地獄の軍勢の戒律と天使の微笑
1926年 2月14日 バイエルン州 バンベルク
ミュンヘンでは突撃隊の勢力が大きく、政治的な集会を開いても、武力的な干渉が防ぎきれない。
この辺は自分と袂を分って南米に渡ったレームのいない影響が大きい。
今回はミュンヘンから200km程度北のバンベルク(ここから東に50kmも行けばバイロイドである)で集会を開くことで突撃隊の干渉を防ぐことにした。
それだけ政治的にデリケートな扱いが要求される議題だ。
党内でもシュトラッサー派は共産党よりの路線を主張してソ連との融和策を提唱してきたが、現実が見えてないとしか言いようがない。
ナチス党の資金は多くが富裕層からの寄付で成立しており、彼らの意にそぐわない政策は掲げることはできない。
たとえ突撃隊の主張がそちらに近いとしても……認めることはできない。
その上で地政学の権威ハウスフォーファー教授の生存圏の理論に基づき、祖国東方には緩衝域となる属国または支配地域を獲得する必要から、ソ連とはドイツの生贄にならなくてはならない国であるとの、将来展望が理解できていない。
よって収監されていた間に勢力を伸ばしていた鼠は一部局を監督する程度の能力しかないことを明確にし、総統こそがトップであるということを認識させる会議を開いた。
「指導者原理」が明確化され、「指導者は最も独立した人間であり、いかなる者に服することも、また責任を負うこともない。ただ自分の良心にのみ責任を負う。そして、この良心はただ一つの命令権者を持っている。即ち、われわれの民族がそうである。 」と定義した。
これによりドイツ民族にとって最善と考えることを躊躇無く行うことができるようになった。
我々が政権を得られれば今までとは比較にならないほど国家運営のレスポンスが上がり、フランス・ベルギー程度には手もつけようが無い強力な国家を作り出すことができるようになるだろう。
今回、シュトレッサーは全国組織指導者に任じられることで指導者層の一端を握らせてやったが、彼の有力な手駒であるゲッペルスはこちらについた。あとは徐々に下位の指導者層に落としていけばいいだろう。
あとは全ての党内人事の任命権は総統にあることを確認する集会を一度開く必要がありそうではあるが……突撃隊の掌握が……
1926年 2月16日 バイロイド 祝祭劇場
一昨日 バンベルグで叔父さんは集会を開いてナチス党で一番偉いのは叔父さんと決定させたようです。
その叔父さんが緊張でハンカチで時々額の汗を拭いています。
目の前にいるのは小さなお婆さんです。
演説のときのときのような流暢さは無く、顔を真っ赤にして訥訥と話すその姿は新鮮で純情さが溢れていました。
叔父さんの前にいるのはコジマ・ワーグナー。
リヒャルド・ワーグナー氏の未亡人です。
御年90歳
叔父さんはワーグナーの大ファンですので今回近くで集会を行ったことから自動車でバイロイドに移動して祝祭劇場を訪れました。
今回は遠出ということで私も一緒についてきたのですが、バイロイドへも一緒に移動しています。
ジークフリード・ワーグナーさんは劇場の責任者としてお会いし、叔父さんも喜んでいたのですが
コジマ夫人と話している今はそれを遥かに上回る歓喜に包まれているようです。
実際にリヒャルド・ワーグナー氏がどのような振る舞いをしたとか、どのような好みだったとか、女癖に泣かされたとか小さく囁く夫人の声を耳を近づけて聞き取り、賛嘆の声や感嘆の声で彩っていきます。
コジマ夫人も機嫌よく私にも声をかけてくれました。
ドレスをつまんで淑女の挨拶です。
「アンゲリカ・ヒトラーです」
「おや、ヒトラー夫人かね。若い者同士で旅行かい、うらやましいねぇ」
「いえ、アドルフとは19才ほど程離れてますので……」
「私とリヒャルドは24離れてたよ。結婚したのも私が33、リヒャルドは57のおじいちゃんだったよ」
ちょっと驚きましたが、結婚前に娘を二人産んでおり……そのころはまだビューロー夫人だったと楽しそうに話されると、ああそういうものなのかと納得せざるを得ませんでした。
とはいえ20以上離れていても結婚した先達に会っていると気合が入ります。
叔父さんはコジマ夫人の老齢と健康を考えて、特に訂正するでもなく楽しそうに話を続けていました。
今日は最高です。
ヒトラー夫人と仮初にも呼んでもらえる日が来たのですから、あとはこれを既成化していくようにがんばるだけです。




