聖書の配布
1925年 7月18日 ミュンヘン フランツ・エーア出版社
本日「我が闘争」が出版された。
本文はもちろんのこと装丁まで拘りぬいて作った本だ。
装丁は赤を基調に背表紙のライトグレイ、表題の白がすばらしいコントラストを出している。
そして文字の書体は流麗で装飾的なブラックレターでは無く骨太で直線的なタネンブルクを使った。
表紙からして近代的で効率的な主張を行う逸品に仕上がったと思う。
ここ3ヶ月は殆ど家に缶詰になっていた。
というのも、ナチス党新結成集会のあと演説を禁止されたので、この本に全ての労力を注ぎ込んでいたといっていい。
文章の修正は演説禁止のストレス発散もかねていたような気がする。
たまに後援者に挨拶に行く以外は、一歩も家から出ない日が続いていた。
おかげでよくゲリに引きずり出されてショッピングにつき合わせられたり、オペラをねだられたりした。
オペラについてはワーグナーの公演はとても良い気晴らしになってくれた。
ワーグナーの作った祝祭劇場がバイエルン州バイロイドにあるのだが、北に200Kmほど離れているためそうそう行けるものではなく、地方公演の形でやってくる楽団の公演を2ヶ月に一度くらい楽しみに見るだけだ。
ショッピングについては週に一度はゲリに引きずりだされた。
とはいっても高価なものを欲しがるわけではなく、女性特有の商品を眺めて楽しむという時間が非常に長い。
たまに買う服飾が似合っているか意見を求められるが、殆どは荷物持ちの待ち時間になってしまう。
それでもその時間は何も考えていないので、いい気分転換になったりするから不思議だ。
そんな苦労の結晶が……あまり苦労は見えないが……この赤いルビーのような本となって次々と出荷されていく。
一時期は同じランズベルク刑務所に収監されたアマンが、「この本はあまり売れませんよ」そういって12ライヒスマルク(1ライヒスマルクが約1000円として12000円)の値段をつけた。
通常の2倍の値段である。
少量発行でも赤字にならないようにとの配慮だった。
おかげで装丁を思い通りにできたが、売れ行きに関しては非常に心配させられた。
だが目の前で次から次へと本が配送されていく。
予約の入った本屋の注文分だけでも3000冊は固い。
すでに黒字は確定している。
稼いだ資金は、私個人の分と党出版局の資金として今後の選挙活動を潤すものとなるだろう。
そしてナチズムでドイツ帝国に旋風を巻き起こすのだ。
1925年 7月19日 ミュンヘン
今日はミュンヘン市内でブラブラとショッピングです。
特に買うものもないのですが、叔父さんの本の売れ行きが気になります。
本屋があるとなんとなく隠れて、様子を伺ったりしてます。
殆どの本屋では「我が闘争」の販売開始の垂れ紙と、一緒に売切の札が垂れ下がっています。
あれだけ高価な本だと本屋さんでも売れ残らないように最小限度の仕入れだったようです。
中には使用人の小僧さんが飛び出して、フランツ・エーア出版の住所を唱えながら走って行く姿もありました。
同じミュンヘン市内ですから今日中には店先に並びなおすでしょう。
どうやら本の売れ行きは上々のようです。
胸の痞えが一つおりました。
最近叔父さんが、ずっといたおかげでとあることに気付きました。
それは呼び方です。
「叔父さん」と呼び続けていたせいで姪っ子という立場を強調しすぎて次の段階に進めないのかもしれません。
姪とは言いますが叔父さんと母は異母兄弟です。
つまり実質的な血のつながりは従姉妹並みなのです。
でもそのせいで進展が無いなら戦略的失敗です。
呼び方を変えようと思っていろいろ考えました。
ヘル・ヒトラー(私もヒトラー姓を持ってます……×)
アドルフ(20近く離れた年上をファーストネームよびとか、ためしにやろうとしたら赤面して声が出ませんでした……×)
総統(ルドルフ様とかが呼んでますが、家族の呼び方ではないです……×)
アドもしくはアルフ (アドルフの略称ですけど恋人になれたなら、まだしもなれなれしすぎる気が……△)
ということで何とかアルフ呼びになれようとしているのですが、なかなか恥ずかしくて進んでいません。叔父さん呼びが変わるのはいつになるのでしょう。




