規格外の魔力 (ルーク・フォン・サイラス視点)
「——くっ……!?」
エレノア・フォン・グランヴェルの額に触れていた私の指先から、思わず手が弾き飛ばされた。
ドサドサと音を立てて、壁際の本棚から分厚い魔術書が雪崩のように落ちていく。
部屋中の空気が重く澱み、窓ガラスがガタガタと悲鳴を上げて振動し始めた。
(なんだ……この、圧倒的な『密度』は……!)
俺は息を呑み、目前に立つ少女を見つめた。
彼女の紺色の髪が、重力を無視してふわリと宙に浮き上がっている。
元より透き通るようだった彼女の青い瞳は、いまや内に渦巻く膨大な魔力によって、眩いばかりの銀色の光を放っていた。
部屋を満たすのは、ただの力ではない。
大気を押し潰し、空間そのものを歪ませるほどの、禍々しいまでに美しく純粋な「魔力」の奔流だ。
「はぁ……っ……ふぅ……」
エレノアは己の手のひらをじっと見つめ、ゆっくりと深呼吸を繰り返していた。
彼女が吐き出す息すらも、白い光の粒となって空気中に散っていく。
わずか数分前まで、彼女の内に存在していた重苦しい「封印の枷」は、跡形もなく消え去っていた。
六年前、俺が魔力測定の場で出会った十二歳のエレノアは、素晴らしい資質を持ちながらも、大人たちの都合によってその翼を折られていた。
『王妃となる者に、夫を凌駕するような力は害になる』
『男を立て、陰から支える存在であればいい』
愚かな。誠に愚かな選択だった。
王家とグランヴェル公爵家の長老どもは、「溢れ出る清流」に蓋をすれば静まると思っていたのだろう。だが実際に行われたのは、巨大なダムで奔流を無理やり堰き止めるような行為だったのだ。
六年間、行き場を失って溜まり続けた魔力は、彼女の体内で圧縮され、精製され、信じがたい変貌を遂げていた。
「ルーク院長……これが、私の……?」
エレノアが戸惑うように音を立てて呟く。
声には微かに震えが混じっていたが、その瞳に怯えはない。己の内に戻ってきた「本当の自分」を確かめるような、静かな歓喜が宿っていた。
「……信じられないな。まさかここまでとは」
俺は床に散らばった羊皮紙を踏み越え、部屋の隅にある大型の「魔導測定結晶」を引き寄せた。
王立魔術研究院が誇る、国家級魔術師の限界値すら計測できる最高峰の魔導具だ。
「エレノア。その手をこの結晶にかざしてごらん」
「はい」
彼女が素直に細い手を伸ばし、透明な水晶体にそっと触れる。
次の瞬間——。
パァンッ!!
激しい打撃音と共に、頑丈な魔導測定結晶の内部に、メキメキと亀裂が入った。
結晶は眩い紫銀色の光を放ち、上限を示す数値を一瞬で突破すると、内部の魔導回路が焼き切れ、煙を上げて沈黙した。
測定不能。
それも、「高すぎて計れない」のではなく、「測定器のキャパシティを破壊した」のだ。
「ふ……ふははっ!」
俺は思わず、腹の底からこみ上げてくる笑いを抑えきれなかった。
「素晴らしい……! 素晴らしいよ、エレノア! 貴族どもの言っていた『王妃教育』など、この至宝を檻に閉じ込めるための免罪符に過ぎなかったというわけだ!」
「あの……測定器を壊してしまって、申し訳ありません……」
申し訳なさそうに身を縮めるエレノアに、俺は首を振った。
「謝る必要など微塵もない。それどころか、素晴らしい報せがある。……君の魔力の質だ。これは単なる膨大な魔力ではない。……失われた古代属性、『星辰魔術』の波長だ」
「星辰……魔術……?」
「そうだ。空間を歪め、重力を統べ、時に天変地異すらも引き起こすと言われる、創世記の魔術属性。この数百年間、文献の中でしか存在しなかった伝説の力だよ」
俺は胸の高鳴りを抑えながら、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
「あの愚かな王太子殿下は、輝くダイヤモンドを捨てて、そこら転がっているただの綺麗なガラス玉を選んだというわけだ。……滑稽すぎて涙が出るよ」
「アレス殿下のことは、もうどうでもよいのです」
エレノアは静かに、だがはっきりと首を振った。
「私はただ、学びたいのです。自分が何者であり、この力で何ができるのかを」
「いい顔だ」
俺は自室のデスクの引き出しから、一冊の重厚な黒革の手帳を取り出し、彼女に差し出した。
魔術研究院の最高権限を示す、特級研究員の証だ。
「今日から君は、私の助手であり、この王立魔術研究院の特別研究員だ。誰にも邪魔させない。君の望むだけ、世界の理を解き明かすといい」
「……感謝いたします、ルーク院長」
エレノアが浮かべた笑みは、今まで仮面のように貼り付けていた「淑女の微笑み」ではなかった。
内に秘めた情熱と、知性への探求心に満ちあふれた、息をのむほどに美しい本物の笑顔だった。
(見ものだな……)
私は窓の外、遠くに見える王宮の白亜の塔を見上げた。
グランヴェル公爵家という最大の盾を失い、さらにこの「世界を揺るがす大魔術師」を自ら手放した王家が、これからどのような辿り着くのか。
復讐などというチープな言葉では生ぬるい。
彼女がただ「自分の道」を進むだけで、愚か者たちの世界は勝手に崩壊していくのだから。




