DAY3:VTuberとオフで会う
「ありがとうございましたー!」
俺たちは会計を済ませて店を後にした。
「じゃあ、私そろそろ帰るね。あっ、注文したやつ届いてる」
スマホを覗きながら言った。
「何か大事なやつなのか?」
「そう、乙女の嗜み。良い値段したから早く開けなきゃ。じゃあねー」
そう言って百瀬は俺と反対方向へ足を運んだ。
「結構飲んでるんだから気をつけろよー」
「あいよー」
手を振って去っていく百瀬を見送り、俺も駅へ向かった。
帰宅すると、酒が入っていたこともあり、そのまま眠りについた。
* * *
平日はいつもどおり仕事をこなし、ようやく週末。
溜まっていた家事を一通り済ませた。
(ジム、行くか……)
入会したジムに、平日は全然行けていなかった。
夜になると、俺は着替えて家を出た。
百瀬が言っていたことを思い出す。
ジムで出会った、あの子のことだ。有名なVTuberだなんて、正直まだピンときていない。たしか名前は一色ノア。ちょっと検索すれば、どんな活動をしているのか分かるのだろう。
(……いや、やめておこう)
なんだか、こっそり人の日記を覗き見しているようで気が引けた。
ジムに着くと、先客が二人いた。
一人は黙々と筋トレをしている男性。もう一人はランニングマシンで歩いている女性だった。
無意識に室内を見回してしまったが、彼女の姿はない。
(あー、百瀬のせいで意識するようになっちまったじゃないか……)
余計なことを考えるのはやめて、ストレッチを済ませてランニングマシンに乗った。ゆっくりと歩きながら窓の外を眺めていると、歩道を行き交う人たちの姿が見えた。
しばらくすると、先客たちも帰っていった。
気づけば、ジムにいるのは俺一人。
(このジム、あんまり利用者がいないのか……? まあ、俺は好きな器具を自由に使えるからいいんだけど)
そんなことを考えながら歩き続けていると、やがて入口のドアが開く音がした。
誰か来たらしい。俺は特に気にせず、そのまま歩き続けた。
(……喉が渇いたな)
そういえば、飲み物を持ってきていなかった。いったんマシンを止め、近くの自動販売機へ向かう。自動販売機の前で、ふと入口のほうを振り返った瞬間だった。
「あっ」
思わず声が漏れた。入口のそばで、見覚えのある小柄な女の子がこちらを見ている。向こうも俺に気づいたらしく、目が合った。
「あ、この間はありがとうございました!」
静かなジムに、弾むような声が響いた。彼女はぺこりと頭を下げる。
「あ、いえいえ、全然!」
俺も慌てて返事をする。まさか、本当に会うとは思わなかった。
改めて彼女を見る。
肩に届くか届かないかの長さで、毛先がふわりと内側に丸まった黒髪のボブ。前髪の下からのぞく、大きな黒っぽい瞳に白い肌。グレーのパーカーを着た小柄な身体には、黒いリュックがよく似合っていた。ファスナーの脇では、ハムスターらしき小さなマスコットが揺れている。
そして、こちらに向けられた人懐っこい笑顔。
(可愛いな……って、いやいや、何を考えているんだ、俺は! 知り合って間もない女の子をじろじろ見て。これじゃあ、ただの怪しい男じゃないか……)
なんとか平静を取り戻した。
「この前は、急に帰っちゃってすみませんでした」
「ああ、いや、気にしなくて大丈夫ですよ。大したことではないので」
「でも、ちゃんとお礼を言いたかったんです」
彼女はリュックの肩紐をぎゅっと握り、言葉を探すように視線を泳がせた。
「今日また会えてよかったです。あのまま会えなかったら、ずっと気になってたと思うので……」
そう言って、少し照れたように笑った。
「とんでもないです。そう言ってもらえると、こちらも甲斐があったかな」
それにしても、声が柔らかい。少し高めで、語尾がふわりと溶けるように消える。一度聞いたら、耳の奥に残りそうな声だった。
年齢は俺より下だろうか。なんとなく、そんな気がした。
「そういえば、飲み物を買いに来たところだったんです」
「そうなんですか?」
「はい、ちょっと喉が渇いちゃって」
「じゃあ、ここは私に払わせてください。助けてもらったお礼です」
「いやいや、そんなのいいよ」
「いえ、私がそうしたいんです。飲み物くらいなら安いですし」
声は控えめなのに、引く気配がない。そこまで言われると、断るのも悪い気がしてくる。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
俺は自動販売機でスポーツドリンクを選んでボタンを押した。彼女はスマートフォンを取り出し、キャッシュレス決済で支払いを済ませた。
「はい、どうぞ!」
「ありがとうございます」
受け取った飲み物のキャップを開け、ひと口飲んだ。乾いていた喉に、冷たい飲み物が染み渡った。
(……うまい)
いつも飲んでいるものなのに、今日はやけに美味しく感じる。
「じゃあ、私も同じのにしようかな」
彼女が自動販売機に向き直り、ボタンを押す。
そのとき、俺はスマートフォンをかざして、彼女の分を支払っていた。
「あっ!」
彼女が驚いた顔で振り返る。
「もう、それじゃ意味ないじゃないですか」
「はは、すみません。なんとなくそうしたくなっちゃって」
「意外と、お茶目なんですね」
そう言って、彼女は笑った。
(……なんで俺はこんなことをしたんだろう?)
