鬼は宿で一泊する
前章までのあらすじ
マックスは、高価なポーションをゴブリンへ使った。
マックスは、食事を終えると当たり前のようにギルドカウンターで尋ねた。
「後は寝るところを紹介してくれ。こいつらは適当に馬小屋ででも寝て貰う」
受付嬢は、もう何が起きても驚かない、という顔をしようとしていたが、やはり驚いていた。
「宿ですね。ギルド提携の宿が近くにあります。一泊銀貨三枚で、ベッド付きの個室です。馬小屋は……一応ありますが、ゴブリンを馬小屋に入れたら馬が怯えて……」
受付嬢は、カウンター越しにじっとマックスを観察していた。腕を組み、何か考え込んでいる。
食堂の冒険者たちは、もはやマックスを嘲笑する気力すら失っていた。ゴブリンにポーションを使い、飯を食わせ、宿まで用意する。正気の沙汰ではない。しかし同時に、あのCランク四人をぶっ飛ばした光景が脳裏に焼きついている。誰も口を挟めなかった。
受付嬢が、地図を広げた。
「宿はギルドを出て右に三軒目、「踊る子豚亭」です。マックスさんは個室一泊、ゴブリンたちは……どうします? 同じ部屋に入れますか?宿の主人が嫌がると思いますが……」
「ふん、馬小屋はダメか?なら、木箱をくれ。藁でも敷いて寝床にする。三つだ」
受付嬢は、少しほっとした顔をした。同じ部屋で寝るとか言われたらどうしようと思っていたのだ。
「木箱三つですね。裏に予備がありますので、お出しします。藁も付けておきますか?」
「頼む」
受付嬢が裏手に回り、木箱を三つ抱えて戻ってきた。冒険者用の備品らしく、頑丈だが装飾も何もない実用一辺倒の箱だった。藁を詰めて、即席の寝床が出来上がる。
木箱は銅貨三枚です。宿の個室は銀貨三枚だったと思います。
マックスの所持金は金貨三枚と銀貨五枚。ゴブリンにポーション二本使って夕食をたらふく食べた割には、まだ余裕がある。
足折れゴブリンは中級ポーションを飲み干していた。足の骨がみしみしと音を立てて繋がっていく。痛みに悲鳴を上げたが、目はポーションの空瓶を見つめていた。信じられない、という顔だった。
ゴブリンたちは食事を終えていた。子供ゴブリンが満腹になったのか、うとうとし始めている。足折れゴブリンも、治ったばかりの足をさすりながら、警戒心を残しつつもマックスを窺っていた。
瀕死だったゴブリンは、ポーションで回復したものの、まだ体力が戻っていない。ぐったりしたまま動かない。
足折れゴブリンは「きぃ」と小さく鳴いた。仲間を二匹とも自分の体で庇いながら、マサヤンを睨んでいる。恩を感じてはいるが、信用はしていない。そんな目だった。
取り敢えずこの木箱で寝ろ。朝になればマシになるだろ。死ぬならそれまでだ。
マックスは木箱を三つ並べ、藁を敷き詰めた。ゴブリンたちの寝床だ。
ゴブリンたちをぽいぽいと木箱に放り込むと、箱を三つ重ねて肩に乗せ、宿屋へ向かった。
「邪魔するぞ、個室で一泊だ。」
宿に着くなり、マックスは宿の奥に声をかけた。
「ハイハイ、お一人で……」
宿の女主人は、そこまで言うと固まった。筋肉の塊が木箱を三個抱えて突っ立っている。
「こいつらは、食堂の隅にでも置いて寝かせてくれ。銀貨一枚払う」
その木箱をドサッと床に置き並べると、箱からゴブリンたちが顔を出した。
「ヒッ!……」
マックスは女主人の手にある鍵をもぎ取ると、代わりに銀貨四枚を握らせて自分の個室へ向かった。踊る子豚亭の二階、質素だが清潔なベッドがある部屋だった。
ゴブリンたちは食堂の隅に置かれた。周囲の冒険者たちが遠巻きに見ている。
仲間に小声で囁いた。
「なぁ、あのゴブリン共、夜に暴れねぇかな」
「知らねえよ。あのイカれた鬼族が面倒見ろって置いてったんだろ」
マックスの噂は、既に宿にも届いているようだった。
足折れゴブリンは、隣の箱に移動し子供ゴブリンを抱き寄せた。そして、回復した仲間が見えるように箱から顔を出して周囲を監視している。ここで寝たら殺される。そんな確信がある目だった。
