第十七話
3日目。地下街にやって来てようやく3日経った。
『月の館』の自室で眼を覚ました至恩は寝ぼけ眼でゆっくりと瞬きしながらこれまでのことを冴えない頭で振り返っていた。
一昨日の夜、この街にやってきて早々に不吉な男と黒髪金眼の少女に襲われて死にかけた。
昨日、騎士団の団長と旧友に殺されかけた。
さて、今日は誰に殺され掛ければいいのか。こんなにも殺されかけて生きていられるのはもしかしたらとても幸運なことなのかもしれない。誰かが言った。生きているだけで”儲けもの”という言葉があるが、連日命の危機に脅かされ『今日も今日とて、きっと誰かに殺され掛けるのかなぁ……』と歪んだ考えが頭に巡ることはきっと不幸といえるだろう。
何が幸運で何が不幸なのかは気持ちの問題なのだ。
そんなことを思いながら、学生寮『月の館』の一室で布団に包まっていた。
まぁ、僕は未来が見通せるわけでもないし、そう悲観的になったところで世界が慈悲をくれる訳でもないか。
神様は願ったところで何かをしてくれるわけではない。世界はお前を気にしてくれるほど暇じゃない。灯さんの言葉だ。
「神はダメ。世界もダメ。だったら暇な人が、身近な誰かを気に掛けてあげれば少しは生きてもいいと思える世の中になるんじゃないかってね」
偽善だ。分かっている。そんなことでは神も世界も変わらない。
でも、それはきっと悪いことではない。人間は全てを救える正義の味方にはなれない。偽善者にしかなれないのだから。
————コンコン。
扉を叩く音が部屋に響いた。
「……はい?」
『まだ寝てんのか? さっさと起きろ』
「え? あぁ~……」
未だに扱いなれないごつい携帯を見ると8時を過ぎていた。朝食は疎か、これからすぐさま身支度をして出なければ学校に遅刻してしまう時刻だった。
「……今日は休むよ。ごめん体調が悪いんだ」
『体調が悪い? 俺たちが体調不良になんかなる訳ねぇだろ』
「えっ、……うーん。あっ……最近は、命の危機が多かったからね。心的な要因から来たものかもしれない」
扉越しの相手にどこか焦っているように返答する至恩の声音。
『はっ、そうか。じゃ、俺はもう行くぞ』
「あ、ああ、いってらっしゃーい」
案外すんなり扉の前から離れた礼志に安堵したような至恩の声を背中に受けて礼志は廊下を歩いて行った。
「……まぁ、サボりたくもなるか」
『月の館』から出て徒歩で通学中に至恩のへたくそな演技に失笑していた。
地下に来てからの旧友の境遇は身近で見ていて流石にあんまりだと思わされるほどひどいものだったから。
それでも、あいつは変わらず笑顔を絶やさない姿勢に、昔とはいい意味で変化していることが分かった。
「よかったじゃねぇか。いい女に会えたみたいでよ」
ちょっと隙を見せれば自慢話をしようとする至恩を回想しながらそんなことを呟いていた。
……それにしても。
「だりぃな……俺もサボればよかったか?」
眠い。昨日、自分の手で傷つけた腕は回復しているが、再生には体力を持っていかれる。
体力というより、”血”を代償にして修繕してもらっているだけなのだから。
貧血だ。血が足りない。
昨日は散々糖分補給をしたのに全く足りていない。
「すげー、うまかったけど」
通学路にある日ノ丸食堂を横切る途中、味を思い出して横目で店に微笑んだ。
「あら?」
旧友がいたく好意を持っていた女店主が、店の前を掃き掃除していた。
朝から晩まで働いていてそれでも陰湿な空気一つ見せない姿に思わず礼志も好感を抱きかけてしまう。
「おはよう。これから通学?」
あんなにスイーツを食べる人は珍しかったのだろう。顔を覚えられていた。
「え……あ、まぁ」
「顔色悪いよ? どうしたの。昨日あんなにうちのケーキやパフェを食べていたのに」
「朝は、低血圧気味で……」
当然、鬼の治癒の代償で貧血だのとは言わず、回らない頭で適当にごまかそうとした礼志だったが、女店主は『あっ!』と、何かを閃いたような顔をした。
「ちょっと待ってて」
ぱたぱたと店の中に駆けていった女店主に『え?ちょっ……』という声は届かず首を傾げながら、言う通りに待った。
駆け足で、戻ってきた彼女に手渡されたのは握り飯だった。
