読む読者≠アンチ
ここまで述べてきた「本当に読む読者」とは。
構成の甘さを述べ、
キャラクターの動機の弱さを突き、
テーマの未消化を指摘する。
この行為だけを見れば、アンチと何が違うのか? と疑問に思う人もいるだろう。
だが、この二者は決定的に違う。
読む読者は作品を読んでいる。
アンチは作品を読んでいない。
この一点に尽きる。
アンチの目的は、作品を傷つけることではない。
その作者を傷つけることだ。
だから彼らは作品を読まない。
読む必要がないのだ。
・タイトルだけで叩く
・ジャンルだけで叩く
・作者の人格を攻撃する
・作品の中身に触れない
・具体性がない
・論理がない
アンチは作品を攻撃材料・武器として扱う。
作品の内容はどうでもいい。
作者を殴るための棒になればそれでいい。
一方で、読む読者は作品を作品として扱う。
作品の中身に触れる。
作品の構造を読み解く。
作品の意図を探る。
作品の欠点を具体的に指摘する。
読む読者は、作品を殴るのではなく、作者と共に作品を磨こうとしている。
この違いは、一見すると外側からは見えにくい。
だが本質はまるで別物だ。
アンチは、自分の利益や憂さ晴らしの為に言う
読む読者は、作品の成長を願って言葉を投げる。
その言葉は厳しいかもしれない。
痛みを伴うかもしれない。
だが、その根底には作品への敬意がある。
長時間、じっくりと作品を読んだからこそ、
作品の未来を信じているからこそ、言葉を投げる。
一方でアンチは、自分の感情を発散するために言葉を投げる。
作品の未来などどうでもいい。作者の努力などどうでもいい。
ただ、自分の不満や嫉妬や憎悪をぶつけたいだけだ。
読む読者は作品を見ている。
アンチは作者しか見ていないのだ。
また、簡単な見分け方もある。
アンチは「抽象的」に指摘をする。
読む読者の指摘は、必ず具体的だ。
・この場面の動機が弱い
・このキャラの行動が設定と矛盾している
・この章のテーマが回収されていない
・この描写が前後の流れと噛み合っていない
・文法がおかしい。
これは作品を読んだ証拠である。
一方でアンチは、必ず抽象的だ。
・つまらない
・センスがない
・作者が気持ち悪い
・読む価値がない
作品の中身に触れない。
触れられない。
なぜなら読んでいないからだ。
アンチは「作品を壊す」だけ。
読む読者の言葉は、作者にとって最も厄介で、最も痛く、最も重い。
だがその痛みは、作品を成長させる痛みだ。
アンチの言葉は作者を傷つけるだけで、作品には何も残さない。
読む読者は作品を救う。
アンチは作品を壊す。
この違いを理解できない作者は、誠実な読者をアンチ扱いし、AIのような優しい感想だけを求めるようになる。
その結果、作品は死んでいく。
そして最も残酷な事実として、改めて告げる。
読む読者は希少である。
逆にアンチはどこにでもいる。
だが、読む読者をアンチ扱いする作者は、アンチよりも作品にとって有害である。
なぜなら、作品を救う唯一の存在を自ら追い出すからだ。
例えるなら、よくネズミを捕る猫を追い出し、餌の前でだけ愛想よく鳴く猫を重宝するようなものだ。
そして家は、静かにネズミに食い荒らされていくだけである。
繰り返しにはなるが、読む読者は作者にとって最も厄介で、最も面倒で、最も手間のかかる存在だ。
だがその正体は、無料で作品を磨いてくれる編集者である。
・構造を見てくれる
・矛盾を拾ってくれる
・テーマの未消化を指摘してくれる
・キャラの動機を深掘りしてくれる
・文章の癖を教えてくれる
これを本来、誰がやるべきか。
編集者である。
だがweb小説には編集者がいない。
だから読む読者が、その役割を担ってくれている。
読む読者を追い出すということは、
自分の作品から編集者を追い出すのと同じだ。
その結果、作品はどうなるか。
言うまでもない。




