DAY4:議事録を作って、ガチ恋勢を一掃する
家に着いて、靴を脱ぎきらないうちにスマホが震えた。
画面には、ハムスターのアイコンと、数字の7が表示された名前。ジムで連絡先を交換した七海さんからだった。
『七海です。先ほどはありがとうございました』
続けて、もう1件通知が届く。
『それと、五十嵐さんに謝らないといけないことがあって』
(え?)
思わず手が止まった。
(なんだろう……)
続きが気になって、玄関に立ったまま、気づけばスマホのロックを解除してメッセージアプリを開いていた。
トーク画面には、先ほどの挨拶と、ハムスターがお辞儀をする「よろしくお願いします」のスタンプが並んでいた。その下には、おやすみなさいのスタンプ。
そして、その間には――
『メッセージの送信を取り消しました』
(……取り消した?)
『五十嵐さんに謝らないといけないこと』
そんなメッセージが表示されていたはずだった。いったい、何だったのだろう。
(もしかして、配信に俺が入っちゃったことかな……)
彼女と初めて会ったあのときのこと。
俺も驚いた。けれど、別に迷惑だったわけじゃない。もし、それを彼女が気にしているのなら、気にしなくていいと伝えたかった。だが、取り消されてしまった以上、こちらから聞くのも変だろう。
結局、俺は何も言えないまま、返事を送った。
『今後ともよろしくお願いします。それではおやすみなさい。』
送信してから、画面の文面をもう一度見返した。
(硬かったかな……まあ、向こうも同じトーンだからいいか)
スマホを伏せ、玄関の明かりを消した。
* * *
週明け。本社の大会議室では、全国の主要都市に配置された支店長10名ほどが長机を囲んでいた。
営業企画部が運営する支店長会議で、俺の担当は会議の準備と、当日の議事録作成だ。末席でノートパソコンを開き、要旨をまとめる。
議題は終盤に入り、来期の予算策定や今後の中長期施策といった共有事項が続いていた。
最後はマーケティング部からで、新作ヘッドホンの販促に関する項目だ。CM起用の欄には「若者に支持されるアーティストの起用を検討中」とだけある。
営業企画の仕事にはほとんど関わりのない一行だが、打ち込みながら、なぜか頭の片隅に残った。
「以上をもちまして、本日の支店長会議を終了いたします」
課長の声で、支店長たちが一斉に席を立つ。片付けに取りかかろうとしたところで、キャリーケースを引いた男性が近づいてきた。
名古屋支店長の寺島さんだった。
「五十嵐、久しぶりだな」
「寺島さん、ご無沙汰しています」
「お前を本社に取られたから、代わりに予算を増やしてくれと頼んだよ。あっさり断られた」
寺島さんは笑って肩をすくめた。
「で、本社はどうだ」
「大変ですけど、下っ端なので、できることをやっていますよ」
「そうか、元気そうで良かった」
「はい。それに、同期が1年先に本社に来ているので、負けないように頑張ります」
「同期? ああ、もしかして、マーケティング部の百瀬さんか」
「ご存知なんですか?」
「ああ。以前、福岡支店の支店長から聞いててな。期待の若手だとさ」
「そうだったんですか」
(期待の若手、か)
去年の春。社内ポータルに人事異動の発令が載る日、俺は名古屋支店の自席で、画面を上から順に追っていた。
俺に対する異動の内示は、その年もなかった。自分の名前がないことは分かっていたのに、誰か知っている名前がないかと、スクロールする手が止まらなかった。
そして、その名前はあった。
『マーケティング部 百瀬 依澄』
大勢いた同期の中で、本社へ行ったのはあいつが最初だった。
(やったな、百瀬……)
あいつへの称賛の気持ちと同時に、俺も頑張ろうと思ったことを鮮明に覚えている。
「でも、五十嵐だって、名古屋支店の元エースだろう」
「いやいや、自分なんて」
「謙遜するなよ。本社は大変だと思うが、体壊さない程度に頑張れよ、五十嵐」
「はい、ありがとうございます」
そして、寺島さんはキャリーケースを引いて会議室を出ていった。俺はその背中が廊下の角に消えるまで、目で追っていた。
「いまのは、名古屋の寺島支店長だね」
振り返ると、執行役員で営業本部長の藤田さんが立っていた。支店長たちを束ねる、うちの営業のトップだ。普段なら、俺のほうから気軽に話しかけられる相手ではない。
「はい。名古屋では、大変お世話になりました」
「そうか……正直に打ち明けるとね、君を本社に強く推薦していたのは、彼なんだよ」
「え、そうなんですか」
「ああ。期待しているよ、五十嵐くん」
「はい」
藤田さんは軽くうなずくと、会議室を出ていった。
俺が名古屋にいた頃、酒の席で「いつか本社で仕事がしたい」とこぼしたことがあった。寺島さんは、それを覚えていてくれた。
(寺島さん、ありがとうございました……藤田さん、期待に応えられるように頑張ります)
俺は、二人が出ていった扉に向かって、深々と頭を下げた。
* * *
昼休み。自販機の並ぶ休憩スペースで缶コーヒーを買っていると、背後から肩を叩かれた。
「やっほー」
百瀬だった。
「この前の飲みのあと、帰りは大丈夫だったか」
「飲み? ああ、この間の……。嫌なこと思い出した」
「嫌なこと?」
「あの日、頼んでた商品の梱包がベコッて潰れててさ、超ショック。めっちゃ酔ってたけど、冷静に文句入れてやった」
「それは気の毒だったな」
「あっ、君に1つニュースがある」
「なんだよ?」
「ノアちゃんのガチ恋勢を一掃したみたい」
(ガチ恋勢? 一掃?)