「その顔色じゃ、朝ご飯も食べてないんでしょう? それに甘い物ばかり食べていたら体に悪いしね。持って行って!」
「え、いいの? ああ、代金」
「そんなのいらないよっ! 昨日たくさん注文してくれたお礼だとでも思ってくれればいいって」
受け取ったラップに包まれたおにぎりはまだ暖かかった。
「いや、昨日のは腹減ってただけだったんだけど……えっと」
そういえば、この人の名前も知らないなと言葉が詰まる。
「ああ、私は日ノ和子だよ。昨日の子は一緒じゃないだね?」
思い出したように昨日の店に訪れたもう一人をきょろきょろと探していた。
「あいつはサボ……いや、えーと、寝坊してる」
「はは、たまには寝坊ぐらいしちゃうよね。ほら、遅刻しちゃうよ? もう学校行きない」
小さく手を振って礼志を送り出そうとしてくれた彼女の暖かさに、至恩の好みも馬鹿にしたものではないと思わされた。
手に持った3つぐらいのおにぎりを抱えてこちらも小さく頭を下げた。
「じゃあ、行きます。これありがとう。日ノさん」
「朝ご飯もやってるから、今度は寝坊してる子も連れてまた来てね」
と、先ほどとは別の営業スマイルを見せた和子に『あれ? これって賄賂なんじゃ……』と一瞬頭を過ぎってしまったが、なんだかそれもおかしくて笑ってしまった。
「ははっ、そうする」
まんまと、手口に引っかかるっていうのも悪くない気分だった。
学校に到着してすぐに浴びた視線は、いい朝を軽く壊せるぐらいには冷ややかなものだた。
ヒソヒソと声が回りから聞こえた。
「うあ、御影だ……」
「……あれが大問題起こした御影礼志か」
「おい、押すなって殺されるかもしれないだろ」
「なんか食べてるし……何食べてるんだろあれ?」
入学して……というより地下にやってきてすぐに起こしてしまった自分の行いによって、星丘学園の生徒から忌避の眼で見られるようになってしまった。
我ながら『ミスったなー』程度には反省しているが、過去のことをどう思うと朝飯がおいしくなるわけではない。
「うまかった。ご馳走様」
お礼言いに、もう一度店に行かなくちゃいけないな。と、微笑みながら手を振っていた日ノ和子を思い浮かべていた。
自分が“鬼”だと知られてさえいなければ、たとえ地下でも嬉しいことがあるんだけど知られてしまっているこの学校だと、どうにもそういう幸運はないだろうな。
そう思うと、溜息が出てくるぜ。
普段のように不自然に両隣の席と感覚が空いている席に着く。だが、それを変に思う奴はいない。御影礼志からは距離を取ることはこの学校では自然なことなのだ。
“鬼”というのは恐怖の対象だ。偶に地下で出現し、眼は朱色に染まり驚異の身体能力で人を傷つける。実際は賞金稼ぎから己の身を守る行為だったのかもしれないが、そんなことは些末なことだ。少なくとも鬼を風潮でしか知らない者たちにとっては。
殺される。食べられる。怖い。ということが彼ら彼女らが抱いている率直な“鬼”に対する感想だ。そこに御影礼志は関係ない。御影礼志などあってないようなものなのだ。
隣の席になってしまった奴は本当に不憫だ。恐怖を抱くのは当然だ。礼志が授業中に落ちた消しゴムを拾おうと席を立った時に『ひっ』と声を上げてしまうほど、授業に集中できないのだから。
しかし、現状を変えられる秘策があるわけでもない。申し訳なさを抱きながら授業を聞いているしかない。
「けっ、サボればよかったぜ……」
毎度のことだが自分の現状にボヤいていたその時だった——————
バッリィーンと硝子が割れるけたたましい音が教室内に鳴り響いた。
えっ……?と誰かが言ったが、それは教室内にいる生徒全員の心の内の言葉だった。
パラパラパラ……と硝子の破片が舞い、蛍光灯の光が反射してキラキラと光る。
それをやったであろう人物は舞い落ちる硝子を被りながら静かに屈んでいた。
「……子供?」
女生徒がぽつりと呟いた。身長、体格が子供のそれで一瞬の張り詰めた空気が少し緩んだ。
小さい体格に全身を黒に統一した衣服を身に纏い、窓ガラスを砕き入って来た衝撃を地面に片手を付けてバランスを保っていた。
そして、ゆっくりと立ち上がった。顔には黒狐の面を被り、フードや肩に着いたガラスがパラパラと床に落ちる。