普段なら、わざわざこんなことはしないのに。自分でも不思議に感じてならなかった。
* * *
飲み物を買ったあと、彼女は黒いリュックをロッカーに預けた。俺たちはそのままストレッチスペースで話をしていた。
「お兄さん、いつもこの時間に来てるんですか?」
お兄さんという呼び方に一瞬戸惑うも、すぐに返事をした。
「まだ通い始めたばかりなんですが、今のところ夜に来てますね」
「あ、私も、まだ全然来てなくて」
「そうなんですか?」
「はい。今日で2回目です」
「……この前のベンチプレスも含めて?」
「はい!」
(……それじゃ俺と同じだな)
なんだか親近感を覚えた。
「私は昼間に寝ていることが多くて、夜のほうが元気なんです。それで周りからも、もう少し運動したほうがいいよって言われて、ジムに入会したんです」
(配信者の生活ってやつか)
「なるほど、生活リズムが夜型なんですね」
「そうなんです。だから、こうして夜に運動するのがちょうどよくて」
「俺は平日が忙しいから、土日にまとめて運動する感じかな」
「じゃあ、こうして会えたのも偶然なんですね」
「そうですね」
お互いに、まだ通い始めたばかり。それなのに、こうして二度も顔を合わせるとは、なかなか珍しいことかもしれない。
彼女が何かを思いついたように顔を上げた。
「お兄さんがいるなら、私もサボらずに来られそうかな」
「え?」
「あ、えっと……」
彼女はパーカーの裾を指先でいじりながら、少しだけ視線を落とした。
「私、普段あんまり、人と面と向かって話さなくて。だから、ちょっと緊張してたんですけど」
「そうは見えないですけど」
「ですよね。自分でもびっくりです。お兄さんだと、なんか普通に話せちゃって」
そこで言葉を切り、小さく付け足した。
「……助けてもらったから、かな」
言い終わると、彼女が切り出した。
「あ! そういえば、まだ自己紹介してませんでしたね。私は、七海文乃です。七つの海の七海に、文章の文、それから乃は……刀みたいな字をちょっと変えたアレです!」
そう言うと、空中に乃の字を書いてみせた。
「へえ、七海さんですね。俺は、五十嵐司って言います。五十の嵐に、司るの司です」
「五十嵐司さん……なんだか、かっこいい名前ですね!」
「ああ、名前だけはかっこいいんですよ」
冗談めかして返すと、七海さんはくすっと笑った。小声で付け足した。
「かっこいいですよ……」
「……え?」
「あ、何でもないです!」
七海さんは慌てて両手を振った。
「そうだ、あの……」
七海さんがスマートフォンを両手で握りしめた。
「もしよかったら、連絡先を交換しませんか?」
「連絡先?」
「はい! せっかく知り合えたので。またジムで会ったときとか、お話しできたらいいなって」
「大丈夫ですよ」
そうして俺たちは、連絡先を交換した。2回目の顔合わせでこうなるとは。
「なんだか、私ばっかり話しちゃいましたね」
「いや、そんなことはないですよ」
「じゃあ私、そろそろ歩こうかな。あっ、一緒に歩きませんか?」
「はい、歩きましょう!」
並んでランニングマシンへ向かう。七海さんは隣のマシンに乗った。
「じゃあ私はこっちのマシンで!」
そう言って笑顔を向けてから、ランニングマシンで歩き出す。
俺も速度を設定して歩き出すと、そこから先はお互い無言で歩いていた。
気づけば、歩き始めてから30分ほど経っていた。いつの間にか彼女の息遣いは荒くなっていた。
「はぁ……私、体力ないなあ……」
七海さんが少し疲れた様子で息をつく。息が上がっていても、声の柔らかさは変わらない。
「ちょっと疲れちゃいました。五十嵐さんは、まだ歩くんですか?」
「うん。もう少しだけ歩こうかな」
そう答えたものの、実のところ俺もそれなりに疲れていた。
「それじゃあ、私は先に失礼しますね」
「ええ、また」
「はい! 今日はありがとうございました!」
七海さんはロッカーから黒いリュックを取り出して背負うと、笑顔で手を振った。ファスナーの脇で、ハムスターらしきマスコットがひょこひょこと揺れる。
俺はマシンを一時停止して、そのままジムを出ていく背中を見送った。その後再び歩き出し、少ししてからマシンを止めた。
* * *
ジムからの帰り道。彼女のことを思い出す。
耳に残る、柔らかい声。そして、あの笑顔。
百瀬が「姫」と呼ぶ理由が、少しだけ分かった気がした。
VTuberの彼女と、今日ジムで出会った彼女。
あの子なら――ありのままの姿を映しても、きっと人気になる。そう思った。
(どうして、わざわざ別の姿を選んだのだろう)
そんな疑問が、俺の頭には残っていた。




