裏で見せる嫌な顔
学園の校舎裏にある中庭の東屋。
授業の合間、静かに魔術の基礎理論書を読んでいた私の元へ、甘ったるい香水の香りと共に足音が近づいてきた。
「あら、ごきげんよう。エレノア様」
現れたのは、セシリア・フォン・バークレイ伯爵令嬢だった。
アレス様の前で見せるような、儚げで可憐な表情はそこにはない。
周囲に人の気配がないことを確認した彼女は、口元に口角を歪めた笑みを浮かべていた。
「このような場所で読書ですの? ふふ、最近のアレス様は私に夢中で、エレノア様のお相手をしてくださらないからヒマを持て余していらっしゃるのね」
「……何のご用でしょう、バークレイ様」
私が本から目を離さずに問いかけると、セシリア様はちりと不機嫌そうに目を細め、私のテーブルにバンと両手を突いた。
「いつまでその澄ました顔を続けるつもり? アレス様が今、誰を愛しているか分かっていて? 殿下が求めているのは、あなたのような可愛げのない置物じゃないわ。私よ」
「ええ、アレス様があなたに夢中なのは存じておりますわ。手帳の予定がすべてキャンセルで埋まっておりますもの」
淡々と事実を告げると、セシリア様はピクリと眉を跳ね上げた。彼女が期待していたような「悔しがる姿」や「嫉妬に狂う姿」を私が一切見せないことが、気に入らないらしい。
「強がりも大概になさい! アレス様はね、私といる時だけ本当の笑顔を見せるの。あなたといる時は『息が詰まる』『王太子の重圧に押し潰されそうだ』って、私に甘えてくださるのよ? あなた、婚約者として失格じゃない」
「左様ですか」
「それに……ふふ、知ってる? 先日の建国記念パーティーのエスコートの件。アレス様はあなたに『公務で急用ができた』とお断りを入れたでしょう? あれ、私と高級レストランでデートしていたのよ」
彼女は勝ち誇った顔で私を覗き込んできた。
意地悪く、相手を傷つけることに悦びを感じている瞳。
……なるほど。
アレス様の前では「エレノア様に嫌われていないかしら」と健気に怯えてみせ、裏ではこうして私を煽り、嫉妬させようと画策していたわけだ。
だが、申し訳ないけれど。
(本当に……どうでもいいのよね)
私の心は、驚くほど静かだった。
かつてなら傷ついたかもしれない。だが、アレス様への情が完璧に冷めきった今の私にとって、二人がどこで何をしていようが、どうでもいいのだ。
むしろ、記録として価値がある。
私はポケットから小さな手帳を取り出し、セシリア様から見えない位置で、さらさらとペンを走らせた。
『○月×日:建国記念パーティーの不参加。公務と偽り、バークレイ令嬢とデート』
「……何を書いているのよ!」
気味悪そうに私を睨むセシリア様に、私は静かに本を閉じ、完璧な淑女の微笑みを向けた。
「何も。バークレイ様、アレス様がお待ちなのではありませんか? 殿下をお待たせするのは、未来の……いえ、愛される女性としてよろしくないのでは?」
「っ……! あなた、本当に嫌な女ね! いつまでそんな余裕でいられるか、見ものだわ!」
捨て台詞を残し、ヒールを鳴らして去っていくセシリア様。
彼女の背中を見送りながら、私はふうと小さく息を吐いた。
嫌がらせのつもりだったのだろうけれど、これでまた一つ、「王太子の不誠実を示す決定的な証拠」が集まってしまった。
「さて……そろそろ、お父様に話を切り出す準備を始めましょうか」
私は手帳を大切に胸元にしまい、再び魔術書へと目を落とした。