「……小当部の生徒?」
「悪ふざけにしては行き過ぎてると思うけどな……」
中野と結城が口々に言う。
子供の悪ふざけだとクラス内の空気が弛緩する。
「こら、ダメだろ! 授業サボっていたずらしに来たのか? 何年生だ。まったく!担任からしっかり叱ってもらうからな! おい、倉本。その子を初等部まで運ぶぞ」
「はい、わかりました。ほら私と一緒に来て?」
学級委員の倉本静香が優しく微笑み、怒る現国教師とは真逆に安心感を抱かせようとした。
謎の少年が学級委員手を差し伸べられて彼女の方へ一歩足を進めた。
子供のいたずらでことが終わりそうな中、礼志は黒狐面の少年から眼を離せずにいた。
(馬鹿をいうな。この気配と存在感だぞ! まさか……異常な存在⁉)
礼志のザワッと背中が粟だった。と、同時に真っ黒の少年が忽然と姿を消した。
———————ドッコォォォォンッ‼
クラス中の生徒が『えっ?』とあまりのことに呆然とした瞬間、壁が大きな音を立てて砕き割れた。
窓ガラスを叩き割るとは違う別の轟音がまた教室内に轟いた。
『ひっ!』『キャー‼』『なんだー!』と生徒たちが悲鳴を上げた。
隣の教室が丸見えになるほどの穴が開き似たような悲鳴がその穴から騒いだ。
だが、礼志はそれを見ることは出来なかった。
なぜなら彼はその穴の奥で倒れていたからだ。
「なっ、何で御影があっちで倒れてんだよ!」
穴の奥で腹を抑えて咳き込む礼志をクラスメイトは見て困惑することしかなかった。
なにが起きたのかは誰にも理解できなかった。
でも、あまりの威力で腹を蹴られた礼志だけは、出来なくなった呼吸を懸命に取り戻そうと咳き込みながら状況が理解できていた。
単純だ。黒狐面が1年A組の全生徒が見逃すほどの高速で礼志に迫り、その速度を威力に変える強烈な前蹴りを喰らわせたからだ。
吹き飛ばされるまで座っていた礼志の席の机の上に、黒いフードを抑えながら黒狐面は立っていた。
「げほっ、げほっ、かはっ、はぁ、はぁ……」
なんとか呼吸を取り戻した礼志は冷静に正しく状況を理解することに努めた。
(あいつの狙いは、俺だ。おそらく賞金稼ぎだろう。ただ、何かは分からねぇが異能の力を持っている相手だ。此処でやり合えば周りの奴らも巻き込んじまう……)
相手を敵だと断定し、対応策を考える。
(此処で、いや学校でやり合うのはまずい。一度ここから離れれば奴は必ず追ってくるはずだ)
自分が鬼だとバレてしまった時の経験を活かし、周りの人間を巻き込まない戦場へと移動しようと行動に移そうとしたその時——————
礼志に向いていた黒狐面がゆっくりと反対側を振り返り、だぼっとした大きめな黒いパーカーがふわっと浮いた。礼志を視界から外し、あまつさえ背中を向だけたのだ。
(……は?)
他の生徒たちの視線を一身に受けて佇んだ。
「てめぇ……何考えてやがる?」
礼志がそう口にしたとき、黒狐面が首だけで振り返り眼を合わせた。
その目は挑発するように嗤ったような気がした。
次の瞬間、結城が窓ガラスを突き抜けて外まで放り出された。
「えっ、浩太……?」
結城いた位置に小さな拳が突き出され、友人が殴り飛ばされた状況に頭が着いていけない中野がただ茫然と呟いた。
そんな中野を横目にゆっくりと振り切った拳を戻した黒狐面は次に脇腹目掛けて迅速なミドルキックをぶち当てた。
「ぐはっ⁉」
体が宙に浮き壁まで飛んだ中野は、激突した衝撃で鈍い音と共に床に倒れると動かなくなった。
「きゃぁぁぁあああああ‼」
次々とクラスメイトがやられていく状況に一番初めに頭が追いついたのが学級委員の倉本静香だったのだろう。彼女の最初の悲鳴が爆薬となってクラスは混乱に陥った。
「おい、逃げろ!」
「何してんだどけっ!」
「助けて怖いっ!」
一斉に黒狐面から逃げ出そうと駆けだした。騒ぎ悲鳴を上げながら教室の出入り口から外に出ようとしていた。
「……………」
恐怖しつつも行動に移せずただ竦んでいるものや、未だに状況に着いていけず呆然としているものたちを跳ねのけてでも逃げ出そうとする者たちが真っ先に扉に行きつこうとしたとき、彼ら彼女らの行動を動かずに眺めていた黒狐面が歩を進めた。
ガスッッッ———————
