第十四話
4足の靴が地面に擦れ、音を奏でる。
その音色は激しく、荒く。一つの音が響いたら、別の音が追いすがるように鳴る。
「シュッッ!」
「くっ……‼っはぁあああああ!」
至恩は自分よりも格上の相手との手合わせで、ものすごい速度で確かな実践の感覚を取
り戻していた。
が、それでも取り戻すだけでは決して埋まらない実力差がそこにはあった。
実践の感覚を取り戻すために過去の自分に立ち返り、相手が攻撃に出る一瞬の予備動作、これはもう感覚で読み取っていると言っていいだろう。分かりやすい予備動作など礼志は見せない。雰囲気や性格、昔手合わせをした感覚を思い出し、攻撃が来る瞬間にその感を働かせてなんとか倒されずにいられている。
守ってばかりでは当然相手を倒すことは出来ない。しかし、格上相手に攻めるには守る以上の勇気が必要だ。攻撃に出るには守りを解き攻撃の体制に入らなければならない。格上が相手ならば防御が不可能な速攻を貰う確率が高い。こちらの攻撃に対して危険度を感じないのであればカウンター攻撃は狙いやすいからだ。
口の中は切れ、内臓が悲鳴を上げる中、過去の自分に立ち戻った至恩は御影剛……礼志の父親から教え込まされた中で最大のものを昨日のことのように頭に過れさせた。
何年も前のことだ。ただでさえ小さい至恩の身長がさらに小さい頃の些細な出来事。御影剛がオーナーを務める『御影ジム』に至恩はいた。
いつも暗い顔をしていた至恩は礼志に引っ張られて……というより強制的に連行されて一度入ったことがきっかけで、よく無償で格闘技を教えてもらっていた。
『がははは、痛いか?辛いか?何でこんな目に合わないといけないのか分からないか?強くなるってのはこの言葉以上に簡単ではねぇんだよ。実力ってのは自分とはどういう奴なのか理解して、そこで初めて階段の前に立ち、その階段を上がった段数が強さになる』
好々爺然とした、大胆な笑い声と共に至恩に強さを聞かせた。
『僕が、僕を理解することが出来ていないってこと?』
至恩は家庭の事情で今より雰囲気が暗く、それでいて生意気な子供だった。野生動物のように人に懐かずに、礼志とさえあまり仲良くなかった。
だが、そんな至恩はなぜかこの大胆にうるさく笑う御影剛の言葉には耳を傾け、こうして話をちゃんと聞いていた。
『その通り!がはははは、お前みたいなガキには自分ってのが分かってなくて当然だが、お前は強くなりたいんだろう?だったら、自分ってのがどういう奴か理解しろ』
『分かったけど、どうしてこんな強い相手とばかり戦わなくちゃいけないの?勝てないし、怖いし、つまらないよ』
『そう、怖いだろう。当然だ!なにせ相手はお前より強いのだからな。一瞬の油断も許されない。そんな状況だからこそお前は自分の弱さを知ることが出来る。自分がどれだけ臆病で腰抜けなのかを理解する』
『………』
『立ち向かう気力さえなくなれば、お前はサンドバックと化す。それでも俺はやめさせない。拳を上げなければその恐怖から解放されると思い込んでいるお前の甘さを自覚させるためにも、がはははは、逃げ場は作らせてやらない』
虐めとも取れるその言葉を、至恩は真っ直ぐ受け止める。本当に嫌なら此処に来なければ良いのだ。という言葉の裏を理解しているからだ。そして此処に来る者は必ず強くする好々爺然としたこの親父の言葉は、このとき至恩が抱えていた家庭問題に直接結び付く気がして、切実に真剣に聞いていた。
『本能。結局、防衛本能なんだよ強さっていうのは。それを自覚できるまでとことん教え込んでやるよ。がはははははっ!』
逃げ場はない。勝ち目もない。そんな戦闘の中で初めて本当の強さを叩き上げることが出来る。
そう言って聞かせてきたあのおやじは、どこまでも至恩を試すように過酷な手合わせばかりをさせた。
どんなに至恩が弱虫で腰抜けで甘ちゃんでも、決して見放さなかった。
他に行き場のなかった至恩は毎日のように『御影ジム』に訪れた。本当のことをいうと痛い目にも怖い目にも合うあそこに通えたのは、ただ家に居るよりはマシで御影剛に教わっているときだけは色々なことを忘れられて時間が過ぎ去ってくれる場所だったから、足を運ぶことが出来たのかもしれない。
そしてあのおやじと同じ眼差しで至恩を見つめる存在がもう一人、目の前にいる。
鋭い拳と蹴りを放ちながら、どこまでも至恩を試そうとしている眼だ。
至恩が対処可能か不可能か分からないギリギリの攻撃を狙って攻めてくる。不可能であればあればで別に構わないといった決して甘くない鋭い攻撃だ。
「ハァハァハァ……本当にそっくりだ……」
「何がだ?」
いきなり意味深な言葉を言われた礼志は首を傾げた。そんな様子に至恩は思わず乾いた笑みを浮かべてしまう。目に見えて実力差が分かってしまうくらい全く息も上がっていない。