夜が更けた。食堂の客がまばらになり、酔いつぶれた冒険者がテーブルに突っ伏している。松明の灯りが揺れ、影が踊った。
足折れゴブリンは一睡もしていなかった。仲間二匹を体で覆い、入り口を睨み続けている。
宿の女主人は最後の片付けを終えて、灯りを落とそうとした。ゴブリンたちを一瞥して、呟いた。
「……死にそうな顔してるよ、あの子たち」
灯りを落として部屋に戻った女主人が消えると、別の人影が現れた。
「小便のついでに見にくればなんだ?殺すならもう殺してる。生きてるんだから体を回復させることを第一に考えろ。全く……」
マックスの声に、びくっと体を震わせた。子供ゴブリンを背中の後ろに隠す。しかし、攻撃してこない。殺されない。その事実だけが、足折れゴブリンの混乱を深めていた。
「ギィ……」
マックスの言葉はゴブリンには通じていない。しかし、声のトーンで攻撃の意図がないことは分かるらしい。足折れゴブリンの警戒が、ほんの僅かだけ緩んだ。
回復したゴブリンが、ぼんやりと目を開けた。体力はまだ戻りきっていないが、命の危険は脱したようだった。きょろきょろと周りを見回し、状況を把握しようとしている。
足折れゴブリンの背中から子供ゴブリンがひょこっと顔を出した。マックスを見上げる。大きな目。怯えと、それから別の何かが混じっている。*
「キィ?」
子供ゴブリンの腹が、きゅるると鳴った。さっきのスープでは足りなかったらしい。小さな手で自分の腹を押さえて、恥ずかしそうに俯いた。
子供ゴブリンの腹の音を聞いて、足折れゴブリンはきぃきぃと焦った声を出した。まずい、機嫌を損ねた、食べさせないと、という顔だった。
「ふん。旅の携帯食の干し肉だ。原の足しにはなるだろう。食ったら寝とけ」
マックスがポケットから干し肉を取り出し、床に放り投げた。硬い革のような干し肉が、石畳の上でぺちゃりと音を立てた。
足折れゴブリンが干し肉を凝視した。それからマックスを見た。また干し肉を見た。
手を出さない。罠だと思っている。毒が入っている。食べたら死ぬ。そう確信している目だった。子供ゴブリンを背中に押しやり、自分は絶対に手の届く位置から離れない。
しかし子供の本能は正直だった。腹が空いている。目の前に肉がある。きゅるる、とまた腹が鳴った。足折れゴブリンの背中から首を伸ばして、干し肉をじっと見つめている。よだれが垂れた。
「キィ……キィ……」
子供ゴブリンの視線に気づいた。駄目だ、と首を振る。しかし子供ゴブリンの目がうるうると潤み始めた。
足折れゴブリンの中で葛藤が渦巻いていた。仲間を守りたい。でも子供が腹を空かせている。あの肉は、さっき薬をくれた奴のものだ。罠か。善意か。ゴブリンの知能では判断がつかない。
子供ゴブリンの手が、そろそろと伸びた。
「さて、俺は行くぞ。朝になったら森に帰るんだな」
マックスが背を向けた。その瞬間、子供ゴブリンの手が干し肉を掴んだ。素早く、素早く。足折れゴブリンが止める間もなかった。
「ギィッ!」
子供ゴブリンが干し肉を口に詰め込んだ。がじがじと噛む。硬い。顎が疲れる。それでも必死に齧っている。目が潤んでいるのは、硬いからか、それとも別の理由か。
足折れゴブリンが頭を抱えた。食べた。毒かもしれないのに食べた。子供ゴブリンの顔色を凝視する。一分。二分。死なない。腹を壊さない。
足折れゴブリンは「……きぃ」、と小さく鳴いた。困惑だった。*
マックスはもう個室への階段を上がっていた。背中を見せたまま、振り返りもしない。ゴブリンを殺す気も、支配する気もない。ただ飯をやって、寝ろと言った。それだけ。
足折れゴブリンは、ようやく理解し始めた。この人間は、変だ。とんでもなく変だ。
干し肉を食べ終え、満腹になった小さな体がこてんと倒れた。藁の上で丸くなる。すぐに寝息が聞こえ始めた。
子供ゴブリンに覆い被さり、まだ起きている。目だけがぎらぎらと暗闇の中で光っていた。




