恋の特効薬はまだ見つかりません
宿の庭園に佇みながら、私はそっと胸元に手を当てて深く息を吐き出した。
「未知の呪詛……ではありませんでしたのね」
さきほどルーク院長に抱きしめられた時の、あの弾けるような胸の高鳴りと、頭が真っ白になるような感覚。
いくら図書室の魔導書を検索しても、どんな高位の呪術にも合致しない。
(これは……世間一般で言われる『恋心』というものではありませんかしら……?)
王宮の図書室の隅にあった恋愛小説。そこに書かれていた「相手の瞳に見つめられると息が詰まる」「触れられると全身が熱くなる」という描写が、今の私の症状と寸分狂わず一致していた。
世界中のあらゆる魔術を修めた私が、まさか自分自身の『恋』の解術法……いいえ、対処法を知らないだなんて。
「エレノア様〜? なんだか凄く真剣なお顔で空を見つめてらっしゃいますけど、大丈夫ですか?」
シオンが心配そうに覗き込んできた。
「ええ、シオン。私、大変なことに気づいてしまいましたの。……私、ルーク院長のことが『好き』という感情で満たされているみたいなのです」
「……へ? ……ええええええっ!? つ、ついに自覚されたんですか!!?」
シオンが鳩が豆鉄砲を食ったような顔で跳び上がった。
「ですがシオン、問題がありますの。恋心を自覚した途端、ルーク院長のお顔をまともに見られなくなってしまいましたの……! どう接すれば良いのか、全くわかりませんわ!」
そう、これまでは「魔力効率」や「体温測定」という名目のもと無自覚に突撃できていたのに、いざ『恋』だと分かった瞬間、急に恥ずかしさが押し寄せてきたのだ。
そこへ、船の点検を終えたルーク院長が歩いてきた。
「おい、エレノア、シオン。そろそろ次の目的地へ出発するぞ——」
「……ッ!!」
ルーク院長と視線が合った瞬間、私の顔は一瞬でリンゴのように真っ赤になった。
「あ、あの……ル、ルーク院長! ごごごご機嫌よう! 私、船の……船の風圧を調整してまいりますわっ!」
「え? おい、エレノア!?」
私はスカートの裾をギュッと掴むと、優雅な作法も忘れて猛スピードで『ステラ・グランヴェル号』へと駆け出していた。
残されたルーク院長はぽかんと立ち尽くし、隣のシオンに視線をやる。
「……シオン。エレノアのやつ、急に俺を避けるようになったんだが……俺、何か気に障ることでもしたか?」
「ふふふ……違いますよルーク院長。むしろ大進歩です! 覚悟しておいた方がいいですよ!」
「は? 覚悟……?」
操縦席の陰に隠れ、真っ赤な顔で胸のドキドキを押さえる私。
(あんなに頼もしくて素敵なルーク院長を前にして……私、これからどうなってしまうのかしら……!)
世界の理を書き換えた大魔術師エレノア。
しかし、初めて知った『恋』という甘い魔法の前では、ただの照れ屋さんな一人の少女になってしまうのだった。




