第十一話
早朝。学生寮『月の舘』の玄関を潜り抜けて、改めためて地下街『ホープレス』に足を踏み入れた。
2階建て以上の家は少なく、1階建ての丸い家々が立ち並び、仄かな明かりを放っていた。
住宅地の家々から漏れ出る灯は、キャンドルの光のように儚く美しい。
しかし、現在は早朝だ。当たり前のように照らしてくれた温かな朝の日差しは此処には差さず、上空には冷たい岩々が広がっていた。
「……うぅ、なんだか肌寒いね…」
もう春なのにと、腕を摩りながら至恩は呟く。
「そういえば此処って季節とかあるの?」
季節は太陽の接近具合によって変わるものだ。地下には太陽の日が当たらないので、気温の変化は無いのではないか。
「よく知らねえけど、気温の調節があるらしいぞ。大体春の朝なんてこんなもんだろうが」
「えっ————気温の調節⁉誰が?何が?どうやって?」
至恩が礼志のとんでもない発言を聞き逃せずに疑問が次々に浮かんで質問攻めようになった。
『気温の調整』ということは、この広大な地下空間の温度を調節することが出来るということだ。そんな仕組みが実際に存在して、稼働出来ること自体が考えられない。
「うるせえな。よく知らねぇよ。俺だって此処に来て精々1か月ぐらいだぞ?知識はお前と大して変わんねぇんだよ」
「うわぁ、すごい気になる」
心底耳障りと顔を顰めながら耳を塞いだ礼志の横で、大きなエアコンでも設置しているのだろうかと至恩は天井を見上げて眼を凝らしていた。
歩きながら、そんな会話もしつつ、街の人間が多く行き来する通りに出たようで、喧騒が騒がしくなった。
「本当に人が住んでるんだ……」
「当たり前だろ。昨日だって…つーか、今だって街の明かりが着いてるだろうが」
「空気綺麗だねぇ。僕が灯さんと住んでいた街よりも空気がおいしく感じるよ。…………なんでっ⁉」
「……だから知らねえよ」
至恩はわなわなとまた岩の天井を見上げてエアコン同様に超巨大な空気清浄機を連想した。
「でかいんだろうなぁ……」
「何考えてんだ?お前……」
学校に着くまでの通学路を歩いていると、職人さんであろう土方を着たおじさんが力強い足取りで移動していたり、早起きなおじいさんがおばあさんとのんびり散歩をしていたり、身だしなみが整ったビジネスマンが急ぎ足で歩いていた。
他にも『日ノ丸食堂』と暖簾が上がったいい匂いのする店もあった。おそらく朝から食事が可能なお店で、20代後半から30代前半の女性の店主が店前で水を撒いていた。
「あの人、美人だね。今度行ってみたいなぁ~」
そう至恩が口に出してしまうぐらい整った顔をしていた。忙しく働きながら女としての努力も疎かにしていない彼女の気品のある動作に眼を奪われていた。
「美人ってお前さぁ、その……なんだっけ、灯さん?って人と会ってから年上好きになったのか?」
琥珀の双眼を半眼にして礼志は至恩を見た。
「……え?」
礼志の指摘に少し驚いたようにきょとんと翠の瞳が見開かれる。
「そうかなぁ……」
少し暗めの紅髪を掻きながら、俯いて前髪で顔を隠した。
「……お前何照れてんの?」
「照れてない!」
ちょうど『日ノ丸食堂』の前を通り、女店主の横を歩き去ろうとしたときに至恩と目が合い、顔を紅潮させている至恩はさらに動揺して頭を下げてしまった。
ふふっと優しく微笑んだ女店主は軽く手を至恩たちに振った。
「ぁ……レイ」
「なんだよ」
「僕今度絶対あのお店行く!」
「あ?ああ、そうかよ。好きにしろよ」
「なに言ってんの?レイも一緒に行くんだよ」
「なんで⁉」