先頭を掛ける男子生徒の鼻を机が掠め、入り口付近の壁に突き刺さった。
「ひぃっ……!」
恐怖のまま机が飛んできた方向を見ると、足を振り切った黒狐面がいた。
サッカーボールでシュートを決めるように机を蹴り飛ばしたのだ。
「ああああぁぁぁぁぁぁっっっ!」
「なんなんだよお前はぁぁぁぁ‼」
「もう出てってよぅ………」
先頭にいた男子生徒がへたり込み、それを追い越して外に出ようと出来るものを誰もいなかった。ただ嘆き恐怖で折れた心を怒鳴り声や悲鳴で保とうとしていた。
だが、座っている男子生徒の脳髄に真っ黒な足が伸びゴスッと小気味の良い音を奏でたときにはもう声を上げられるものはいなくなっていた。
「ぁ…………」
彼ら彼女らにあるのはもう恐怖だけだった。
黒狐面は壁に突き刺さった机を掴み引き抜くと、恐怖で立ち竦んでいた学級委員長の倉本静香目掛けて投げた。当たればおそらく—————————
倉本は時が圧縮されて涙を浮かべた眼で机が自分に飛んできていることを視覚していた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
豪速で投げられた机が彼女の体に命中するまでに防衛本能で頭を腕で覆う時間もありはしなかった。誰もが諦めてただ見ていることしか出来なかった刹那の時間の最中、彼女は死の恐怖を味わった。
「………………ぇ?」
しかし彼女の元に机が届かなかった。どこからともなく伸ばされた手が投げられた机を掴んでいた。
「御影く…………」
ペタンと床に尻もちを着き自分を救ってくれたものの名を呼んだ。
「み、御影……」
誰しもが、いつも畏れ遠巻きにしていた彼の名を呼んだ。
そして、彼は怒っていた。
「なんだ……なんだこれはっ! ふざけんじゃねぇぞてめぇ、ほんとに馬鹿じゃねぇのかぁぁ⁉ おい、し———————」
自分のクラスメイトが傷つけられたゆえの怒りではなく、今本当に何が起こっているのかを理解した上での理解不能を訴えかけた礼志の怒声は最後まで紡がれることはなかった。一瞬で距離を詰めた襲撃者の拳によって阻まれたのだ。
拳の威力で無事だった窓ガラスがビキリと音を立てた。が、
「……なめんじゃねえぞ、この程度の力で俺をどうにかできると本気で思ってんのか?」
瞳孔が縦に割れた赤琥珀の瞳が黒狐面を射抜き、拳を潰さんとばかりに強く掴んでいた。
「もう二度とこんなふざけたこと出来なくなるよう、一撃だけ本気でやってやるよ」
握りしめた拳を宙に向かって投げると、小さい体は簡単に浮きそのまま天井にバンッと叩きつけられた。黒狐面があまりの衝撃で動けずに固まって、天井から床までのわずかな距離を落下しようとしていると、クラスメイトたちには決して見えないであろう高速で接近した。
赤珊瑚の瞳だけが黒狐面の中で動きその動きを捕らえて追っていた。
右足で同じ高さまで飛びながらスピン、回転で威力を上乗せした高速のスピンキックは見るものを圧巻させるほどの技量だった。
めり込む。メキッと音を立てて小さな体が変形し、大きな足がその体を振り抜いた。
——————バッリィーン
出ていくときも入って来たとき同様にガラスが砕き割れて飛んで行った。
「………………………」
スタッと空中で蹴りを放った後でもバランス感覚で綺麗に着地し、瞳を瞑り『もういい』と呟いた礼志の姿をクラスメイト達は瞳を見開いてただ見ていた。
そして、驚いた表情で顔と顔を見やった後、笑った。
「よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」
「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」
「よかったぁ、よかったぁぁ………」
安堵と、なにより恐怖の存在を一撃で吹っ飛ばした爽快感でしばらくは喜びの叫びを上げ続けていた。
元の瞳に戻った礼志だけは、彼らを横目にボソッと呟いたのだった。
「……うるせぇなぁ」
久しぶりに全力を出せた解放感からなのか、はたまた敵を倒せた高揚感なのか、それか彼らを救えた達成感なのか、悪態を吐く彼の頬は綻んでいた。
それは本当に久々な学校での笑顔だった。




