公爵家の静かなお返し
アルフレッド王国の中心に位置する王宮。
その一角にある大会議室では、朝から怒号に近い声援と怒鳴り声が飛び交っていた。
「どういうことだ、グランヴェル公爵! 今日中に提出されるはずだった北東部国境沿いの防衛費の補填金が、まだ届いておらんぞ!?」
財務大臣を務める男が、血相を変えて書類を叩きつける。
だが、円卓の最上席に座るグランヴェル公爵アルベルトは、優雅に温かい紅茶を口に含むと、冷ややかな視線を大臣に向けた。
「おや、何か勘違いをされておられるのでは? 我がグランヴェル家が王家に寄付していたあの莫大な資金は、『次期王太子妃の家系』としての事前投資であり、特別な『支援金』に過ぎません」
アルベルトはカップをソーサーに静かに置いた。
カチャリ、と小さな音が会議室全体に重く響き渡る。
「我が娘エレノアとアレス殿下の婚約は、先日正式に解消されました。当然、我が家が王家に対して個人的に行っていた支援を継続する理由など、どこにもございません」
「なっ……! こ、個人的な支援だと!? あれは国家の予算の三割を実質的に支えていたのだぞ!? 今さら引き揚げられたら、来月からの国境警備隊の維持費や、王都の魔導インフラの維持はどうなるのだ!」
「それは王家と大臣方がお考えになることです」
アルベルトの表情には、ピクリとも動揺がない。
「我がグランヴェル家は、これより自領の経営と発展に全リソースを集中させます。あわせて、我が家の専属魔術師団および親衛隊の王都駐留も、今月末をもって解除し、領内へ全軍撤退させる運びとなりました」
「軍の撤退だと!? バカな! それでは王都の防衛能力が半減してしまうではないか!」
ざわめく大臣たち。彼らの顔からは急速に血の気が引いていた。
これまでアルフレッド王国が平和を謳歌し、周辺国からの侵略を受けずにいられたのは、王家の威光などではない。圧倒的な軍事力と経済力を誇る「グランヴェル公爵家」が、王家と婚姻関係を結ぶ前提で、全面的なバックアップを行っていたからに他ならないのだ。
だが、アレス殿下と国王は、その「前提」を自ら叩き壊した。
「……公爵、考え直してはいただけないか」
沈黙を守っていた国王が、痛々しいほど蒼白な顔で絞り出すように呟いた。
「アレスの愚行には、余からも深く詫びる。だが、これは国家の存亡に関わる問題なのだ。エレノアには相応の補償と新たな地位を約束する。どうか……」
「陛下」
アルベルトの瞳に、静かだが恐ろしいほどの拒絶の光が宿った。
「我が娘エレノアは、六年間、王妃教育という名の重圧に耐え、アレス殿下の不誠実にも一切の愚痴をこぼさず、陰で王家の雑務を処理し続けてまいりました。……それを『物分かりが良いだけの女』と蔑み、捨て去ったのはアレス殿下でございます」
アルベルトは静かに立ち上がった。その巨躯から放たれる威圧感に、大臣たちが思わず息を呑んで体をすくませる。
「娘を傷つけ、グランヴェル家の尊厳を踏みにじった者たちに、これ以上の慈悲をかける道理はございません。……これにて失礼いたします。今後の王国の『自力での発展』を、心よりお祈り申し上げます」
深々と一礼し、一切の未練もなく会議室を去っていくアルベルト。
残された大臣たちと国王は、ただただ絶望的な沈黙の中に置き去りにされた。
彼らは今更になって思い知り始めていたのだ。
エレノア・フォン・グランヴェルという一人の少女の背後に存在していた、あまりにも巨大な「現実」の重さを。
同じ頃。王立学園のサロンでは、アレスとセシリアがのん気に高級な焼き菓子を楽しんでいた。
「まあ、アレス様! この紅茶、とっても良い香りがしますわ!」
「だろう? セシリアの笑顔が見たくて隣国から取り寄せさせたんだ。これからはいつでも君にこんな美味しいものを楽しんでもらえる」
「嬉しい……! エレノア様と婚約解消されてからアレス様のお顔が本当に晴れやかで私も幸せです」
セシリアは愛らしく首をかしげアレスの腕に甘えるように抱きついた。
アレスは満足そうにセシリアの頭を撫でながら自分の選択の正しさを噛み締めていた。
エレノアがいなくなっても世界は何も変わらない。
むしろ、息苦しい義務や小言から解放され毎日はバラ色だった。
彼らはまだ知らなかった。
王宮の金庫がすでに底をつき始めていることも。
グランヴェル家の軍隊が引き揚げの準備を始めたことも。
そして、自分たちが「真実の愛」と浮かれている足元から、国家という巨大な建造物が音を立てて崩れ去ろうとしていることにも——。