髪だけでなく顔まで真っ赤にした至恩は照れながらも嬉しそうに微笑み女店主へと手を振り返しながら、礼志に同行を約束させた。
通り過ぎた後も暫くの間余韻が抜けずに顔の熱を冷たい空気で冷ましていた至恩はさっきは肌寒かった空気が気持ちの良いものに感じて女店主へ感謝した。
「お前変わったよな。ほんとに」
「そう?レイは全く変わってないよね。外見はビックリするぐらい変わってるけど中身が昔のままなんだよ。はは、でも本当にレイが居てくれて良かったなぁ、一人じゃどうしたらいいか分からなかったと思うし」
「俺が居たところでどうすればいいかなんて分からねぇだろうがよ……」
「いやいや、とりあえずは学校に迷わず行けてるって!」
「前向きな奴になったなぁ。それも灯さんとやらのお陰ってか」
「うん、多分そう。灯さんには本当に救われたからさ、いつか恩返しをしないとなって考えていたんだけど……こんなとこに来ちゃったよ。また会えるのもいつになることやら……」
ははっと、哀愁が籠った笑い声が至恩の口から漏れる。
「小5の時に突然引っ越したやつだよな。灯さんに会ったのって」
「そうそう、本当にとんでもない出会いだったよ……ふふ、まぁ、今度ゆっくり話して上げるよ。初対面のことは」
灯さんとの出会いを思い出したのか一気に調子を取り戻した至恩は礼志に『そんなに聞きたいのかー』といった雰囲気でもったいぶる。
「いや、別に聞きたいわけでもねえよ。ただ、あの時のお前と今とじゃあ、驚きの変化だって思っただけだ」
「聞いてくれよ。初めて会った時灯さんが……」
「今度じゃねえのかよ⁉」
「なんか灯さんのこと話したくなっちゃって」
さっきの寂しそうな顔はどこに行ったのか、満面の笑みで恩人について語ろうとする至恩に礼志は溜息を零した。
「……はぁ、今度な今度」
ぶー、と頬を膨らませる至恩は手をひらひらとさせて話を中断させて礼志にぶー垂れた。
「そら、着いたぞ」
まず視界に入ったのは開け放たれた10メートルはあろう門だった。
「あっ、ここが……」
敷地は門と同じ大きさの塀で囲まれており、門以外からは出入りできそうにない。
……塀というより壁みたいだ。
「ああ、ここが地下街唯一の学園、『星丘学園』だ」
「ねぇ、レイ。こんな門と塀が大きいのは何か理由があるのかな?」
意図的に大きさを指定していると至恩は勘ぐりって礼志に質問を投げた。
……でないと、これほど余計な大きさにはしないだろう。
「まぁ、一つだけ確かなのは、学園の内と外を明確に分けたいんだろうよ。話を聞いてればわかるぜ。口癖みてぇに『この学園内では』を使いたがる連中が取り仕切っているからな」
「だからって、これはやりすぎなんじゃないかなぁ……校門というより絶対に外に出させない『檻』みたいだ」
学園の方針にしてもこれは領域を逸脱しているであろう門と塀に汗を流す。
「あ~、そうなんじゃねえか……多分」
「え?」
礼志のぼそりと呟いた肯定に至恩は疑問符を浮かべるが、礼志はつかつかと先に行ってしまい。追いかけるしかなかった。
門を潜り敷地内に足を踏み入れると、また大きな校舎が存在した。
「ここは、全てを大きくしないと気が済まないのかな……」
至恩は門、塀、校舎に続き他にも大きなものが出てくるだろう予感がした。
校門から校舎までの道のりも、今までの常識から考えて長い。到着した実感をさっき覚えてしまった至恩はげんなりしてしまった。
「まだ、こんなにあるのか……」
あたりを見渡すと野球場やサッカー場などの運動スペースが多様に設置されていて、運動部に所属している生徒でにぎわっていた。今はちょうど朝練の後片付けをしている最中のようだ。
