悪魔の聖書 天使の内職
1924年 5月 1日 ミュンヘン ランツベルク刑務所
カールとロッソウは2月18日付けで州政府と軍部から解任された。ザマアミロだ。
とはいえ2回目の刑務所暮らしは思ったよりも精神的にくるものがある。
1回目に比べるとはるかに清潔で居心地のいい部屋をあてがわれ、差し入れは自由。
食事も上質でホテル並みとまでは言わないが、まあまあ食べれる。
問題は5年間外に出れないということで、この間にドイツ帝国にどのようなことが起きようとも影響を与えることができないというのが憂鬱の元になった。
特技は演説、趣味も演説のような気がするが、演説というのは聴衆がいて初めて成立するもので刑務所の中では演説は不可能であり、社会に影響を与える手段を封じられたようなものだ。
このため入所当初は食事が喉を通らないほど落ち込んだ。
それが好転したのはここ二三日のことだ。
ルドルフ・ヘスがこの刑務所に収監されたのだ。
陽気な彼との語り合いはようやく前を向く気にさせてくれた。
他にも古馴染みのエミール・モーリスも収監されてきた。
個人的護衛として最初にヒトラー衝撃隊を作ったときの隊長だ。
これで大分気分が楽になった。
そんな中、ハンフシュティングルが大量の本を差し入れしてくれた。
チェンバレン、ニーチェ、マルクス、ランケ等多岐に渡る思想書が主だったが、これらを読んでいる間に、自分でも、なぜそう思いたったのかわからなかったナチズムの根幹部分が、ジグソーパズルでも組み立てるようにピースが嵌まり込んでいった。
もはやナチズムという思想では自分を越えるものはいないと確信したとき、これを思想書として発表したいと思うのは当然のことであった。
ただし、それには大きな障害があった。専門用語という奴である。
読めるが書けない専門用語のスペルは私を悩ませた。
そうなると筆は止まりがちで頭の中からうまくすべり出さなかった。
そこでそういうことに経験の多そうなハウスホーファー教授と相談してみた。
ハウスホーファー教授はルドルフ・ヘスを可愛がっていて刑務所に面会に来ては地政学の話を長時間行うのが普通だった。
あるとき著述の話をすると、あっさりと口述筆記の手法を示された。
幸いにもルドルフは十分な教養の持ち主であり、エミール・モーリスも実業学校を卒業しているのでルドルフに推敲を頼めば十分に口述筆記が可能であった。
その次の日から「我が闘争」の口述筆記が始まった。
一旦、話しはじめると見えない聴衆に向かって話しかけるようなもので、気分が上がりどんどん原稿は量産されていった。
自分自身の幼少期からここにいたるまでの自分史(著者紹介)から始めた、一連の物語はドイツを救うための聖書であると自ら確信するにいたった。
その間にもベヒシュタイン夫人やハンフシュタイン夫人が頻繁に差し入れをしてくれ、食欲旺盛に戻ったおかげも合って、体重が85kgに増えた。
面会に来てくれたアントン・ドレクスラーにいたっては爆笑しながら、刑務所の中で紳士の体型になったのは君が初めてだろうと言われた。
そういわれてから医学書で肥満を伴う病気(富貴病とか中風とか)を見つけてしまい、節制と運動を心がけるようにしたが……この歳で歩兵教練をやることになるとは思わなかった。
著述のおかげで刑期の不安については忘れることができたし、いい勉強期間を手に入れたと考えよう。
1924年 5月 1日 ミュンヘン ベヒシュタイン邸
今日はヘレーネ様と一緒にベヒシュタイン邸へ有力者の方を招いての立席パーティーです。
エルンスト・レーム様、グレゴール・シュトラッサー様が「国家社会主義自由党」を立ち上げ、ハンフ・シュテングル様アントン・ドレクスラー様と同席の上で、ミュンヘン市の有力者をお招きして5月4日の国会議員の投票へのご協力を依頼しています。
叔父さんの獄中からの指令「ナチス党の未来は投票箱の中にある」に従っての行動です。
ナチス党そのものは全ドイツで活動禁止されてしまったので代わりの国家社会主義自由党への投票をお願いしています。
私も立席パーティーでドレスを着て微笑みながら飲み物を渡していきます。
クルクルと忙しく動いていると、ヘレーネ様は少し顔をしかめますが、話をするより動いている方が楽ですし、渡された殿方達も好印象を持ってもらえたようで微笑み返してくれます。
何よりも叔父さんのような話し上手がいないと、どうしても政治の話はつまらなくて貼り付いたような微笑みしか出せませんので、適材適所というやつでしょう。
こんなときこそ叔父さんの演説が力を持つのですが……早く帰ってきて欲しいです。