防衛本能。やらなければやられる状況に対して全神経を研ぎ澄まして、これほどの実力差の礼志に追い縋れるのは偏に剛の教えのお陰であるだろう。
それでもやはり勝ち目は見つからない。
未だ全力を出しているわけではなく底がしれない実力に加え、全く油断をしていないことは礼志の真剣な琥珀の瞳を見れば分かることで、どんなに至恩の動きが変わったとしても動揺すら見せず、冷徹なまでに対応してのけるだろう。
冷酷な琥珀の瞳でそんな至恩の心の動きを読み取った礼志は口を開いた。
「……ようやく、実力差を自覚したか」
「ハッハァハァ……そんなの、最初から、ハァ、分かってたよ」
「いいや、それでもここまで全く勝ち目がないとは思っていなかっただろう。こんなに何をどうしてもどうにもならないとは分かっていなかった」
「……ほんとそういうとこそっくりだ。嫌なところ、見抜いて突き付けてくる」
「ああ、親父のこと言ってんのか?……あれと一緒にするな。俺はあんなにサディストじゃねぇよ。だから、お前に勝ち目をくれてやる」
「は?」
礼志は上から眺めている自分の上司に『アーデル、刃物を寄越せ』と声を飛ばした。
「は、刃物っ……!?」
2階から肘をついてこちらを眺めていたアーデルはニタっと笑い数瞬礼志と視線を合わせると、懐から白い刀身の短刀を抜き、抜き身で放ってきた。
『うわっ!?』と至恩は短刀の落下位置から大きく離れたが、その短刀は礼志の足元に突き刺さった。
地面に突き刺さった短刀の柄を手に持つと引き抜いた。
まさか……そのまま切りつけて来るんじゃ……
と至恩は驚愕の視線を礼志に縫い付けたまま離せずにいると、礼志は驚愕の行動を取った。
「……ぐぁっ…」
「なっ!?」
刀身を自分の左腕に向け、突き刺したのだ。
脇から上腕に肉を裂きながら登って行った刀身は突き出て、美しかった白の刀身は真っ赤に変わっていた。
「なにやってんの⁉頭おかしくなったのっ⁉馬鹿じゃないの⁉」
奇行に走った旧友に対して、至恩は冷静さなどかなぐり捨てて喚きたてた。
「ほぅら……ちッいてぇ………これで勝ち筋が見えて来たんじゃねえか?」
礼志は刺さった短刀を引き抜くと『がぁあああ……』と痛みに悶える声を出した。引き抜いた刀身を脇へと放り、鉄が地面を叩く音が戦慄している至恩の鼓膜に響く。
「いいから、かかって来いよ。お前なんかこれくらいのハンデがねえと、勝負になんねぇんだからよ」
阿保である。馬鹿である。たかだか手合わせのパワーバランスを平等にするために自分の左腕を再起不能にした。先程まで汗の一滴も流さなかった礼志の頬には体が痛みの悲鳴を上げてことを表すかのように雫が伝った。
「おい、分かってんのか。お前は俺を倒さなきゃいけねぇんだよ。これ以上のハンデをやるつもりはねぇぞ。此処までやらせてまだ俺から余裕を消せねぇんだったら、今ここで死んでおいたほういいって上のニヤケ面が判断するぞ」
「…………」
アーデルを見上げると、まるで礼志の行動が分かっていたように張り付けた笑みを深めたままだった。
「そしたらお前は終わりだ。騎士団が総出でお前の息の根を止めようとするだろう。もちろん、俺も参加することになる」
至恩は甘く見ていた。学生をも使おうとする騎士団には地上で当たり前のようにあった倫理感が存在するのだろうと、思い込んでいた。
ここは希望のない街。地上の常識は通用しない全くの別世界。
『御影もこの街に染まって来たな』と呟いたアーデルの言葉は当然届かず、腕をぶらんと垂れ下がらせた礼志は痛みに顔を歪め、至恩は驚愕に固まることしか出来なかった。
「さぁ、俺を殺しに来い。至恩」
礼志は嫌な汗をだらだら流しながら、腕が上げる悲鳴に顔を歪め、それでも猛々しく至恩に手招きした。まるでここまでしなければ『鬼の力』を引き出せないと分かっているように。
「……っ……」
しかし、至恩はやはり動けなかった。心が、なんだこれは!なんだ騎士団は!と叫び続けていた。
礼志の至恩を見つめていた視線が悄然としたものに変わったのが分かった。同時に覚悟を決めた眼差しにも見えた。
「なら、俺が殺してやる‼」
「っ……」
本当に腕に刃が刺さった後のなのか疑わしくなるほどの剣幕と体の動きで至恩に接近すると固まっている至恩の腹に右腕を突き立てた。
「がっ~~~……っけほっゲホっゲホっ‼」
「まだまだ、こんなものじゃねぇぞ!」
腹を抑えて蹲っている至恩の顔面と腹目掛けて蹴りが何発も何発も無慈悲に突き刺さる。
鈍い音を肉体が奏で、口から血を吐き出した。そんな姿を見せてもなお、礼志は応酬を緩めない。
蹴りで体ごと浮かされ地面に転がされ、ボロ雑巾のようになった至恩はこのままでは死ぬ殺される、何とかしろと体が悲鳴を上げた。