しかし、地下にある学園には芝や春の風物詩である桜などは存在せず、一面土色に染まった景色に少しの物足りなさを感じた。
「やっぱり地下だねここは……どんなに活気があっても見慣れた光景でも、地上に無いものはあるね……」
感傷的な気分になって朝練風景を眺めている至恩に礼志は鼻を鳴らした。
「当然だろう。光が届かない場所には植物は生えないんだからよ。ああ、それと地上からここに来たことは知られないようにしろよ」
「え?真っ先に話すつもりだったのに」
地下街の住人には地上のことは興味深いだろうと、最初の掴みでは必ず話そうと決めていたことを止められてしまった。
「地下の連中は地上のことを何も知らない。此処で生まれて育ったからだ。だから、自分の境遇に不満は無い。それが当たり前だからだ」
「うん。そうかもね。それがなんで地上のこと話しちゃいけない理由になるの?」
「だが、稀に地上から地下街に悲惨な事件を起こす厄災の種が舞い込んでくる」
「厄災の種?……鬼のこと?」
「ああ、けど地上から地下にやってくる奴は鬼だけじゃない。上で手に負えないやつが地下に落ちてくるんだ。地上から来たとバレたら地下ではやりずらくなるぞ」
ほほから汗を流して、至恩は愕然とした。
昨夜も襲撃があったように鬼っていうのは賞金が付いているほどの凶悪な存在なのだ。
……あぶなかった。うかつにバレてしまう所だった。
至恩は鬼だ。だから地下に連れて来られた。鬼というものが未だに今一つ分かっていない節があるが、身の安全のために知られるわけにはいかない。
もしかしたら、地下街の住人からしたら『地上から来た』というものに対して悪感情が存在するかもしれない。
「本当にレイが居てくれて良かった」
心の底からそう思った。礼志が居なければ至恩は学園で自分から鬼だと暴露し、多くの人から憎悪を買い。賞金稼ぎの飯の種にされていただろう。
「俺はもう鬼だと知られてるからな。学園で俺のそばにいるとやばいぞ。気をつけろ」
「えぇ!!??本当に!?それ、まずいでしょっ………………ああ!だから昨日の襲撃者といい、黒瀬さんがあんなこといってたのか……」
礼志が鬼であることを知られてしまっているからこその昨夜の急襲。迷いのない殺意。
「今までよく生きてたね。……はぁ、それで何でバレたの?僕みたいに最初の掴みを成功させたかったの?」
「違ぇよ。お前が地下に来る前の一か月間に色々あったんだ」
「色々ねぇ。……じゃあ、今日はレイには話しかけないようにするよ。おそらくぼっちの所悪いけど、僕本当にバレたくないし」
「ああ、そうしたほうがいい。俺を見て鬼だとバレるとどうなるかも学んどけ」
「でも一つ借りだよ。昨日助けてもらったのにレイのことを助けられない。ごめん」
申し訳なさげに俯き謝罪の言葉を述べる至恩に礼志は呆れた表情をした。
「借りってなんだよ。言ったろ、昨日は黒瀬の野郎に口車に乗せられただけだってよ」
「僕が勝手に思ってるだけさ。いずれ勝手に返すよ。楽しみにしといて」
「なっ!おい、おいおいおい!いや、いい‼余計なこと済んじゃねぇぞ!?」
初めてこんなにも慌てる礼志の姿に微笑を受けべて決然とした翠の瞳で言い切る。
「余計なことなんてしないさ。レイのためになることをするよ。勝手に」
「だからやめろって!せめて俺を通しやがれ!」
まるで昔に何かあったかのように拒絶する礼志の言葉が聞こえていないかのように至恩は反応を返さない。
「さて、職員室行かないと!あっ、職員室どこ?」
「聞け!」
今度こそ週一登校目指します。
(口だけかもしれません)




