ写真を撮っていました。
1926年 7月 5日 テューリンゲン州ワイマール
党大会も無事閉幕して、突撃隊員が移動する間、この古都を見て歩くことにした。
ゲリはエミールに任せて、ルドルフ・へスと親衛隊数名のみで文字通り散歩を行った。
国民劇場はギリシアを彷彿とさせる円柱で飾られた玄関。3階建ての大きな石造りの劇場、その目の前に広がる広場とゲーテとシラーの全身像からなる非常に空間デザインの優れた建物だ。
自分が建築家ならぜひ手本にしたい建築物である。
それにしても……銅像を眺めながらゲーテの多才について考えてみた。
法律家で詩人で劇小説家で小説家、複数の分野にわたる自然科学者(いくつかの分野の開祖)にして政治家、正に超人である。
このような人物がいたからこそドイツ帝国は世界に名を冠する帝国として栄えたのだろう。
現状のワイマール共和国では、このような人物はどれか一つに縛られ、他の分野を開くことはできなかったであろう。
しかし、ナチスは違う!優秀な人物は指導者がひろいあげて適正な仕事に就けることができる。
財産、学歴等は一切不問にして、優秀な若い人物に大きな仕事を任せることが可能だ。
あのインフレのときどれだけ多くの若者が資金的問題で学業の筆を折らざるを得なかったか。
それを取り返すチャンスを今の政府は与えていない。
我々はそれを与えることができる。
より実践的に職業として学びながら指導しながら、自分の価値をあげることができ、価値が上がったことはより高い指導層に移ることで社会的にも認証される。
決して口先だけの学問バカが上の指導層にとどまることはできない。
なぜなら一番上からこの総統が指導し続けるからだ。
ゲーテの銅像に対して再び指導者原理を心に刻みなおし、民族発展に力を尽くすことを彼の銅像に誓った。