俺にはさっぱり意味が分からない。
「ごめん、全く理解できないから、分かるように説明してくれない? ガチ恋勢って?」
「そこからー? 一般教養くらい押さえといてほしいなぁ」
彼女の考える一般教養とやらを質問したくなったが、口に出すのはやめておいた。
「ざっくり言うと、推しに本気で恋してる人たちのことだよ。その人たちが、ノアちゃんのチャンネルから続々と離れてるの」
「えーと、つまり、恋愛感情を抱いてる一色ノアのファンがチャンネル登録を解除した、ってことでいい?」
「そういうことになるね。今までこんなことなかったんだよね。登録者数が初めて減ったんだよ」
「でも、なんでそれが俺と関係あるんだよ」
「これは私の推測になるけどね……ノアちゃんが配信で君の話題をしだしてから、如実に反応しているのだよ」
なぜか探偵のように語りはじめた。
「ジムのあの一件以来ね、姫が恩人である君のトークをするようになった。姫はこれまで、リアルトークをしてこなかったんだよ。それが、多くのリスナーには姫のリアルが知れて嬉しい反面、一部のリスナーには絶望をもたらした」
「それが……」
「そう、ガチ恋勢と呼ばれる者たちの存在」
「ええ……知り合った人のことを話題にするだけで?」
そう尋ねると、百瀬は「うーん」と腕を組んで悩んだ。
「五十嵐くんは、まだ実際の配信は見てないんだよね? 口ぶりから察するに」
「ああ、見てない」
「では、私の口からはこれ以上は何も言うまい。配信は、本人の声で聴くのが一番だからね。とにかく、ノアちゃんも君のことを気にかけているとだけ言っておこう……あ、ジムのリアルノアちゃんと、あれから何か変わったことはあった?」
(リアルノアちゃん……七海さんとは連絡先を交換した。それに、あの夜の取り消されたメッセージのことも気になっている)
だが、言えば百瀬が大騒ぎするのは目に見えていた。
「いや、特には。顔を見かけて、声を交わすくらいかな」
「ふーん、そうなんだ。何かあるかと思ったけど」
「まあ、そんなところだよ」
「いまさらだけどさ、五十嵐くんって、VTuberもだけど、最近の音楽とかアーティストにも興味ないの? そういう話題、全然だよね」
「そうだな。たまにCMやドラマで流れてる曲くらいは分かるけど、詳しくはないかもな」
「そうかー。うちら一応、音響機器を扱ってるんだから、VTuberとその周辺知識くらいは一般教養として押さえてほしいところだよねー」
(あの、一般教養が少し偏ってませんか?)
ただ煽られっぱなしも癪だった。何か返せるものはないかと記憶をたどると、午前の会議資料の「若者に支持されるアーティストの起用を検討中」という一行が浮かんだ。
(若者に支持されるアーティスト、か)
「最近の音楽なら、えーと、八雲……だっけ。俺も、その人の曲はCMか何かで聞いた覚えはあるよ」
「八雲玲於奈ね」
「そう、その人」
「通称、八雲様」
「様?」
「みんなそう呼んでるんだよ、八雲様、八雲様って。メディアにはあんまり出ない人だけどね」
そう言ったきり、百瀬は何かを考えこむように黙った。いつものふざけた表情が、少しだけ消えている。
「どうかしたのか?」
少し間を置いてから、彼女は口を開いた。
「ノアちゃんはさ……昔、八雲様と一緒に活動してたんだよ」
「え?」
缶コーヒーのプルタブにかけた指が、そのまま動かなくなった。




